これもコロナ禍でうっかり見逃していたのだが、2019年に、パラティヌス丘のドミティアヌス宮殿の地下に残存していた「渡り廊下宮殿」(スエトニウス, VI, 31)Domus Transitoriaが10年の歳月を費やしての修復後に、70年振りに一般公開された。この宮殿の名称は、後60年ごろに、皇帝ネロとその従者が姿を見られずローマ市内の皇室施設に移動できるようにパラティーノからエスクリーナ丘にかけてトンネルを作らせた構造に由来している。しかし後64年のローマ大火で廃墟となったので、新たにより壮大な「黄金宮殿」Domus Aurea 建設の動機となった。帝没後の諸皇帝は彼の記憶を抹殺すべく埋め立てたり、他の建築物に流用してきたので、18世紀始めに発掘されるまで忘れさられた存在だった。
この宮殿には、豪華な宮殿で働く奴隷や被解放奴隷が使用した50席の大共同トイレがあり、今回ここも見学することができる。
実は、かねて私はこの下にトイレがあり、そしてそこにフレスコ画や落書きがあることを情報としては知っていて、これまで恨めしく、パラティヌス博物館裏手のこの地下への階段を眺めていたものだった。数年前に地下のそのすぐそばでこれも偶然展示会があったときは、監視人の目を盗んで闖入したいと本気で思ったほどだった。そのくせこの3月の渡伊の機会に訪問することをしなかった、いや公開を知らなかったので、という間抜け振りだ。
かくしてこれが公開されているうちにローマ詣でしなけりゃという口実が私に芽生えたのである。やれやれ。これだからイタリア相手の研究は切りないなあ。