ポンペイにおける親ローマ派プロパガンダと、地元民の反骨精神のせめぎ合い:アエネアス神話をめぐって

 某講演会の準備をしていて見つけた論点です。欧米ではすでに指摘されてますが、銘文とフレスコ画、落書きを関連的に扱った内容は、本邦ではたぶん初演かと(違う!というご指摘お待ちしてます:k-toyota@ca2.so-net.ne.jp)。以下、その時のレジメ改訂拡大版を掲載します。

 複雑な前史を持つポンペイは、前1世紀にローマの勢力圏に組込まれ、ローマからかなりの植民を受け入れたことで(一説に4000名と)、住民の中で対ローマに関して微妙な感情のズレが生じていたようで、それが通りに面した表側での皇帝家顕彰と、民家の室内で密かで露骨なパロディー描写の併存というねじれ現象となったのでしょう。

ローマ建国神話の系統図

 女神ウェヌス[アフロディテ]とトロイア貴族アンキセスの間に誕生した英雄アエネアスが都市ローマの始祖で[彼の息子IulusがAlba Longaを創建:イウルス死後、異母弟Silviusが王位を継ぎ、その17代後がRomulusとRemus]、同時にユリウス家(Iulius Caesar, その相続人Octavianus= Augustus)の祖神に位置づけることで、皇帝権の正統性を喧伝していた。

(1)帝都ローマにおけるアウグストゥス家プロパガンダ

 ① Foro Romano北側の「アウグストゥスの広場」Foro di Augusto(アウグストゥスの自弁で建設し、前2年に落成式)

 ② 顕彰記念祭壇「アウグストゥスの平和の祭壇」Ara Pacis Augusti(前9年に元老院奉献)の正面左右の浮彫

左、色彩復元図             ;右、正面図像解説
左上段:マルス神、雌狼とロムルスとレムス;右上段:犠牲を捧げるアエネアス(ないし第二代王ヌマ)

(2) Pompeiiでの皇帝家顕彰の公的建築群

① Forum東南隅、Edificio di Eumachia(VII.9.1)の正門(G)北エクセドラ

  Forum東側の「ウェスパシアヌス神殿」は以前は「アウグストゥス神殿」で、歴代皇帝のゲニウス(守護神)に順次捧げられてきた神殿だった。そして「エウマキアの建造物」は帝都ローマの、アウグストゥスの妻の「リウィアの柱廊」を真似ていたと考えられている。要するにこの界隈はあからさまに皇帝一族顕彰公共建造物地帯だったわけである。

左、 Forum     ⬆  ;右、 H: アエネアス像  J:ロムルス像 
⬆ H       ⬆ J          ;右、⬆  Jの復元碑文

ニッチJの碑文(CIL X 809):Romulus Martis / [f]ilius urbem Romam / [condi]dit et regnavit annos / duodequadraginta isque / primus dux duce hostium / Acrone rege Caeninensium / interfecto spolia opi[ma] / Iovi Feretrio consecra[vit] / receptusque in deoru[m] / numerum Quirinu[s] / appellatu[s est]

「マルス神の子ロムルスは、首都ローマを建設し、38年間統治した。彼は敵の将軍カエニネンセス人の王Acroを殺害し、敵の戦利品をJupiter Feretriusに捧げた最初の将軍だった。そして、神々の中に迎え入れられ、クイリヌスQuirinusと呼ばれた」

② アエネアス一族のトロイア脱出図像

左、Iulus, Aeneas, Anchises;中、背後の女性は母Venus女神;右、Anchises捧持神像はPenates

(テラコッタ製:Pompeii,VII.2.16);(大理石製:Aphrodisias出土);(描画: 16世紀半ば)

(3)Pompeii, IX.13.5:Casa dei M.Fabius Ululitremulus

左、1913年発掘当時の写真;右、1961年の写真:フレスコ画は既にほとんど剥落
左、中央出入口(未発掘)の左右の壁にフレスコ画;中、Romulus図像;右、Aeneas一族のトロイア脱出図

