月: 2023年4月

「古代ローマスペシャル:皇帝ネロの黄金宮殿」を見た

 一週間ほど前に、2023/3/4にNHK BS4Kで放送されたものの再放送を見ることできた。

 これにはどうやら前振りとして2023/2/15のNHK「歴史探偵:皇帝ネロの黄金宮殿」の放送があった(https://note.com/hayahi_taro/n/n3bb5cc014875)。内容的にかなり重複している感じなので、今回のBS4Kのほうはそれの使い回しといっていいかもしれない(いや、逆か)。いずれも現在NHKオンデマンドで見ることができる。

 とまれ、今般一番の収穫、見どころは、黄金宮殿Domus Aureaの中心「八角形の間」Sala Ottagonaの天井が、水力を動力にして動くシステムだったという新説の紹介にあった。

 これには同時代に文献的な根拠があった。スエトニウス『ローマ皇帝伝』の「ネロ伝」31に次のように書かれていたのである。「{黄金宮殿の}食堂は天井に象牙の鏡板がはめ込まれ、開閉式の鏡板からは花が、水管のついた鏡板からは香水が、客の上に撒き散らされるように工夫されていた。食堂の貴賓室は、球状で、昼も夜もたえまなく、天体のごとく自転していた」と。私的には、ここでの「食堂」と「食堂の貴賓室」をどう区別すべきなのかが疑問ではあるのだが。

 実はこれには発掘上の先行例があった。それについて、私はゼミ論集『コンメンタリイ』21(2010年)の中で報告を掲載していたことがある。ステファノ・マンミーニ(高久充訳)「それは昼夜を問わず回っていた」p.28-40がそれである。コンスタンティヌスの凱旋門からティトゥスの凱旋門に向かう坂道のウィア・サクラの左側の丘の上、バルベリーニのテラスから2009年に「回転食堂」coenatio rotondaが出土していたのである。その紹介もいつかここにアップしたいものである。この調査は在ローマのエコール・フランセーズの協力で長年実施されてきた挙げ句のものだったのだが、今回の放送で私は初めてその中心が考古学者フランソワーズ・ヴィルデュFrançoise Villedieu女史によるものだと知った。動力源はこれまで水力と奴隷労働が想定されてきたが、番組では前者を採用している。おそらくは「昼も夜もたえまなく」を文字通りとってのことだろう。となると水源の問題等が出てくるのだが、番組ではそれには触れられていなかった(それを含め、とりあえずは、実に興味深い知見を述べている以下参照:Laura David, Marta Fedeli, Françoise Villedieu, La coenatio rotunda della Domus Aurea sulla Vigna Barberini? :Una scoperta sensazionale, sul Palatino la sala girevole di Nerone, ARCHEOLOGIA SOTTERRANEA, 8, 2013, 5-16)。

右図の右側が聖道。バルベリーニのテラスはネロ後のフラウィウス朝時代に埋め立てられて現況となったが、円筒型の上部構造の食堂自体は偶然にもほぼ現在のテラスの高度なので、それなりの景観を得られたはずだ。

 但し、ここで回転したのは床のほうだったことが構造的に判明しているので、はたしてスエトニウスの記述がこの発掘場所と同一かどうかにはこれまで異論もあったが、私などはこのパラティヌスの丘の東南端の上から、東側に今のコロッセオ、当時の大きな人工湖を見降ろしながら(北側正面に金メッキの皇帝ネロの巨像が否応なく目に入っちゃうのは、悪趣味で無粋とはいえ)食事するこの立地もまんざらでないと納得したものであった。

左図:ネロ時代のローマ中心部;右図:現在コロッセオになっている湖のさらに左隅の角地に回転床食堂、右の黄金宮殿中央に回転天井食堂、いずれも小さな丸天井で表示されている

 ところが2022年にステファノ・ボルギーニStefano Borghini(ドムス・アウレアの技術管理者)が新説を出した、らしい。これまでそれなりに考古学情報をウォッチしてきたつもりの私であったが、この件は迂闊にも見逃していたようだ。あわててググって見たのだが、第一報的な新聞記事以上の詳細な論稿をまだみつけることはできていない。(ここで、あえて苦言を呈しておくと、彼は「黄金宮殿」の命名をふんだんな金の使用にではなく、太陽光線に求めているが、これはさてどうだろう)

