Thomas Froehlich & Silke Haps, Architektur und Dekoration der Columbarien an der Villa Doria Pamphilj, XVIII CIAC:Centra y periferia en el mundo clasico, Merida, 2014, pp.1187-1192(=https://www.academia.edu/18451855/Architektur_und_Dekoration_der_Columbarien_an_der_Villa_Doria_Pamphilj_Rom).
Dorian Borbonus, Columbarium Tombs and Collective Identity in Augustan Rome, Cambridge UP, 2004.
都市オスティアの正門のローマ門Porta Romanaを入ってすぐに、かなり広い空間の女神ウィクトリア広場Piazzale della Vittoriaがある(現在、その広場の左奥に女神ウィクトリアのレプリカ像が設置されているが、本来は城門上に立っていた由で、出土現物は遺跡内博物館所蔵)。そしてこの広場の東側には一見不必要なほど大きなニンフェウム(泉水:長さ23m;前面に貯水池あり)があって、私には長らくなぜこんなに巨大なのだろうと疑問に思ってきていたのだが、今回面白い叙述に出会って、なるほどと腑に落ちたのである。
こう考えることで、これも私の積年の漠然とした疑問だった、なぜ城門近くにわざわざ浴場(Terme dei Cisiarii:すなわち「御者たちの浴場」II.ii.3)が存在するのか(も少し先に巨大な「ネプチューンの浴場」があるではないか)、も同時に氷解した。無蓋の軽装馬車でローマから到着した乗客や御者がここで埃や汗を洗い流すことができたわけだ。そのつもりでこの浴場の冷浴室frigidarium(下図でのA)の舗床白黒モザイクを読み解いてみるとたいへん興味深い。すなわち、描かれている中心テーマは、無蓋の軽装馬車と御者・乗客、それを牽引するラバなのである(周辺には海に生息する海獣たちと泳者も見えるが)。部屋の真ん中の排水口を囲む城壁と四隅の塔(それをアトランテス、ないしテラモネスが支えている)はおそらくオスティアを意味し、この部屋の壁沿いをぐるりと取り囲んだ城壁には数多くの城門が描かれているので、帝都ローマとも絵解きできるわけである(cf., https://www.ostia-antica.org/regio2/2/2-3.htm)。また、この浴場には2つのバールも付属していたので、一風呂浴びるだけでなく、一息入れて軽食をとることもできる仕組みだった。たぶん御者たちのたまり場だったに違いない。ところで、御者ってやっぱり奴隷・解放奴隷の職種だったのだろうか。
上図左は二頭立てを御者が乗客2名を乗せ、右は一頭立てで御者が客寄せしている場面だろうか。下の2つには荷駄獣(たぶんラバ)の名前が記載されていて貴重である。左のPudes(はにかみ屋)とPodagrosus(痛風持ち)は並んで水を武者振り飲んでいる様子から、オスティアに到着直後で、御者は足台のはしごから客を下ろしているところだろうか、右のPotiscus(がぶ飲み)とBarosus(腰抜け)は御者に手綱をとられている;ちなみに彼ら4頭はその名前が明記された最古のラバらしい(cf., J.M.C.Toynbee, Beasts and Their Names in the Roman Empire, Papers of the British School at Rome, 16, 1948, 24-37)。
場所は、遺跡群の北西端といっていい「ミトラスの浴場」Terme del Mitra(I.xvii.2:その先には旧河口にあった宮殿以外ほとんど未発掘)。ここは1939-40年に発掘され、創建はハドリアヌス時代で、セウェルス朝時代と四世紀第1四半世紀に改造されたことがレンガ積みによって判明している。現況でみると、南北に細長いこの箇所は地上に浴場とキリスト教教会堂の遺跡が相前後して広がり、西外側地下にはミトラエウムがあってミトラス神のもっともらしいレプリカ像が置かれ(本物は遺跡内博物館に展示)、これらすべては通常の見学者でも見ることができる。逆の東側地下は南北の通路となっているが、こっちには許可なしでは入れない。