  -1:出入口の左側の絵の下に選挙推薦文:CIL IV 7963

   C(aium)  Cuspium  Pansam  et / L(ucium)  Popidium  L(uci)  f(ilium)  Secundum  aed(iles)  o(ro)  v(os)  f(aciatis) / Fabius  Ululitremulus  cum  Sul(l)a  rog(at) 

  「Gaius Cuspius PansaとLucius Popidius Secundus, Luciusの息子を、造営官にするよう皆様方に懇願する。Fabius UlulitremulusがSullaと共に推薦する」

  -2:出入口の右側の絵の下に落書き:CIL IV 913

   Fullones ululamque cano non arma virumq(ue) 

  「洗濯屋どもと一羽のふくろうを、私は歌う;戦いと英雄ではなく」

  元歌:Vergilius, Aeneis, I.1:arma virumque cano 「戦いとひとりの英雄を、私は歌う」

  解釈:この家の主人が、その時代にローマ皇室が大々的に宣伝していたプロパガンダに追従してわざわざ玄関の外壁に麗々しく描いているのを見て、反骨精神旺盛な根っからのポンペイ住民が、明らかにアイロニカルな意図で書きつけた落書き。なお、この家の主人の洗濯・縮絨業者Ululitremulusの名前と、洗濯・縮絨業者の守り神のミネルウァ女神の聖鳥が「ふくろう」ululaをかけた言葉遊び。また、フォルムの壮麗な建築物を奉献したエウマキアも洗濯・縮絨業者だったこととも関連していたのだろう。

 [参考図版]Pompeii, VI.8.20「L.ウェラニウス・ヒュプサエウスの洗濯・縮絨工房」Fullonica di L.Veranius Hypsaeus 出土の角柱に描かれたフレスコ画。正面上段に、布を脱色するため籐製のかごの中で硫黄を焚く段取の絵に聖鳥のふくろうが描かれている。現在は国立ナポリ考古学博物館所蔵。このフレスコ画についていずれ多少論じたいと思っている。そのキモは、この下段のフレスコ画なので、先のない身でもあり、おまけついでに併せてアップしておこう。

右が復元図版:足で踏んだりして縮絨ないし洗濯している場面だが、描かれた作業従事者(奴隷)4名中なんと幼そうな子供が3名を占めている。これに注目しないでどうする!

(4)アエネアス一族を皮肉って笑い飛ばすフレスコ画:Pompeii, VI.17 Insula Occidentalis, Diego Cuomo所有農地masseriaの遺跡の室内から1760年出土(スタビアエ出土としている叙述があるのは、以下の【ポンペイ小史】末尾参照)

左、アエネアス一族の脱出   ;右、その修復図(部分的に不正確)
ロムルスの凱旋:背中にトロパイオン等を背負っているのだろうし、像の前後に文字らしき痕跡も見えるが、いずれも不明瞭

「脱出」フレスコ画での露骨な二つのパロディー:

  •  巨大男根をぶら下げた犬頭猿人chynocephalus(頭が犬、体が猿、足は人間):それが、自制心のない非理性的存在をイメージすると同時に、「犬」(canis) からの連想で、ウェルギリウス『アエネーイス』冒頭の一句「私は歌う」(cano)から「汝は歌う」(canis) の、かなり高度な駄洒落ともなっている。ちなみに、カエサルもアウグストゥスも、同性愛を含む性的不行跡については民衆の揶揄の対象だった(スエトニウス『ローマ皇帝伝』(上),岩波文庫:Suetonius, De Vita Caesarum, I.49-52;II, 65-71) 。
  •  父アンキセスは、頭にヴェールをかぶり(礼拝時の所作か)、家の守護神像の代わりにサイコロを振る箱を持っている:賭博好きなアウグストゥスへの皮肉(Suetonius, De Vita Caesarum, II, 71.2-4)であると同時に、賭け事で高い賽の目「アタリ」をVenus(ユリウス家の祖神)といい、低目「スカ」をcanisと称していた、とも。

通説によるポンペイ拡張図(異説あり)

赤、サムニウム時代の街;青、前4世紀の最初の拡張;緑、二度目の拡張;黄、前89年以降のローマ帝国による拡張
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