 彼の新知見は、黄金宮殿のど真ん中の「八角形の間」の天井側面に開いているくぼみが金属製のフックを固定するために使われていたと推測したことにある。この仮説を裏付けたのは1931年の一枚の写真で、ちょうど天窓の外側に2本のレールの痕跡が写っていた。それはその後の改修工事で取り除かれて現在はなくなったものだった。それを根拠に彼は「八角形の間」の天井が回転していた可能性を建築構造的に指摘したのである。ここでも動力は水であったと想定されている。

研究報告を見つけることができなかったので、一部NHKの放映から切り取っている。著作権上の問題あれば削除する。

 未確定的な側面が残っている動力源についての疑問は横に置いておいて、回転天井に関するの今般の仮説の信憑性は高いだろう。こうして、なんと皇帝ネロの宮殿に天井回転と床回転の2種類の食堂が存在していたことが考古学的に実証されたわけで、歴史叙述が実際に考古学的に追認される希有の例となったのである。

 それにしても、皇帝ネロの斬新さを求めての、飽くなき実験的挑戦の姿勢には驚かされる。それを実現化する有能なスタッフを彼は持っていたということであるが(タキトゥス『年代記』XV, 42, 1.によると、黄金宮殿の建築家ケレルとセウェルス)、彼や彼らが構想した様々のプロジェクトはスエトニウスやタキトゥスに書き残されていて、そのチャレンジのせいもあってだろう結果的に国家財政は破綻してしまうのであるが、同時にスエトニウスの書き残したこの箇所のコメントの歴史的信憑性も立証されたというべきであろう。今回の報告においてこのような副産物もあったことに注目しておきたい。

【補遺:ネロ帝のコイン刻印をどう解釈するか】

 実はこのようなネロ時代のコインがある。

63-65年打刻の「MAC AVG」シリーズのデュポンディウス青銅貨

 裏面の刻印MAC AVG SCのMACを、皇帝によって建設された「市場」Macellumととるか、「機械 」Machina 仕掛けととるか、なかなか興趣をそそる。これまで専ら主張されてきていた前者の根拠は、(肉)市場はその中央に円形構造の神殿を持っていることが多いからであるが(代表例は,ポンペイやポッツオリ)、このコインでは2階建てとなっているのが他に見られない特徴である。そしてネロは後59年にカエリウスの丘に「大市場」Macellum Magnumを創建している(場所は現在のSanto Stefano al Monte Celio教会の場所の由:この教会は珍しい円形構造なのも、面白い関連想定)。これまで触れられる事がなかったはずの後者とすると(2階建てに注目するとこっちになるはずだから、まんざら空論ではないと思う)、聖道入口近くから左側にそれて階段を上ると神像が安置され(その背後に床回転の円筒型の基礎構造があったのだろう)、その上階が回転食堂、ということになる。このコインは第一義的にはバルベリーニの丘の食堂を示しているとしても、まず回転床が実験的に先行し、ついで「八角形の間」の回転天井が工夫された、という想定も可能に思える。

【余談】回転床で思い出すのは、元の職場の南側の某ホテルの屋上回転レストランのことである。聞いた情報であるが、あの回転構造には戦艦大和の主砲の技術が投入されている由。えてして技術開発は軍事が先行して民事に応用されがちと言われているが、さてこの事例はどうだったのだろうか。そこでの動力はもはや水力ではなく、電力だろうが。

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2022年は、ハドリアヌスの長城創建1900年目だった

今回必要なのは、上図の左端から6番目の要塞まで

 今さら言うまでもないが、ハドリアヌスの長城は皇帝ハドリアヌス(在位117-138年)の命令によって122年からブリテン島北部に東西を横断して建設が開始され、118kmに及ぶ長城完成まで10年以上を要し、おそらくハドリアヌス帝死亡時にも完成していなかった。とはいえ昨年は工事開始1900年目の節目だったのは確かである。この長城は、当時スコットランド在住の獰猛なピクト人に手を焼いた挙げ句のイングランド防衛のための北辺の軍事的境界線で、ラテン語では「Vallum Aelium」と呼ばれている。Vallum とは防壁のことで、それにハドリアヌス帝の名前 Publius Aelius Hadrianus から氏族名をとって(彼がローマに架けた橋「ポンス・アエリウス」[現在のサンタンジェロ橋]、エルサレムを再建しローマ植民地「アエリア・カピトリーナ」と命名したなど、多くの公共事業の名前にそれが使われた)、「アエリウスの長城」すなわち「ハドリアヌスの長城」と呼び慣わされてきたのも事実である。また、長城の西半分は当初、石作りではなく芝土と材木で構築され、2世紀後半に石作りに作り直されたことに付言しておこう。