その右壁の床に大理石製とおぼしき奇妙な構造物がある。さてそれが何なのか、排水口でよく見る切れ口の穴があり、屋内での壁際でもあるので、ひょっとしてとの思いは最初からあったが、本当に思い付きのレベルなので口には出せず、これが積年の課題だった。この狭い空間、逆方向も鉄門で閉鎖されていたが、鍵さえ開けてもらえれば進入できる感じだったので、そのころ遅ればせながらようやく見つけたほとんど唯一の先行研究文献(Nielsen,I. & Schiøler,T., The Water System in the Baths of Mithra in Ostia, in:Analecta Romana Instituti Danici, 9, 1980, pp.149-159+plate)を把握した上で、2016年に管理事務所の許可を得て開けてもらった。以下の写真がその時のもの(同時に、堀教授グループのレザー測量も入った)。
こうして、立ちション・トイレがおのずとfullonica研究につながってくるわけである。となると、ポンペイ出土のフレスコ画に触れておきたくなるのも人情というものだが(但し、もう遺された時間がないので、fullonica研究は後進に譲っておこう:とりあえず以下参照、Miko Flohr, The World of the Fullo:Work, Economy, and Society in Roman Italy, Oxford UP, 2013)、私はこれを所蔵場所とされていた国立ナポリ博物館で探していたのだが、偶然まったく予想外の部屋でみつけることができた。これについてだけ紹介する機会を持ちたいが、そこでも子供の作業員が描かれていて示唆的である。
【備忘録】もうひとつ、男子専用立ちション・トイレが確認されている中部イタリアのMinturno遺跡について触れる機会を得たいものだ。ここには写真だけ掲載しておくが、例のJansen女史の論文もある。Gemma Jansen, in: a cura di Giovanna Rita Bellini e Henner von Hesberg, Minturnae.Novi contributi alla conoscenza della forma urbi, Edizioni Quasar, Roma, 2015, pp.129-138.
上階トイレの総まとめや、そうそう、トイレの宝庫、Piazza ArmerinaやVilla Adrianaにも触れなきゃ。さてさて私に残り時間はどれほどあるのやら。学部演習で完訳した以下の内容も紹介したいものだ。B.Hobson, Latrinae et Foricae:Toilets in the Roman World, London, 2009.
2015年に、現在のローマ市の中心部から前6世紀の大きな邸宅が発見された(参照、https://www.digitalaugustanrome.org/:85付近かと)。その場所は、古来Quirinaleの丘と呼ばれている地区で、現在ではテルミニ駅から共和国広場を経て、バルベリーニ広場に弧を描いて至るバルベリーニ通りの北端に位置するPalazzo Canevari(Largo di Santa Susanna, 13)の敷地内で、その改築現場での2010年からの予備発掘によって出土した。この歴史的建造物は、19世紀後半にイタリア王国で3度財務大臣を勤めたQuintino Sellaによって建てられ、地質学研究所の元本部で、現在はCassa Depositi e Prestiti S.p.A.が100%所有するCDP Immobiliare=不動産開発セクターの所有である。2013年に前五世紀の神殿が発見され(幅25m、長さ40mと、当時ローマ最大級:その下から前七世紀の新生児の骨格も出てきた由)、調査は周辺に拡大され、そこで今回の発見に至った。
なお、Pompeii in picturesの中では(https://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/VF/Villa_055%20Oplontis%20Villa%20of%20Poppea%20p12.htm#_Room_47:_Latrine)、この横長トイレを女性用、馬蹄形のほうを男性用と表記しているが、納得できない。
また、この邸宅の北と東側を占めている大規模(約1800㎡)で眺望絶景なうえに豪華絢爛な邸宅「テレフォス・レリーフの家」Casa del Rilievo di Telefo (Ins.or.I,n.2:下図・写真参照)が、もしウェスパシアヌスが勝利して皇帝になった68-9年の内乱で、彼を支持した元老院議員マルクス・ノニウス・バルブスM.Nonius.Balbus 所有のものだとすると、ひょっとするとそこにティトゥスが滞在した折に(ヘルクラネウムにおいて格式的にも皇族の宿舎に最もふさわしかったはず)、同行していた侍医が隣家に逗留(分宿)したのかもしれない。いずれにせよ、この落書きを記したのがはたして侍医自身だったのか、それとも貴人逗留を記念して家人が書き込んだものなのか、謎であるが。常識的に後者の方がありえるだろうが。