後6世紀に被解放奴隷がいた

 2022/1/10公表。2007年にトルコ南部ハタイHatay県アルスーズArsuz地区で、自宅のオレンジ畑に苗木を植えていて遺跡が見つかり(たぶんそれ以前に見つけていたが、今回届け出たということかも)、発掘調査されてきていたが、今回の発掘シーズンにそこから6世紀の聖使徒教会の舗床モザイクが出土した。その銘文から奴隷が解放された後、神に感謝するためにその舗床なり建造物を寄進したことも判明。

シリアとの国境近くに位置する著名なアンタルキア(Antiocheia)の北西海岸線にArsuzがある

 以下、発掘者の言。「ここでは3廊式のバジリカ教会が出土していて、舗床にモザイクが施され、その碑文から、この教会が3人の使徒教会と名付けられたことが分かった。今年行われた発掘では、別のモザイク部分が出土し、孔雀と碑文が描かれていた。モザイクには天国が描かれ、銘文から奴隷が解放された後、神に感謝するために寄進したことが判明した」(https://arkeonews.net/a-mosaic-made-by-the-freed-slave-to-thank-god-was-found-in-the-church-excavation/)。

中央に教会遺跡。今回の出土モザイク場所は右上隅

 明快なギリシア語残存文字なので読解を試みたくなる。いずれにせよ、後6世紀段階でも奴隷や被解放奴隷が存在していたわけだ、それもキリスト教信者に。

【追記】こう書いたら、某君が速攻で銘文を解読して送ってくれた。私は目前に急ぎの仕事あるので、後日検討させていただくが、ざっとみて私見とは読みが違う箇所もあるようだ。ご意見ある人は遠慮なく。k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

原文:

某君試訳:

我らの最も神聖な監督 Zosimianos と我らの敬虔な長老 Christianos の下で、最も高貴で、 彼の力で解放となった Ioulitta が、自身とその子孫の救いのために、Kosmas と Timotheos によるこのモザイク舗装の仕事の世話をした。

【追記】これに限らず、トルコからはあれこれ興味深い碑文が出土しているようだが、ウェブでの情報は発掘関係者のインタビュー記事レベルに留まり、碑文の具体的内容に触れることがまれなので、私は欲求不満である。以下はほんの一部:1/10掲載も参照。

 2015年8月:トルコのラオディキアで1900年前の大理石板に、水道管理法文が書かれていた(https://www.ancient-origins.net/news-history-archaeology/marble-slab-inscribed-1900-year-old-water-law-unearthed-turkey-003682)。

 2016年10月:トルコのイズミル県内の古代都市Teosで発掘された2200年前の碑文に、58行からなる古代の契約書が書かれていた。それには、土地のリースやレンタル奴隷をどう扱うべきかについて書かれていたとのことだが(http://arstechnica.com/science/2016/10/2200-years-ago-in-turkey-this-insane-rental-agreement-was-inscribed-in-stone/)、レンタル奴隷の件への銘文の言及はない・・・。

石碑洗浄中

 2019年9月:トルコ西部カラジャスの古代都市アフロディシアス発見の、これまでになく多くの断片からなるディオクレティアヌス最高価格令勅令(https://call-of-history.com/archives/21846)。これはイギリス隊なので早晩公表予定とされているが。

これだけで勅令全文とは思えないのだが・・・
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