月: 2020年11月

1981年のコロッセオ西側景観

 私は4年ほど前の論文集掲載論文(「記念建造物の読み方:コンスタンティヌス帝の二大建造物をめぐって」豊田編『モノとヒトの新史料学:古代地中海世界と前近代メディア』勉誠出版、2016年、pp.72-92)で、現在のコロッセオ西側景観について言及した。本文中にも書いたが(p.88)、実はかの場所の一画にはハドリアヌス時代以降ずっと方形区画の台座が遺存していた。それは1936年にムッソリーニによって除去された。地下鉄工事開始はその翌年のことである。その方形区画が1983年、というから47年振りに復元され、現在我々が目にする景観となっている。その方形区画の上には皇帝ネロが作った巨像が姿を変えながら、少なくとも5、6世紀までは立っていたのである。そして、主を失った台座はなぜかそのまま14世紀間遺存され続けた。

地下鉄工事は地上の遺跡構造物を紙一重避けていたことがわかる
上記二葉はウェブから拝借

 実は私のささやかな悪戯心で、「あれぇ、あんなところに方形区画がぁ? 行ったことあるけどそんなものありませんでしたよ」との、昔観光したことある読者からの指摘を虎視眈々と待っていたのだが、残念ながら未だ全然反応ないので(ど、読者数が圧倒的に少数のせいでしょう、たぶん (^^ゞ )、知らなかったと思われるのがしゃくなので、今回しびれを切らして台座復元前後の写真を掲載しておく。最初の二葉が1981年のもの、最後の一葉は台座が復元された後の1998年のものである。引用典拠は以下:R.Rea, Studying the valley of the Colosseum (1970-2000):achievements and prospects, in JRA, 13, 2000, pp.93-103.

左隅の路上の円形は、メタ・スーダンスの場所を示している
南からサン・グレゴリオ通りを走ってきた自動車道はそのまま北進できたわけ。但し写真を見るといかにもローマらしく北から南への一通だったようだ
現在、南からの自動車道は凱旋(アーチ)門手前で東に逸れていて、ここ一帯は車両禁止で公園化している:中央右の樫の木(この時は4本かと:拙稿執筆時に一本切り倒されていたことが判明して、慌てて修正した)の立つ箇所が件の基壇

 古都といえども景観は次々に変わっていく。それというのも、ローマが旺盛に現在進行形で生き続けている街だからだ。

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