2018/2/5-11フランス調査旅行

グランで出会った保育園児たち
古代のグランの復元想像図:中央の神殿前に聖なる泉がある
グランの閉鎖中の円形闘技場
グランの浴場跡
地下水路から水をくみ上げる井戸跡
見ることできなかったグランのモザイク博物館
グランの城壁跡(最西端付近:左が城壁内)

グランの小教区教会:手前の石垣の下に水場がある
教会下の水場の痕跡

 留学中の林君のお世話になって、約1週間、交通費・宿泊費は当方持ちということで、行ってきました。以下は、知人に書いたメールから採ってます。
 余裕があれば、年末のアルジェリア旅行も転載するでしょう。

2/5(月)成田1105-1555Paris AF275 Paris泊
6(火)Neufchâteau泊  Hôtel EdenValue Deal 69.30€
7(水)Metz泊 Inter-Hotel Modrne 86€+
8(木)Nimes泊 Aparthotel Adagio access Nîmes   60.80€
9(金)Nimes泊 Aparthotel Adagio access Nîmes   60.80€
10(土)Paris泊 Hôtel Viator Paris  147.00€
11(日)Paris1605- AF272
12(月) -1205羽田

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2/7
浩志@ヌフシャトーです。

 2時に起きだして書きました。林君、書いてることで間違っていたら教えてください。

 昨日、今回の訪仏前半の山場のグランGrandに行ってきました。パリの東駅に隣接した宿泊ホテルは昨晩は全員白人従業員でしたが今朝は全員黒人でした。このあたりが現在のパリの状況なんでしょう。
 そこから8:10発のTGV(新幹線)に1時間40分、一面雪景色とスノウ・ホワイトが続くうち、Nancy着(雪のため30分程度延着でしたが、もともと待ち合わせ時間が40分あったので乗り継ぎはセーフ)。そこからToulまで地方線に乗り換えて、進行方向右側にゆったりとした水量の川をみつつ、15分(なぜか雪が消えてました)、本当はそのまま列車でNeufchateauまで行けるはずだけど途中が工事中とかで、そこで乗り換え時間5分のバスに飛び乗って、延々と平原状の地形での農地景観の中を直線で走る、よって旧ローマ軍道を彷彿させる道を40分、ようやく正午前にヌフシャトー駅前に到着できました。こういう複雑な経路だったので、林君抜きにはとうてい行き着くことはできなかったでしょう。感謝。

 ここのホテルに荷物を置き、フロントでお願いして、でも大分待たされたタクシーで、1時半にGrand目指して出発。タクシー代は往復70+10ユーロ。往復とも林君相手に絶え間なくしゃべり続ける同じ中年女性が運転手でした。ヌフシャトーの町外れには近世と思える城塞跡が残っているようで、水量の多い川を渡り、徐々に高度を上げていく感じでした。そこの自動車道も直線が主体でした。

 グランには20分も走ったでしょうか。まず小学生用と思われる漫画チックな掲示板のある広場で、町のパン屋で買ったパニーニをかじって、ちょうど2時間見学しました。ここの目玉遺跡の円形闘技場とモザイクの家は冬季休業中で、これは事前にわかっていたことなので、しょうがありません(もし開いていたらもう1時間は必要でしょう)。若干ぱらぱら小雨の降る曇り空の中、住民400名の小さな村落で、出会う人も皆無の村の中の道を、表示板にしたがって、厳重に金網で囲まれた円形闘技場(片方が未復元)、1035年に記録が初出の皇帝ユリアヌス下での女性殉教者、Libaireの殉教者記念堂(村の共同墓地付き)を覗き、列柱廊や浴場があった広場、閉館中で旧バシリカの床を飾っていたモザイクを収めた家は素通りして、当時この地域を丸く囲っていた城壁の土台跡、神殿跡に立っているという教会とその下の洗濯場、などを見学して歩きました。この間すれ違った住民は数名のみ。
 帰り道でのこと、モザイクの家の裏側で保育園の子供たちが園庭に遊びに出てきて賑やかな歓声が聞こえ、保母さん一人に10名余り、全員白人の可愛い顔で向かえてくれたので和みました。そのちょっと向こうにあるこぢんまりとした小学校には、場違いな感じで統廃合反対の横断幕が貼られていたのでなおさらでした。

