一週間ほど前に、2023/3/4にNHK BS4Kで放送されたものの再放送を見ることできた。
これにはどうやら前振りとして2023/2/15のNHK「歴史探偵:皇帝ネロの黄金宮殿」の放送があった(https://note.com/hayahi_taro/n/n3bb5cc014875)。内容的にかなり重複している感じなので、今回のBS4Kのほうはそれの使い回しといっていいかもしれない(いや、逆か)。いずれも現在NHKオンデマンドで見ることができる。
とまれ、今般一番の収穫、見どころは、黄金宮殿Domus Aureaの中心「八角形の間」Sala Ottagonaの天井が、水力を動力にして動くシステムだったという新説の紹介にあった。
これには同時代に文献的な根拠があった。スエトニウス『ローマ皇帝伝』の「ネロ伝」31に次のように書かれていたのである。「{黄金宮殿の}食堂は天井に象牙の鏡板がはめ込まれ、開閉式の鏡板からは花が、水管のついた鏡板からは香水が、客の上に撒き散らされるように工夫されていた。食堂の貴賓室は、球状で、昼も夜もたえまなく、天体のごとく自転していた」と。私的には、ここでの「食堂」と「食堂の貴賓室」をどう区別すべきなのかが疑問ではあるのだが。
実はこれには発掘上の先行例があった。それについて、私はゼミ論集『コンメンタリイ』21(2010年)の中で報告を掲載していたことがある。ステファノ・マンミーニ(高久充訳)「それは昼夜を問わず回っていた」p.28-40がそれである。コンスタンティヌスの凱旋門からティトゥスの凱旋門に向かう坂道のウィア・サクラの左側の丘の上、バルベリーニのテラスから2009年に「回転食堂」coenatio rotondaが出土していたのである。その紹介もいつかここにアップしたいものである。この調査は在ローマのエコール・フランセーズの協力で長年実施されてきた挙げ句のものだったのだが、今回の放送で私は初めてその中心が考古学者フランソワーズ・ヴィルデュFrançoise Villedieu女史によるものだと知った。動力源はこれまで水力と奴隷労働が想定されてきたが、番組では前者を採用している。おそらくは「昼も夜もたえまなく」を文字通りとってのことだろう。となると水源の問題等が出てくるのだが、番組ではそれには触れられていなかった(それを含め、とりあえずは、実に興味深い知見を述べている以下参照:Laura David, Marta Fedeli, Françoise Villedieu, La coenatio rotunda della Domus Aurea sulla Vigna Barberini? :Una scoperta sensazionale, sul Palatino la sala girevole di Nerone, ARCHEOLOGIA SOTTERRANEA, 8, 2013, 5-16)。
但し、ここで回転したのは床のほうだったことが構造的に判明しているので、はたしてスエトニウスの記述がこの発掘場所と同一かどうかにはこれまで異論もあったが、私などはこのパラティヌスの丘の東南端の上から、東側に今のコロッセオ、当時の大きな人工湖を見降ろしながら(北側正面に金メッキの皇帝ネロの巨像が否応なく目に入っちゃうのは、悪趣味で無粋とはいえ)食事するこの立地もまんざらでないと納得したものであった。
ところが2022年にステファノ・ボルギーニStefano Borghini(ドムス・アウレアの技術管理者)が新説を出した、らしい。これまでそれなりに考古学情報をウォッチしてきたつもりの私であったが、この件は迂闊にも見逃していたようだ。あわててググって見たのだが、第一報的な新聞記事以上の詳細な論稿をまだみつけることはできていない。(ここで、あえて苦言を呈しておくと、彼は「黄金宮殿」の命名をふんだんな金の使用にではなく、太陽光線に求めているが、これはさてどうだろう)
彼の新知見は、黄金宮殿のど真ん中の「八角形の間」の天井側面に開いているくぼみが金属製のフックを固定するために使われていたと推測したことにある。この仮説を裏付けたのは1931年の一枚の写真で、ちょうど天窓の外側に2本のレールの痕跡が写っていた。それはその後の改修工事で取り除かれて現在はなくなったものだった。それを根拠に彼は「八角形の間」の天井が回転していた可能性を建築構造的に指摘したのである。ここでも動力は水であったと想定されている。
未確定的な側面が残っている動力源についての疑問は横に置いておいて、回転天井に関するの今般の仮説の信憑性は高いだろう。こうして、なんと皇帝ネロの宮殿に天井回転と床回転の2種類の食堂が存在していたことが考古学的に実証されたわけで、歴史叙述が実際に考古学的に追認される希有の例となったのである。
それにしても、皇帝ネロの斬新さを求めての、飽くなき実験的挑戦の姿勢には驚かされる。それを実現化する有能なスタッフを彼は持っていたということであるが(タキトゥス『年代記』XV, 42, 1.によると、黄金宮殿の建築家ケレルとセウェルス)、彼や彼らが構想した様々のプロジェクトはスエトニウスやタキトゥスに書き残されていて、そのチャレンジのせいもあってだろう結果的に国家財政は破綻してしまうのであるが、同時にスエトニウスの書き残したこの箇所のコメントの歴史的信憑性も立証されたというべきであろう。今回の報告においてこのような副産物もあったことに注目しておきたい。
【補遺:ネロ帝のコイン刻印をどう解釈するか】
実はこのようなネロ時代のコインがある。
裏面の刻印MAC AVG SCのMACを、皇帝によって建設された「市場」Macellumととるか、「機械 」Machina 仕掛けととるか、なかなか興趣をそそる。これまで専ら主張されてきていた前者の根拠は、(肉)市場はその中央に円形構造の神殿を持っていることが多いからであるが(代表例は,ポンペイやポッツオリ)、このコインでは2階建てとなっているのが他に見られない特徴である。そしてネロは後59年にカエリウスの丘に「大市場」Macellum Magnumを創建している(場所は現在のSanto Stefano al Monte Celio教会の場所の由:この教会は珍しい円形構造なのも、面白い関連想定)。これまで触れられる事がなかったはずの後者とすると(2階建てに注目するとこっちになるはずだから、まんざら空論ではないと思う)、聖道入口近くから左側にそれて階段を上ると神像が安置され(その背後に床回転の円筒型の基礎構造があったのだろう)、その上階が回転食堂、ということになる。このコインは第一義的にはバルベリーニの丘の食堂を示しているとしても、まず回転床が実験的に先行し、ついで「八角形の間」の回転天井が工夫された、という想定も可能に思える。
【余談】回転床で思い出すのは、元の職場の南側の某ホテルの屋上回転レストランのことである。聞いた情報であるが、あの回転構造には戦艦大和の主砲の技術が投入されている由。えてして技術開発は軍事が先行して民事に応用されがちと言われているが、さてこの事例はどうだったのだろうか。そこでの動力はもはや水力ではなく、電力だろうが。