 コロナ騒ぎでうっかり見逃していたが、昨年の2022年は、イギリスのハドリアヌス長城創建1900年目の年で、イギリス各地で盛大な記念イベントが行われていたらしい。それがブリテン島原住民の健闘を称えるものだったのか、野蛮の地へのローマ文明の到来を言祝ぐものであったのか。参加者が2022年のイベントで次のような扮装して記念写真を撮って喜んでいることから想像するに、後者のほうが勝っていたのであろう。誰しも名のある勝者側の子孫と思いたいものだが、さていかがなものか。

 そんな折、2003年にスタフォードシャー州イラム教区で金属探知機によって発見された容器「Ilam Pan」(別名「Staffordshire Moorlands pan」)が最近ふたたび話題となっているのは、それが長城建設記念の一種の引出物だったのでは、という憶測による。それは、重さ132.5g、高さ47mm、最大直径94mm、底部の外周54mmの器で、外側にカラフルなエナメル装飾が施されたスープ・ヒシャク大の青銅製の容器、正確にはpanではなく「ひしゃく」trullaなのだが、それにこの長城の西端から1、2、4、5番目の要塞の名前(MAIS [Bowness-on-Solway], COGGABATA [Drumburgh], VXELODVNVM [Stanwix], CAMMOGLANNA [Castlesteads])の列挙に続いて、興味深い以下の文章が刻印されている:「RIGORE VALI AELI DRACONIS」。これらの銘文には種々の解釈があるが、ここでは Avid J.Breeze & Christof Flügel, ‘A Military Surveyor’s Souvenir? The Ilam Pan’, Transactions of the Cumberland and Westmorland Antiquarian and Archaeological Society, 3, 2021, p.56 に依拠して、「(城壁の)測量線が、マイアからコガバタ、(そこから)ウクセロドゥヌム、(そしてそこから)カモギアナまで、(測量技師)アエリウス・ドラコによって引かれた」と一応読んでおこう。すなわち、アエリウスを長城のほうにではなく、所有者に結びつけて考えるわけで、その根拠もある。

このような模様はケルト系でよく見られる「回転三角形」triskel 模様。本来は右の器と同様の柄がついていた。左図上縁正面の白っぽい箇所がハンダで柄を接着していた跡の由。
Ilam Panの銘文部分の展開図と読み(55字)

 そのひとつは、このパンの所有者ドラコがローマ軍団内の測量技師であるなら、彼はローマ市民権保持者であり、ならば非市民からなる補助軍auxiliaに属する兵士ではないので、少なくとも個人名と家族名で表示されて然るべき,となる。それが「アエリウス・ドラコ」という姓名の持っていた真の意義であり、皇帝名「アエリウス」下での市民権獲得を示している個人名と、帝国東部出身の奴隷出自を想起させる家族名から、おそらく補助軍兵士だった彼の父はハドリアヌス帝治下のごく初期に年限を勤め上げて除隊し、めでたくローマ市民権を獲得、その息子ドラコはその市民権を活用してローマ軍団兵に採用され、数年後には測量技師に昇進を果たし、ハドリアヌスの長城に際して西端のマイア側からカンモグランナまで、全体のほぼ四分の一の測量作業に従事することになったのだろう。その功績に対し青銅製の記念品として、豪華な装飾のパンが下賜されされたのかもしれない(主格形での姓名表記は、刻印が製品完成後に刻まれたことを示している由)。

 ところでこの器の類似品が今段階で都合3つある。細部は違うが、意匠などから地元の同一工房によるとも想定されている(とりわけ,銘文にも登場するVXELODVNVM [Stanwix]の1km南のカーライル Carlisleが,金属加工の痕跡の存在から有力視されている )。その一つが、1725年にウィルトシャーWiltshireのラッジ・コピスRudge Coppiceにある別荘の井戸から発見されたもので、器の側面には城壁狭間を思わせる図案が描かれ、その上部には、Ilam Panと同様に、しかし西端から1、3、4、5、6番目の、MAIS(Bowness on Solway)、ABALLAVA(Burgh by Sands)、VXELODVM(Stanwix)、CAMBOGLANS(Castlesteads)、BANNA(Birdoswald)というハドリアヌスの長城の要塞名が今度は5箇所連記されている。但し、Ilam Panと綴りや地名が異なっているが、新出2要塞にしても西端に属していて、だがIlam Panと異なり上辺に所有者名などは彫られていない。もともとあったエナメル装飾(や、あるいは柄)は完全に失われてしまっている。換言するなら、Ilam Panは所有者の明記が重視されているが、Rudge Panのほうの所有者は要塞名以外に頓着していないわけである。ある意味後者を原形として作成・配布されたものを、前者の持ち主ないし贈呈者が独自に手をかけたとも取れる。そこに持ち主の個性の違いを見て取るのもお門違いではなかろう。

