大型の火山爆発の影響は、直後の被害のみならず、後に尾をひくことはもう常識だろう。たかだか1時間の爆発での噴煙は成層圏に達した(とはいえ今回はそれほどでもないと見積もられているが:https://mainichi.jp/articles/20220125/k00/00m/040/310000c)。
たまたま別件で予習をしていたので、イタリアのヴェスヴィオ火山関連のものを紹介しておく。といっても当時は写真があるわけではないが。以下のレリーフは、後62年の地震によりポンペイ市内の建造物が破損した情景を描いたものとされる貴重な証言である。場所は、ポンペイ遺跡のV.1.26「Lucius Caecilius Iucundus の邸宅」の玄関入ってすぐのアトリウム(下2つめの平面図の番号1)左角隅に設置された家庭祭壇 lararium にそれはあった。この家の主人は銀行家で、そのため敷地内から多くの書字板文書も出土したらしい(そのレプリカが今般のポンペイ展に来るそうだ)。祖父ないし父 Lucius Caecilius Felix の青銅胸像はヘルマ柱ともどもナポリ博物館所蔵されている。実は2022/1/5にアップした犬の塑像関係で紹介したモザイク舗床がまさにこの家の玄関を飾っていたのである。
正面上下それぞれに、上がヴェスヴィオ門付近(左端は配水塔でこれは頑丈で地震でも残った、次が崩壊した門、それの下敷きになった感じの荷馬車と輓獣2頭)、下が forum 周辺の被害状況を描いたものだろう(現在ではこの2枚は取り去られている:上のは盗まれ、下のは国立ナポリ博物館所蔵)。
それにしてもこんな場面、どういうつもりで家庭祭壇の装飾に採用したのやら。肉親から犠牲者が出たからというわけでもなかろうに。その意味で、この屋敷が第5区第1街区という立地条件を考慮に入れると、ヴェスヴィオ門や配水塔(それに背景となっている城壁)は身近なご近所だった。そしてフォルムはまあどう言っても都市の中心地で公共建築物も集中しているわけで、そこの惨状を記録に残して、日々神々とご先祖様に無事息災を祈っていたということかもしれない。
風景の細部について改めて論じる機会がさて私に残されているかどうか・・・。とりあえず、共に右隅に描かれているものが何を意味しているのか。特に上のレリーフの方がよくわからない。
発掘の結果、後79年の大爆発によってポンペイが完全に埋没するまでの足かけ17年をかけて、だがしかし街の修復はさしたる進展も見ないまま打ち過ぎていたことが、そこかしこいまだ工事中で散見され判明している。インフラの復旧すら達成されていないということで、後62年のあとポンペイの有力住民をはじめ逃げ出せる者の多くが街を放棄したので、都市としても復興資金不足となってという事情もあったのだろう。そして行き場のなかった居残り組が79年の犠牲者となったわけだ。それにしても、地震で崩壊したヴェスヴィオ門が17年後に修復されていなかったとすると、最後の第4サージで怒濤の如く迫ってきた火砕流の恰好の城内への突破口となったはずだ。その意味で、現在でもまさしくヴェスヴィオ門周辺が妙に平べったい印象あるのは、示唆的ではなかろうか[後62年の地震とその影響については、以下参照:金子史朗『ポンペイの滅んだ日』原書房、1988年、pp.69-75]。
うん、こりゃあれこれエピソード豊富でまとめるのにいいテーマだ。なんだかオリジナルの論文書けそうな気がしてきた。しかし私でも思いつくこの程度のことは、目端の利く欧米の研究者がすでに言っていないはずはない。
【追記】上の不明イメージについて複数の美術系知人に問聞きの回状メールを送付したところ、間髪入れずにある人物から返答があった。さすがである。
A cura di Filippo Coarelli, Divus Vespasianus:Il bimillenario del Flavi, Ministero per i beni e le attività culturali, Soprintendenza speciale per i beni archeologici di Roma, Electa, Milano, 2009, pp.484-5 からのスキャンが送られて来た。本書はたぶん展覧会のカタログで、項目執筆者は Fabrizio Pesando。以下、レリーフのイメージ関連部分だけを紹介する。
「85:62年の地震の影響を示すレリーフ:フォーラムの建物
ポンペイ、カエキリウス・イクンドゥス家のララリウムより(V.1.23)
ルナー(イタリア・トスカーナ)製大理石
高さ16.5cm、長さ97cm Inv. SANP 20470
86:62年の地震の影響を示すレリーフ:Porta Vesuvio 付近の建物
ポンペイ、カエキリウス・イクンドゥス家のララリウム(?)より(V.1.23)
石膏模型
高さ18cm、長さ86cm、厚さ6cm
ローマ、ローマ文明博物館。 inv.M.C.R.1368
「フォーラムの建物」を描いたレリーフ(A, cat.85)は、アトリウムの北西隅に位置し、全体が大理石の板で覆われた石積みのララリウムの南側の上部帯を飾っており、一連の動物を描いた2つ目のレリーフがそれに連結されている。
(中略)
