2021/11/8にポンペイ郊外のCivita Giulianaの別荘villaから奴隷が居住したとおぼしき区画が出土した件を報告した際に、私は多少の疑義を匂わせておいた。
それは以前、九大の堀先生から、さてあれはオスティアでだったかポンペイだったか、「あの壁の凹みは何ですか」と聞いた私に、「あそこに家内奴隷が寝ていたのです」とお答えいただいたことがあったからだ。たまたまその写真に遭遇したので、忘れないうちにここに表示しておく。
写真の場所はポンペイ「百年祭の邸宅」の一画である。部屋の隅にこういう凹みがときどき見つかるのだが、ここに奴隷がむしろでも敷いて寝ていて、起きたらそのむしろを畳んで置いていたのだろう、というわけ。ご主人様の傍にいていつでもご主人様のご要望(小便したいから尿瓶もってこい、喉かわいたから水もってこい・・・)に対応すべく、ま、ペットの愛犬並の扱いだったと思えばいいのかもしれない。もちろん、奴隷の皆が皆、というわけではなくご主人様一家の身の回りのお世話をする下男・下女役に限ってのことで、他はさてどうしていたのやら。台所の上に作られ物置の役を果たしていた中二階や納屋などでのごろ寝だったと思われる。
ところで、この壁下の空間の狭さからも、家内奴隷のこういう役回りに子供が重用されていたことが立証されるかも知れない、と思ってしまう私がいる。
成人して扱いにくくなった男子奴隷は、より苛酷な農業奴隷や鉱山奴隷として売り払われ、そこで鎖でつながれて納屋の中に閉じ込められていたはずである。
【追記】私がかなり信頼しているアルベルト・アンジェラ『古代ローマ人の24時間』を読み直していたら、彼も奴隷がどこで寝ていたかに付言していた。文庫版のp.42:邸宅domusは奴隷を平均5〜12名抱えていたが、彼らは、「めいめいの部屋をあてがわれることはなく廊下や調理場で眠るか、あるいは小部屋で折り重なるようにして眠る。そして、もっとも信頼されている奴隷は、主人(ドミヌス)の寝室の前の床で眠るのだ。ちょうど忠実な犬が飼い主の足元で眠るように」と。わたしはそれをご主人様の「寝室内の壁際の床」のほうがいいのではと考えるわけである。