Rudge Pan(直径90mm:胴体にはローマ美術によく見られる「城壁」wall紋様)と、その手のひらサイズがわかる画像
Rudge Panの銘文部分(36字):・A・ MAIS ABALLAVA VXELODVM CAMBOGLANS BANNA

 よって、ここでの銘文は「MAIS (Bowness-on-Solway)、ABALLAVA (Burgh-by-Sands)、VXELODUM (Stanwix)、CAMBOGLANS (Castlesteads)、BANNA (Birdoswald)」「Maisからアバラッウァへ、(そこから)ウクセロドゥムへ、(そこから)カムボグランスへ、(そこから)バンナヘ」となる。おそらく、測量技師たちが従事した長城の諸城塞が刻印されているのだろう。

 さらにリンカーンシャーLincolnshireから都合3つ、いずれも金属探知機で発見されたもので、WintertonとCrowleという比較的近い場所で発見された。Wintertonの器はNorth Lincolnshire Museumに、Crowleの容器vesselは個人所有のものである。

Winterton出土の器:四角の囲いに数色のエナメル象眼、上縁に十分な空間があるが刻文はない

 Humber川を挟んで反対側のEast Yorkshire州のEastringtonで、Wintertonに匹敵する類似品が発見された。これには柄も一緒に出土していて、四角のエナメル装飾の痕跡も認められるという点でもWintertonに類似している。上縁に十分な空間があるのに銘文はない。しかし様式的には長城との強い関連性を持っているといって差し支えないだろう。

 と、ここまで書いて関連項目をググっていたら、こんな一覧をみつけてしまった。それで私の知見は一挙に広がったのはいいのだが、すぐには総括的記述を書くには準備不足になってしまったので、この件はとりあえずここまでとして後日を期したい。

 それは「3 Fort」(https://wellesley-omeka-s.libraryhost.com/s/destinations-in-mind/page/Fort_Pans)というブログに行き当たったからなのだが、番号が付されているのを辿ってみると、どうやら以下の本と関連あるらしい。Kimberly Cassibry,Destinations in Mind: Portraying Places on the Roman Empire’s Souvenirs, Oxford UP, 2021.

 その本の目次は、以下のごとし。

Chapter 1 – On the Road: From Gades to Rome on the Itinerary Cups
Chapter 2 – At the Games: Charioteers and Gladiators on the Spectacle Cups
Chapter 3 – On the Border: Hadrian’s Wall on the Fort Plans
Chapter 4 – By the Sea: Baiae and Puteoli on the Bay Bottles

ブログでの画像は、どうやら現段階では他に第1章だけ見ることできるようだ。それはスペインのカディスからローマまでの旅程を記した銀製カップを論じたものであり、ブラッチャーノ湖畔北部Vicarelloで発掘され、現在国立ローマ博物館分館のパラッツォ・マッシモ所蔵で私もかねてかなり注目してきた遺物なのである(スペインから銀製レプリカも売りに出されていたが高額のため、購入断念)。この本の表紙を飾っているプテオリ風景をカットしたガラス容器は第4章。

 それと関連する内容だが、次の本も発売予定らしい(後日見直したら昨年もう出ていたようだ、あれ、私の勘違いだったのか?)。こちらは東方にも目配りしているようだ。いずれにせよちょっとしたスーベニア・ブーム到来という感じであるが、研究者の薄い我が国では無風の内に過ぎ去るのであろうか。

Maggie Popkin, Souvenirs and the Experience of Empire in Ancient Rome, Cambridge UP, 2022.

