古代ローマの感染症:(8)その工芸品?への反映[閲覧注意]

 残念ならが、今秋の広島での学会大会も中止されたようだ。確かに晩秋であれば年中行事のインフルエンザの流行にまぎれて、コロナの再発もありえるわけだ。そこで発表予定だった内容の中心部について、概略を記しておこう。初めに弁解を。この勉強を始めて海外に発注した本を二か月経っても未だ入手できていない。航空機が飛んでいないせいだろう。また、国内大学図書館も休館中である。そのため文献的に完璧を期せてないことをお断りしておく。

 マルクス・アウレリウス時代の疫病については、すでに史料的限界が許す限りでの検討が行われてきた。ここではちょっと従来と違うアプローチを試みる。それは、出土遺物の、とりわけ彫像類において病気を示していると思われる諸事例の検討である。それに関して、古来(といってもせいぜい19世紀以降であるが)挙げられてきたものを、感染症の周辺を含めてまずは列挙してみる。

 ちまたでは、疫病の考古学的証拠として著名なのは、たとえば、エジプトのファラオ・ラムセス5世(前1157年死亡)のミイラの頬に一面のイボがある所見から、彼の死亡原因が天然痘だったのではと言われてきたが、最近では、この痕跡は水疱瘡によるものと疑われているらしい(水疱瘡はヘルペスウイルスで、人類誕生以来感染していた)。さてどうだろうか。私のような文系の素人からすると、細胞培養かなんかすれば病原菌も特定できるのではないかと想像するのだが。また、庶民のミイラもたくさん出てきているのだから、それらの調査ではどうなっているのだろうか、とつい思ってしまう。

左はラムセス5世のミイラ、頬のぶつぶつに注目;右は水疱瘡の皮膚所見:ぜんぜん違うような

 古代の医療に関しては、ex voto(病気治癒の祈願成就の奉納品)の出土品がまずは注目される。著名なのは古代ギリシアのアスクレピオス神域からのそれらであろう。ローマ時代だとたとえば以下は、首都ローマのテルミニ駅の東、引き込み線操車場の南に隣接のTempio di Minerva Medica(医療女神ミネルウァ神殿)出土のex votoである。

左,上左が胎盤、右上は乳房・下左が内臓、下右が子宮;右、足と手

 こういったex voto以外にも、グロテスクな異形の人物像(例えば、くる病、朱儒など)を表現した遺物は多く、中には義足・義肢らしきものの出土すらある。

左上、エジプト出土ミイラの、左下、イギリス出土の、足指補正具;右はカプア出土の金属製義足とその縦断面

 だが、我々が知りたい感染症関係の証拠はほとんどない。かろうじてこれまでそう主張されてきたものについて列挙し、だが判定にきわめて慎重なのが以下の論考である。M.Grmek e D.Gourevitch, Les Maladies dans l’art antique, Fayard,1998, pp.341-347. なにしろそもそも該当テーマでの彼らの章立てが「錯覚の病理学 Les Patrologies illusoires」となっていて、従来の諸見解は妄想であると概ね斥けている。彼らが列挙するもののうち、マルクス・アウレリウスの疫病に直接関係するのは、②、③、⑤の3つだけで、しかも著者たちはいずれに対しても天然痘を表現したものでないと結論づけている。これをめぐって若干の論争があるがここでは深入りしない。

① 播種性結節により神経線維腫の診断が下された小立像:この写真のみ現存し、大きさすら不明の由

この写真のみ現存し、所在不明で追跡調査不能

② 皮膚に結節が描かれているサテュロス像:ローマのVilla Albani-Torlonia所蔵

足に顕著なぼつぼつは、野蛮性を表現しただけのことでは、と:右二つは美術表現としてそう描かれているシレノス像

③ 多数の結節が描かれた肘ないし膝の断片

何を表しているのか諸説あるが、先述のTempio di Minerva Medicaで発見されたので、膿疱の可能性も否定できない。

④ 単なる女神・女性像の頭髪部分の剥落事例?

これもTempio di Minerva Medicaで発見されたので、「禿頭」平癒祈願との解釈もあながち捨てきれないような

⑤ 髭ないし毛瘡を思わせるドッド模様

首や胸にも見えている:ナポリ国立博物館所蔵

 たしかに古代の事物製作者がいかなる意図でそう描いているのか、慎重に考察すべきであるが、とりわけex votoの場合は病理現象に関わっているという方向で捉えてよいかもしれない。

天然痘の症状:学会の口頭発表では最初にこれらを見せて、つかみにしようと思っていたのだが・・・、我ながら悪趣味である

 最後に付言しておく。このex votoであるが、実は現代にいたるまでよく見られる奉納物である。特に、奇跡を信じるイタリアにおいては。市内を歩いていて突如心臓を模した金具がいっぱいぶら下がっている壁に遭遇したり、巡礼地や教会内の聖母マリア像なんかのまわりに一面にぶら下がっていたり(2019/12/11掲載のSant’Agostino教会の聖母子像右のもそれ)・・・。否応なく庶民の悩みの多くがとりあえず病気や身体的不具合であることに気づかされるのである。治癒を願っての奉納が勝っているような気もしてくる*。となると、右足首が思わしくない私もそろそろ奉納してみようかしら。

石畳が多く冬冷え込むイタリアでは足がらみが多いように思う:子供のそれは受胎祈願、いや水子供養もありか
  • 最近知ったのだが、祈願成就での奉納はvota solutaで、祈願のそれはvota suscepta、というらしい。

【余談】ところで、アスクレピオス神殿等での古代ギリシア以降のex votoの奉献物に、明らかに腹部切開による内臓器や子宮の奉献物があるわけで、これはすでに古代において人体解剖は行われていた、としか私には思えないのだが。やはりガレノスの動物解剖は世間的目くらましだったのだろう、という確信が強まらざるを得ない。我が愛しい嫁さんは、「動物を解体して食していたのだから、生きた人間に何かをするのは避けたにしても、死体を腑分けするなんてことは簡単なこと」とのたもうた。この調子だと私の死後、平気で腑分けされそうで恐ろしい。ちなみにご自分は解剖させていただいた恩返しで献体登録されていらっしゃる。立派なことだ。私は、一年間フォルマリンのプールに無様な裸体でプカプカ浮かんでいるのを想像するだけでおぞましく(それ用にダイエットしなきゃあならんだろ (^_^;)、直行での焼却炉行きを希望している。

左、パレストリーナ博物館所蔵;右、ローマ・ティヴェル川・中の島出土、ローマ国立博物館所蔵
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