半ミイラ化遺骸、ポンペイより出土

 2021/8/17公表:ポンペイ遺跡区画の東端の「サルノ門」Porta Sarno外の、ヴェスヴィオ周遊鉄道の先にあるネクロポリスを調査中の発掘隊が、「M.Venerius Secundio」の墓銘碑を有する中規模の石造墓の奥から、一体の遺骸を発見した。骨格分析から60歳以上の男性と判明したが、当時火葬が普通のところ、半ミイラ化した土葬遺骸の出土はめずらしい。ポンペイ埋没の数十年以前の埋葬。

このネクロポリスは遺跡区画東端のさらに東で、写真の撮影地点あたりの新発掘で出土した:現在未公開
、件の墳墓                  、墓標

 銘文は私の読み取りだと以下のごとし。「M VENERIVS COLONIAE / LIB SECVNDIO AEDITVVS / VENERIS AVGVSTALIS ET MIN / EORVM HIC SOLVS LVDOS GRAECOS / ET LATINOS QVADRIDVO DEDIT」:「M.Venerius Secundio、 植民都市(ポンペイ)の解放奴隷、(女神)ウェヌス(神殿)の、アウグストゥス(礼拝団)の番人、そして彼らの従者【min(ister) 】、彼は単独でギリシア語とラテン語の(演劇)諸競技を4日間にわたり提供した」。遺骸の頭部には毛髪と左耳の耳たぶも確認できた。

 被葬者は、死亡時には解放奴隷になっていたが、たぶん前歴がポンペイ市所属の公的奴隷だったのだろう。同時に女神ウェヌス(ポンペイの守り神であった)神殿と、アウスグトゥス礼拝団の番人を兼ねた従者として終生勤務していたと思われる。そしてまた、ギリシア語とラテン語の競技を4日間主催したことからも、そこそこの経済的上昇を果たすことに成功し、こうしてポンペイでギリシア語演劇が上演されていたことを実証した初めての証言者ともなった(ポンペイでは奴隷や売春婦がギリシア語を話していたという記事あるので、当たり前といえば当たり前なのだが)。またこの墓地の囲い内からは二人の火葬墓(遺灰壺)も出土し、その一つが「Novia Amabilis」と刻まれた人型墓柱columellaを持っているので、それはたぶん妻のものと思われている。

 霊廟奥の小墓室の遺体    頭部は枕の上に置かれている。耳たぶ↑

 他にも興味深い出土品があるがここでは触れない。とりあえず以下を参照されたい。http://pompeiisites.org/en/comunicati/the-tomb-of-marcus-venerius-secundio-discovered-at-porta-sarno-with-mummified-human-remains/

 私的に興味があるのは、2点。ポッツオリで活躍したリタイア銀行家で、書写板出土で著名なL. Caecilius Iucundusの邸宅(V.1.26)の、その書写板にもこのVeneriusは登場しているとのコメントがあるのだが、現在まだ未確認。第二は、墓碑銘中の「MIN / EORVM」にちょっと突飛な別解釈あって、旧約聖書の「ヨブ記」11.1, 20.1に登場する「ナアマ人ツォファル」(新共同訳表記)との関連を探って、我らのVeneriusをユダヤ教ないしキリスト教と関連する東方人種(ならば土葬も合点される)と見るわけである。また、後世のアウグスティヌスとヒエロニュムスでは,彼らをファリサイ派が異端視しているナザレ人と関連づけている由だが、さて。

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