追記:5月に入ってから到着予定だったはずのPopkinが、もう届いた、届いてしまった! 円安のせいもあるが、確かにカラー画像も多いがかなり割高感はあるものの、ローマン・ガラスがそこら中に顔を出していて、ガラス研究者には見逃せないかも。私的にはこのブログで触れたハドリアヌス長城建設の引出物らしきエナメル装飾の施された青銅製trullaが出土地表示を含めて掲載されていて、それを論述している第3章だけでも上記のCassibryともども早めに扱いたい衝動に駆られてしまう。ここでは出土地地図をとりあえず転載しておこう。

本書のp.81掲載:ちなみに地図の下部の紋様・刻印部分は、いわゆるRudge cupからとられたもの。

【追記】5/7になって先に発注していたCassibryがようやく届いた。内容的にはこっちのほうがとっつきやすい印象があるのはどういうものか。ペラペラめくっていて、p.127にAmiens Pateraの刻文も記載されていた:Mais (Bowness-on-Solway) Aballava (Burgh-by-Sands) Uxelodunum (Stanwix) Camboglas (Castlesteads) Banna (Birdoswald) Esica (Great Chesters)。 こうしてみていくと、知られる刻文はすべて西端からの地名なので、この記念物(少なくとも刻文付きに限っては)が西端から長城建設(とりわけ測量)に関わった人々がらみだったと言えるように思える。

 また、Popkin,p.87 の図47にバース出土のパンの柄に彫られた刻文の写真をみつけた。文字情報として貴重なので、ここに転写しておく(cf., p.86)。「DIISVM / CODON」= De(ae) Su(li) M[in(ervae)]/ Codon[・・・]」=「(女神」)Sulis Minervaへ、Codon[・・・]から」。

 なお、以下の本がどうやらこれらの最近の動向の始原だったようなので、これも古本で発注した。David J.Breeze, The First Souvenirs: Early Souvenirs from Hadrian’s Wall (Extra Series NO. 27), 2012 £26.00.

円安がうらめしい。えっ1€がとうとう150円? そんなあ。

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古代の女性史シリーズ、みっけ

 別に検索してのことではなく偶然見つけたシリーズWomen in Antiquity (Oxford UP)なのだが、2011年から14冊出版しているという触れ込みで、しかし私がリストアップしたところ2022年までに20冊が出されている。そのほとんどが古代史というよりもローマ史関係なのが興味深い。

Hagith Sivan,Galla Placidia: The Last Roman Empress  2011

Marilyn B Skinner,Clodia Metelli: The Tribune’s Sister  2011

Duane W. Roller,Cleopatra: A Biography  2011

Elizabeth Donnelly Carney,Arsinoe of Egypt and Macedon: A Royal Life 2013

Dee L. Clayman,Berenice II and the Golden Age of Ptolemaic Egypt  2013

Josiah Osgood,Turia: A Roman Woman’s Civil War  2014

Barbara M. Levick,Faustina I and II: Imperial Women of the Golden Age  2014

Gillian Clark,Monica: An Ordinary Saint  2015

David Potter,Theodora: Actress, Empress, Saint  2017

Edward J. Watts,Hypatia: The Life and Legend of an Ancient Philosopher  2019

T. Corey Brennan,Sabina Augusta: An Imperial Journey  2020

Caitlin Gillespie,Boudica: Warrior Woman of Roman Britain   2020

 Heidi MarxSosipatra of Pergamum: Philosopher and Oracle   2021

Elizabeth A. Clark,Melania the Younger: From Rome to Jerusalem  2021

Nathanael Andrade,Zenobia: Shooting Star of Palmyra  2021

Duane W. Roller,Cleopatra’s Daughter: and Other Royal Women of the Augustan Era  2021

Robert Wilhelm,Pearl of the Desert: A History of Palmyra  2022

Julia Hillner,Helena Augusta: Mother of the Empire  2022

Elizabeth Donnelly Carney,Eurydice and the Birth of Macedonian Power  2022

Barbara K. Gold,Perpetua: Athlete of God  2022

 私的には、もはや全巻揃えようという気概はなく、とりあえずせいぜい、ペルペトゥア、ヘレナ、モンニカ、小メラニアが射程に入るくらいなのだが、なぜか翻訳も低調な昨今、このシリーズからかろうじてモンニカの一冊しか出ていない現状で(教文館、2019年)、女性史研究者の奮起を促したいところである。