レリーフAには一連の公共および聖なる建物が描かれており、そのうちのいくつかは確実にフォルム地区に位置している。左側には大きな単一アーチがあり、西(見る人の左)に向かって強く傾いている。これは、いわゆるドルスス Drusus のアーチで、79年の噴火後に行われた剥ぎ取りにより、今日では大理石が全くないように見えるが(コーニスの断片とスラブを接着するためのダボがわずかに残っているだけ)、地震の後に南東側の上部を統合する工事で部分的に修復された。アーチの隣には、同じく西に傾いた大きな神殿が描かれている。ここでは四柱式 tetrastilo として描かれているが、フォルムの北側の短い部分を中心に閉じていた都市の Capitolium(実際に前面に6本のコリント式円柱がある)と同一視することができる。この神殿の特徴は、階段の中央にある祭壇と、両端にある2つの彫像の台である。今はもう存在しないこの像は騎馬像で、ユピテルの子孫である騎士の守護者ディオスクリを表していたのかもしれない。ウルセウス urceus=水差しとパテラpatera=供物皿は、フォルムとは限らない別の記念建造物で行われた具象的なシーンを紹介している。右側には他の生け贄の道具(トレイ vassoio、ナイフ coltello、シトゥラ situla=手桶)が並んでおり、犠牲式で使うバイペン bipenne(=諸刃の斧)を持った犠牲執行吏 victimarius が、雄牛の角を引きずって祭壇に向かって押している。祭壇のテーブルにはベールを被った女性の頭が、前面には動物(確実に子豚 porcellino)が描かれている。他の記念建造物とは異なり、このモニュメントは完全に無傷である。このため、このシーンは、地震の後、フォルム地区の聖なる建物の一つ(おそらく、いわゆる「公共のラレスの聖域」Santuario dei Lari Pubblici)で行われたテルスTellusへの贖罪の犠牲式を表していると考えられている。しかし、ポンペイにテルスの儀式を示す証拠がないため、この識別は不確かなものとなっており、シーンの解釈(地震の際にそこで行われていた儀式行為のために、まさに無傷で残った建物のプロディギウム prodigium=瑞祥)や、崇拝されていた神の識別(重要な聖域が捧げられ、非常に権威のある公の神権を持っていたウェヌスVenere[ポンペイの守護女神だった]やケレースCerere[ローマ古来の豊穣地母神]など)など、他の可能性が残されている。
浮き彫りBは、浮き彫りAとのテーマ的・様式的な類似性から、ララリウムの装飾そのものを指すと考えられているが、帝政期のポンペイの有名な建物も描かれている。配水塔 castellum aquae とヴェスヴィオ門は、実際に左手に完全に識別できる。前者は、都市に面した正面を示す3つのブラインド・ブリック・アーチ tre archi ciechi が、細部に至るまでごくわずかな誤差で再現されており、レリーフAの祭壇と同様、建物は無傷のようで、現存する遺構にも大きな損傷や修復の跡は見られない。それとは全く異なる運命を辿ったのが、近くにあるヴェスヴィオ門 Porta Vesuvio である。Porta Vesuvio は現在ではほとんど消滅しており、西側の角柱 piedritto だけが残っている。レリーフでは、ほぼ完全に右(東)に傾いており、巨大な両扉は開け放たれている。そう離れていないところに、牛かロバ buoi o asini[複数表記]のような動物が2匹で引っ張っている荷車があり、揺れで身動きが取れなくなりそうになりながら、町に向かっているようだ。その後ろには、盛り土 agger と城壁の上部が見える。城壁は整然とブロックを積み上げ、一連の狭間胸壁 merlature(CIL X,937の碑文に記されているように、スッラの植民都市 colonia sillana の初期に再建された plumae)で覆われている。Aのレリーフと同様に、右端には祭壇が置かれているが、ここでも完全な形で現わされている。構図の最後にある大きな木(樫)や、テーブルの上に置かれた供物(花輪corona vegetale、灌奠用のパテラ patera per le libagioni、初物を詰めた[豊穣の]角 corni riempiti di primizie)から、この祭礼の素朴さがうかがえる。 祭壇の前には、諸々の祭具 oggetti cultuali(おそらくリトゥウスlituus = ラッパ)のほか、動物が大きな杯 coppa = 酒杯をひっくり返している。なんの動物かは不明だが、上を向いた長い尻尾があることから、子羊は除外される。鼻の形や長い耳は、齧歯科やイタチ科の動物を表現するのに適している。後者の場合、イタチの可能性がある。イタチは、古代ローマの豊穣の神 Mutunus Titinus と結びついた、繁殖能力の高い動物である。
また、地震で破壊された建物と免れた建物が交互に現れるのは、こうした自然災害には必ず prodigia = 諸々の瑞祥が現れることを暗示しているのかもしれない(上記「Pesando」参照)。」
繰り返す、さすがである。私見では部分的に言いたいことあるけれど、この学的厚みと説得力に極東の老書生は太刀打ちできない。
【追記】なんと盗まれたほうが50年振りに発見された。本ブログ2024/1/3をご覧下さい。
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