ポーランドのウェブ「News from world of ancient Rome17/06/23」がメールで送られてきて、それを見ていたら、今さらであるが、「Review: When Our World Became Christian: 312 – 394」が眼にとまった(https://imperiumromanum.pl/en/reviews/review-when-our-world-became-christian-312-394/)。
教えてもらった告示にいってみると(https://www.britishmuseum.org/events/gold-silver-and-glass-middle-east-eurasian-steppe)、「Gold, silver and glass from the Middle East to the Eurasian steppe:Lectures & discussions / Study days & courses / 18 Jun 2023、09.25–17.30」と、顔写真入りで紹介されていた。
かつてこのブログでも発見報告したチヴィタ・ジュリアーナCivita Giuliana出土の馬車が修復されて、2023年5月4日から7月30日までローマ国立博物館(ディオクレティアヌス浴場)で展示されている、らしい。それが展覧会「瞬間と永遠: 私たちと古代人の間に」«L’istante e l’eternità. Tra noi e gli Antichi»でである。以下、2023/4/29掲載のパオロ・コンティPaolo Contiの報告から紹介する。私の渡伊予定は8月末からなので、残念ながら見学できないが、せめてカタログくらいは入手したいと考えている(発注済み)、いまさらだけど。
その郊外ヴィッラ遺跡は、20世紀初頭に一部確認・調査されていたが、その後残念ながら墓荒らしによって「再発見」された。その盗掘が発覚した後、発掘調査は、トッレ・アヌンツィアータ検察庁Procura della Repubblica di Torre Annunziata、文化財保護部隊カラビニエリCarabinieri del Nucleo Tutela Patrimonio Culturale、ポンペイ考古学公園の綿密な連携のもと、2017年に秘密裏に始まった。
この遺物は「新郎新婦の馬車」«Carro degli sposi»と呼ばれ、新郎新婦のエロティックな場面、キューピッド、女性像など、豊かな装飾が施されているので、ピレントゥムpilentum(富裕層が儀式や花嫁の新居に同行するために使用する乗り物)であることが判明した。
現在は博物館総局長Direttore generale dei Museiで、2018年当時はポンペイ遺跡公園長direttore del Parco di Pompeiとしてチヴィタ・ジュリアーナの作業を開始したマッシモ・オザンナMassimo Osannaは、次のように述べている。「発見時には、イタリアで同様の発見と比較できるものがありませんでした。同様の戦車は、数年前にギリシャの古代トラキアの高貴な一族の墓から発見されてましたが、それは放置されたままでした。ピレントゥムpilentumが復元・研究されたのは世界で初めてのことです」。
最後の一文はイエズス会のモットー「神のより大いなる栄光のために」(A.M.D.G=Ad Majorem Dei Gloriam)を私につい思い出させてしまった。池上氏は具体的に、メロヴィング朝の証書の約60%、カロリング朝カール大帝下での約40%が贋作と判明している、等々と数字を挙げている。中世においてこういう事実があったことはそれとなく知ってはいたのだが、ここまで高率だったら、今回つい時代をさかのぼって、我々がこれまでローマ史で「史料」として珍重してきた文書史料、はたして大丈夫なのかと思ってしまったのである。