 ところで「天我をして・・・」もし許されるのなら、私としてはせめてヘレナに言及しておきたい。それはエウセビオス『コンスタンティヌスの生涯』の中に以下のような文言を見つけたからで、これを後世の研究者は不当に無視してきていると思うからだ。「彼(コンスタンティヌス)は彼女を神を畏れる者とされたので–それまでの彼女はそうではなかったのです–(οὕτω μὲν αὐτὴν θεοσεβῆ καταστήσαντα οὐκ οὖσαν πρότερον)、彼には彼女がそのはじめから同じ救い主の弟子となっていたように思われたのです」(III.47.2:秦剛平訳)。ここを素直に読めば、ヘレナは信者ではなかったが、息子は彼女をキリスト教信者としてみなした、といった意味となるはずだ。ここにも、知りえた事実を忖度なく書くエウセビオスの基本姿勢が現れていると思う。それなのに、彼を「頌詞家」として貶めてきた後代の、ほからぬキリスト教歴史家たちの意図的傾向性を私は指弾したいのである。

【追記】モンニカの本が来たので、翻訳ともどもこれから競り合わせてみようと思っているが、私が注目していた母モンニカに言及した墓碑(拙稿「聖モンニカ顕彰碑文とオスティア」『古代ローマの港町:オスティア・アンティカ研究の最前線』勉誠出版、2017)に触れてはいるが(原著p.164:翻訳p.220)、写真がないこと、あと、翻訳者の一人が「解題」の「オスティアの松林の向こうへ:聖モニカの墓の前に立って」で、墓所について不正確なこと書いている(p.279)のが残念である。

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古代ローマ・コインとOstia,Portus

 今、ポルトゥスを描いた皇帝ネロやトラヤヌスの貨幣を調べているのだが、しかるべき著書などには限られたものしか掲載されていないので、もちょっと悉皆調査めいたものはないのか、と思ってググっているうちに、おもしろいものに行き当たった。それが「acsearch.info」で、慌て者の私は年間会費80ユーロを支払った後になって、1ヶ月の試用期間があることに気づいたのだった。だいたいの問題はとりあえず1ヶ月もあれば解決するはずだから、またしても無駄金を支払った感じとなるが、ともかく会員にならないとピンボケ写真で決着しない欲求不満に苛まれ続けるわけで、ついついやってしまった次第。
 このリストは、過去二十年間の欧米におけるコイン・オークションを網羅して、なかなか興味深い。私は一応定評あるRICなどのカタログ・シリーズ本は所有しているが、これらにはごく一部の写真しか掲載されていないし、だいたいは小さくてしかも不鮮明なので、今の場合、私には用をなさないわけである。たとえば、下図は大英博物館所蔵のコインで、その解説が多くの書籍に一般化して述べられている場合が多いのだが、実際には金型によって千差万別であり、研究として1歩踏み込むとそんなに簡単ではない。なおこのネロ・コインについては、本年1/7でもちょっと触れている。

後64年ローマ造幣所発行、青銅貨、29.84gr、6h

 かのオークションでさっそく、「acsearch.info」で、coin,Nero,Portus,Lyonといった単語で検索してみた。そしたら188ヒットした(2023/4/10現在:なぜLyonかというと、このコインはローマとリオンの打刻しか発見されていないからだ)。世の中にはこんなにこの貴重なコインが遺っているのか、とまずは感心したのだが、リストの画像をよくよく眺めていると、妙なことに気づいたのである。ネロやポルトゥスと関係ないものが時々混じっているのはまあ識別が簡単なのだが、どうも胡散臭いものが少なくともとりあえず4例見受けられたことで、それらはいずれも打刻がやたら鮮明なのでどうしても注目せざるをえないのだが、それらの説明文にはだいたい共通してPadua人Giovanni Cavino(1500-1570)による模作と明記され、しかるに落札価格は500ドル前後だったりしているのである。近世のコピーでもそれだけの価値があるというわけか。逆に由緒正しい古代のコインであっても摩耗や破損がひどいものは捨て値となる(今回は10数枚見受けられた。当然のこと数枚は値がつかなかったようだが、それでも600ドルや1000ドルで落札されたものもある)。しかし私だったら50ドルでもぜったい購入しないものが、なぜか6000ドルで落札されたりしているのには驚かされる。あのコインは是が非でも入手したいというマニアの執着心によるのであろううか。

Padua人Giovanni Cavinoの模作品:26.98gr、34mm、8h

 油断できないのは、それと瓜二つのコインがあってそちらの落札価格はなんと134522ドル! 時価にして1800万円なのである。それが以下である。まあそれに似せて16世紀にコピーが作成されたというべきなのだろうが。

64年頃発行、24.76gr, 37mm, 6h

 というわけで、打刻が鮮明だけど価格が500ドル前後なのは後代の模作と見当つけて(19例あった)、よってあれこれ上記188から引き算してみると153枚となった。総数で一割が後代の作ということになる。