 ここに、コンスタンティヌスが310年頃立ち寄り、ケルト起源のガリアの太陽神Grannusの聖域で、アポロン神の出現を体験し、30年間の統治を予言された、という異教側史料があって、それがキリスト教側にとっては、太陽神と重なり得るキリストやキーローの出現と、後年解釈されえたわけです。私見では、その後の展開を考えると事実は異教側にあって、それを強引に改ざんしたのがキリスト教プロパガンダだったと判断すべきで、私としては真偽を確かめるヒントを得るべくグランを訪問しなければならなくなったわけです。

 私にとっては、現在は寒村にすぎないグランが、かつては、ガリア古来の清冽な聖泉が存在し、霊験あらたかな治癒祈願の聖地で、当時巡礼が引きも切らず訪れてきていて賑わっていた保養地でもあったこと(帝国内有数の規模を誇る円形闘技場がその証です。おそらく東部のアスクレピオス神の医療施設エピダウロスなどに比すべき地だったのでしょう、規模はあれほどはありませんが)、212年ごろに時の皇帝カラカッラが訪れた記録もあるようで、それらが確認できたことで十分でした。
 あいにく季節はずれの訪問で、旧バシリカの広大な床モザイクが保存されている施設に置いてあるはずのパンフレットなども、入手できませんでしたが、ともかく、その夜のホテルのレストランでは林君と祝杯をあげたことでした。ちなみに二人で63.76で切りよく70(食前酒+生ビール)。イタリアのあっさりした味に慣れている私には若干重い夕食でした。
 到着時に林君がめざとく観察してましたが、この町ではフランス人以外は見ることありませんでした。我ら二人がまぎれもなく異邦人だったわけです。とはいえ別段奇異のまなざしに会うこともなく、それどころか、タクシー運転手のおばさんの甥は、木工の技術を習得して、日本人女性と結婚して東京に住んでいるのだそうで、最後の挨拶は日本語で「さよなら」でした。

 今日は、メッスに向かいます。そこの博物館にはグランの治癒神と深い関係のあるらしい円柱上に飾られた石灰岩製のAnguipedeの騎馬像が展示されていて、それを拝見するためです。同様のものは反対側に位置するEpinalの博物館にもあるようですが、そこに寄る時間は今回残念ながらありません。

 なお、ホテルに帰ってからの林君のウェブ調査では、ドイツのバイエルンのLauingen近くのFaimingenにはローマ時代のApollo-Grannus神殿があったようです。ここに212年にカラカッラがやってきて病気治癒のため神殿を建てたとのこと。ストラスブールを挟んで東西にガロ・ローマン時代の著名な治癒神神殿があったわけです(ないしは、Grannusという同一地名で両者は混同されていて、本当は片方だけだったのかも)。

 コンスタンティヌスにはなぜ、それを崇拝する意味があったのか。私見ではそれを、彼は当時トリーアを拠点にしていて、彼の麾下の最も信頼していたゲルマン・ガリア出身の兵士たちの支持を獲得する必要があったから、と想定しているわけですが、それ以上のことは、将来後続の研究者が実証してくれることを念じております。

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2/8
各位:豊田@Nimeです。

 アルジェリアから帰って、ずっと頭の中はアウグスティヌスだったのですが、2/5から丸一週間の予定でフランスに来ています。前半は北東の若干僻地にコンスタンティヌスの秘められた足跡を訪ねてましたが、朝の気温氷点下のMetzから半日かけてずっと同じTGVに乗り続け(一部300キロの速度ですが、在来線も走るのでそう速くなくて)、昨晩ニームにつきました。列車から降りて駅の階段を下るとき不覚にも足がもつれあぶなかったです。

