ポンペイ遺跡の中でも保存状態の良い建物の一つであるCasa del Fabbro(鍛冶屋の家:I.10.7)で、1932-33年にかけて行われたAmedeo Maiuriによる調査で発見されていた2名の骨格を、あらためて生物考古学と古生物学の学際的アプローチで分析したらしい。一人目は死亡時35歳から40歳の男性で、身長は約164.3cm。二人目は女性で、死亡時50歳以上、身長153.1cmだった。この身長はいずれも当時のローマ人の平均的な身長と一致するが、保存がよかった男性のほうからのみ全ゲノム配列を決定することができた。5/26にScientific Reportsで公開。
これまでは高熱に曝された遺骨ではDNAは破壊されていて調査不能とされていたが、最近の調査方法の進歩により解析が可能となった、らしい。
男性のDNAを他の古代人1,030人および現代の西ユーラシア人471人から得られたDNAと比較したところ、現代の中央イタリア人およびローマ帝国時代にイタリアに住んでいた他の人々と最も類似していること、この男性のミトコンドリアとY染色体DNAを分析からは、サルデーニャ島出身者に共通する遺伝子群も確認された。これはローマ帝国時代にイタリア半島全体で住民の移動がなされていたことを示唆しているが、かの男性の場合はイタリア半島的特徴が強いので外国からの奴隷ではなかったと考えられている。
また、この男性個体の骨格とDNAを追加解析したところ、脊椎骨のひとつに病変があり、結核の原因菌であるマイコバクテリウムが属する細菌群によく見られるDNA配列が確認された。このことは、この人物が生前に結核に罹患していた可能性を示唆している。この病気は、Celsus、Galen、Caius Aurelianus、Areteus of Cappadociaの著作で報告されているように、ローマ時代には風土病であったが、ごく一部の人にしか骨格変化が起こらないため、考古学的記録ではまれな病気であった。こうして、人間の移動にともなっての結核の蔓延も同時に立証されたわけである。
こういう科学的調査を徹底的に行うことで、古代ローマ帝国のライフ・スタイルの実際が再構築されてゆくのが期待できそうである。
【余談】
ここの玄関の外に落書きがあった(CIL, IV.8364).
Secundus
Prim(a)e suae ubi-
que i<p=S>se salute(m) Rogo domina
ut me ames
Secundusは、彼のPrimaに、彼女がどこにいようが、挨拶します。願わくば、女ご主人様よ、私を愛してちょ。
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