 ところで、同一造幣所においても金型は数種類あって、意匠が微妙に異なっているのが常なのだが、数ある意匠の中で、裏面が最も詳細な描写となっているのは、以下であろう。

66年リヨン造幣所発行、黄銅orichalcum(銅と亜鉛の合金)、26.69gr, 35mm, 7h

 このコインは、1983年にLyonのLa Favoriteのとある墓地から出土したもの。解説によると、このコインはリヨンの「ローマと劇場博物館」のクラウディウス展で展示されたものの、その後、常設展示されておらず、博物館のインターネットサイトでのみ公開されている由(https://lugdunum.grandlyon.com/fr/Oeuvre/16235-Sesterce-de-Neron)。それでこのコインに従って、私なりに多少の絵解きをしてみよう。

 まずは刻文であるが、表側では「IMP・NERO・CAESAR・AVG・PONT・MAX・TR・POT・P・P」、すなわち「最高軍司令官・ネロ・カエサル・アウグストゥス・最高神祇官・護民官職権・国父」。月桂冠を戴いた左向きのネロ帝横顔、首の正面には丸いブローチ?(aegis=メドゥーサの顔が描かれた楯、と特定している解説あり) 裏側の刻文は下部に「PORTV・AVG」、すなわち「アウグストゥス(=皇帝)の港」(但し、「PORT」と表記するのがルグドゥヌム=リヨン造幣所の通例なので厳密に言うと「V」は誤記となる。これがローマ造幣所打刻だと上部に「AVGV-STI」=「アウグストゥスの」,下部に「POR OST」=「港オスティア」,その両側に「S」と「C」=「元老院決議」senatus consultum表記が通例となる)。

 問題は裏面の港風景で、まず弧に沿って左側に列柱廊ないし倉庫が2つ並び、最後に神殿、その前に不明瞭ながら犠牲を捧げる人物、右側の弧に沿ってアーチ状の防波堤らしきものが、そして、港の入口を示す左右上部中央には巨大な神像(左手に三叉の槍をもっているなら、海の神ポセイドン:それゆえに右手にはイルカを所持しているとする解説もあるが、私にはそう見えない)。本来あるべきはずの灯台はなぜか描かれていない。今まさに入港しようとしている帆船が左側に、出帆しようとしている軍船が右側に描かれている。内湾の中にはここでは大小7隻の船が帆を畳んで碇泊している(タグボート=曳船と覚しき小型船が3、中・大型船が4隻:但し、左上の帆船は完全に帆を畳んでいないし、船尾での接岸にようにみえる)。うち左下では船首側から渡り板を使って荷揚げ作業中の3人が描かれている。中央の大型船では今まさに帆を畳む作業が進行中で甲板に2名、マスト上に2名の姿がみえる。その右手の小舟はひょっとしてタグボートで、立っている人物はパイロットかもしれない。コインの一番下には横臥した半裸の男性神が描かれていて、右手には船の櫂を持ち、左手付近にはイルカが見える。これは典型的な河神の姿なのでティベリス河神を表しているものと思われる(別説ではPortus神)。

[研究者による図版解読の違いは、たとえば、以下はJean-Claude Golvin/Gérard Coulon, Häfen für die Ewigkeit : Maritime Ingenierskunst der Römer, Philipp von Zabern, 2021(Aus dem Französischen von Birgit Lamerz-Beckshäfer), p.82による解説文参照:紀元66年、ネロ時代にリヨンで打刻されたセステルティウスの裏面に描かれたポルトゥス。下の髭を生やした川の神は、イルカに乗って伸びをし、手に舵を持ち、テヴェレ川の擬人化していると。右側はアーチと橋脚を持つ桟橋で、その足元には波が打ち寄せている。左側には、倉庫や柱が立ち並ぶ岸壁を見ることができる。上方には、ネプチューンが台座の上に像として立ち、軍艦に囲まれている。モチーフは非常に精巧に彫られており、漕ぎ手、帆を揚げる水夫、荷物を降ろす荷物運搬人たちsaccaliiまでわかるほどだ。ルグドゥヌム、リヨンの「ローマと劇場博物館」、とまあこんな調子である]

 しかも、である。現在までの発掘調査結果においては、右側突堤にコインで描かれているようなアーチ状の構造物は発見されておらず、単なる突堤でしかないので、こうなるとコインのデザインははたしてどれほど事実を反映しているのか、と疑問視せざるをえないことになる。さてどうしたものか。謎のひとつというべきか。

北側突堤の中央部を覆うトラバーチンのブロック:Otello Testaguzza, 1970, 87.