 今日一日と明日午前中までここに滞在してパリに帰りますが、ニームでは単純に、昔撮っていたはずのどこかに行ってしまった円形闘技場の立ちション用トイレの写真再撮影するのが主務です。これだけなので大幅に時間余るのですが、ニームの博物館は改装のため閉館中の由で、今日は新たに博物館ができているというポン・デュ・ガールにバスで行く予定です。南仏では昔回った他のローマ遺跡も再訪したかったのですが(実は立派なトイレ遺構が多い)、その余裕がないのが残念です。

 そろそろ頭の中を帰国便がよぎりだしてますが、パリは雪だとかでちゃんと飛行機が飛んでくれるかどうか心配です。昨日フランスを北から南に縦断したのですが、ところどころに薄っすら残雪あっても、ずっと霧の風景でした。南仏のニームも夕食に出た夜の温度は3度と、体感的には北と変わりません。夕食は本格中華にありつけました。同行の林君は麻婆豆腐が食べれたと感激してました。私は「ポタージュ」と頭についていたので疑問でしたが、酸辛スープを頼んでみましたが、イタリアの「アグロ・ピッカンテ」と同じで、増量したその辛さに疲れが癒やされました。4皿と青島ビールを含め二人で50ユーロ。やっぱ中華は貧乏人の味方です。今回のホテルには台所もついているので、今日の夕食は分厚いステーキ焼こうと話してます。

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2/10
豊田@ニームです。

 昨日は、午前中に円形闘技場、昼にPons du Gard、夜はフランス料理でした。

 実は、今回訪仏の最後のミッションには失敗し、元気が出ません。

 舐めるように入れるところは見て回ったのですが、お目当てのものがみつかりません。座席下に位置するアーチ通路の曲線の内側に沿って立ちション用とおぼしき、だけど大理石製の平たい浅い彫りの石材がずらーとはめ込まれたのを、30年前には見た記憶あったのですが、・・・お母さん、あれはどこに行ったのでしょうか・・・。研究書にも写真があるというのに。林説では、立ち入り禁止の工事用具置き場にあるのでは、というのですが。

 負け惜しみですが、でも転んでもただでは起きない! 階段の上下で足をガクガクにしながら歩き回るうち、地階からの登り階段の踊り場部分に妙な遺物を今回見つけました。なぜかどこの通路にでもというわけではないのですが、添付写真のようなものが両方の壁沿いの床に浅く彫られてまして。ご丁寧に下方に小さな穴が開いているのと開いていないのがあって、統一感がなく、用途的によくわからない遺物なんです。
 ご存じの方、教えてください。私は、当然立ちション用便器と考えてますが。

 長くなるので昼は飛ばして、夜です。台所あっても油も調味料ないので、林君が探した地元のレストランに行きました。定食23.5ユーロのコース、二人で2016年産地元赤ワイン1本込みで70弱ユーロで、満腹しました。ワインも渋みが強く肉料理に合ってました。

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2/10
各位:豊田@パリです。

 本日、ニームでは十分すぎる時間を町歩きで消化し(17500歩、昨日は25000歩の由:晴れていて7度くらい、ひなたは暖かったが、風はきつかった)、午後にtgvに乗り、先ほどパリに着きました。車窓からの風景は、最初の1時間は晴れ、次の1時間はだんだん雲が多くなってきて、ところどころに残雪、そしてパリが近づくと、日没したせいでもないでしょうが、一面の残雪となりました。
 今日のホテルは、パリ・リヨン駅から歩いて5分くらい。

 そこでご報告があります。今回の宿泊ホテルすべてで、パスポートの提示を要求されませんでした。これはどうしたことなんでしょうか。あののんきなイタリアでも必ず提示するのに。

 2日続けてのフランス料理は重たいので、これから名代の中華料理屋にメトロに乗って行こうと思います。
 明日、帰国の途につきますが、天気予報だと「晴れ」らしいので、飛行機がちゃんと飛んでくれることを祈ってます。
 林君には本当にお世話になりました。

       ご感想やご意見はこちらまで:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

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