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新刊書『古代ローマごくふつうの50人の歴史:無名の人々の暮らしの物語』が届いた

 この本は、2023/3/13にサクラ舎出版の、河島思郎氏の著作である。遅ればせながらその存在を知ったのは昨日だったのだが、即注文したら翌日届いた。

 さっそくパラパラ覗いてみたレベルだが、入手以前に、ごく普通の庶民を50名挙げて何かを述べるのって古代ローマではなかなか大変だろうなとか、最近になってようやく、V.レオン『図説古代仕事大全』原書房、2009(原著出版2007)や、K.-L.ヴェーバー『古代ローマ生活事典』みすず書房、2011(2006)や、R.クナップ『古代ローマの庶民たち:歴史からこぼれ落ちた人々の生活』白水社、2015(2011)などが翻訳出版されるようになってきたが、それらとどう差別化しているのだろうか(我が国の研究者では嚆矢ではないか)、と思っていたが、案の定、王政時代を扱った第1章は神話の登場人物や庶民とは言えない著名人の羅列で、やっぱりな感が漂ったものの、第2章からが本領発揮で、主として墓碑などの銘文に記載された人々(正真正銘の普通の人)、それに文書史料で登場する若干普通とはいえないかもの人々を骨格に、種々の周辺的考古学的遺物の写真で肉付けしての叙述が続く。最後を飾るのが犬なのはまあ、ご愛敬というべきか。それとも「はじめに」に登場する老女ユリア・アゲレを加えればお約束の50人に達する、というわけだろうか。

  カラー画像、それに雑学のコラム8つ、それに本書を読むにあたってのごく簡単な豆知識20、それに帝都ローマや地中海世界の地図も付されていて、サービス精神満載だが、欲をいうともう少し銘文に寄り添った叙述を味わいたかった、という感想なのだが、これは一般向け書物には無理な注文なのかもしれない。

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「地球を揺るがす北極圏:永久凍土の異変に迫る」を見た

 2023/4/2の00:40-01:30のフランス制作の番組を見た。初演は今年の3/12だったらしいが、私は日本にいなかったので今回が初めての鑑賞だった。放映直後にぐぐってみたら、今だと「dailymotion」で見ることができるようだ。いつまで見ることできるのかは知らない。https://www.dailymotion.com/video/x8jnon1

 これまでの気候変動論者は地球温暖化・温室効果促進を産業革命後のCO2の増加に求めてきたが、今次の注目点はメタン・ガスである。

 ここ二十年の間に、修復不可能な自然現象が急速に進行している、それが北極圏の永久凍土の融解で、それに伴ってメタン・ガスが大気中に大量に放出されているのだが、アメリカ・アラスカのイージー湖での調査で、ここだけで毎日10トン以上の気体が放出されている由で、ただメタンの発生源は、そのガスの分析をしたところ、永久凍土レベル(厚さ150m)を越えて何キロもより深層に存在する何百万年前の化石燃料層からのものが含まれていたことが判明した、のだと。最新の研究によると北極圏の地下に一兆6千トンのメタンが貯蔵されており、大気中のメタンの250倍がそこにある計算となる、そうだ。 

イージー湖の湖底は大部分は人間が歩ける遠浅なのだが、ごく一部が急に深くなっていて、これまでその最深部は15mと測定されていたが(画像中央上部の凹み)、新兵器の投入で10倍の深さまで可視化でき、それによって永久凍土全体の融解が仮定されるに至った。

 となると、これは地球温暖化レベルを越えた現象ということになる。番組でははっきりと明言していなかったが、端的に言って地球のマグマ活動による新規の現象というべきではないか。・・・なにしろ、メタンは二酸化炭素より熱を30倍も閉じ込めることができるのだそうだ。なのにこれまで温暖化現象においてメタンは過小評価されてきた、というわけだ。と、かなり危機感を煽る内容になっており、正直言って、どこまで信じていいのか私には判断できないけれど。

 まあ地球温暖化論者からすると、CO2増加による温暖化によって永久凍土が融解を始め、それによって地表の圧力が軽減されたので、より深層の化石燃料層からのメタンが大地の亀裂をたどって上昇する現象が生じたのだ、という理屈になるのだろうが。

 いずれにせよ、人類なんかの将来はこういった地球規模の不退転の連鎖現象から、決して永久に存在保障されているわけではない、というわけであろう。

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