先日届いた『UP』No.610, 2023/8を開いて驚いた。とんだ恋文が保存されてきたものだ。というか、今頃知った私が遅すぎるのだろう。76歳にもなって知らないことが多すぎる!
信玄がまだ晴信という名だった26歳のときに書いた、お相手の名は源助20歳、後の高坂弾正であるらしい。「弥七郎とはそんなことしてない。私はお前一筋なのだ」といった内容である(小島毅「甲府で浮気を否認した戦国大名」)。弥七郎が誰かには触れられてはいない。有り体に言って、枕営業による立身出世は、女性ばかりか男性でもあったわけである。元ネタは以下:鴨川達三『武田信玄と勝頼:文書による戦国大名の実像』岩波新書、2007年。今から16年も前の出版である。
武田二十四將図より
おりしもNHK大河ドラマで、創業者の所業で話題沸騰のジャニーズ芸能事務所のタレント(岡田准一・松本潤)が信長と家康を演じており、その歴史上の両者も信玄とご同様だった、と小島先生、あろうことかなかなか意味深で含蓄あるご指摘をなさっている。しかしこのドラマのシナリオ、歴史的事実を女性におもねってやたらねじ曲げているように思うのは私だけであろうか。
しかしこういった所業はあの時代常識であって、何も驚くべきことでもなかったのだ、と言おうものなら誰かさんに怒られそうな御時世ではある。いや、時代趨勢的にそれをしかるべく受容せよとの神のお達しととるべきなのか。どのような性的存在として生まれるかは、誰の責任でもなく神の領域と言うべきことだろうからだ。
ただ小島先生今さらこのエピソードを世に衆知させようというのではなく、今話題のLGBT法案がらみでのとってつけたような我が国における人権理念を問題にされているのである。その肝心な部分が西欧で諒解されてきたものの受け売りにすぎず、必ずしも日本古来の慣習ではないことを、姓名の名乗り方と夫婦別姓を例にとって、ご指摘下さっているのだ。欧米圏の模倣という長年の国是がもたらした負の遺産なのだ、ということを強く噛みしめるべきだ、というわけである。
蛇足を付け加えると、ググっていて伊達政宗のラブレターも見つけた。これは政宗50歳の時のものらしいので、若気の至りというわけでもなく、もちろん女性の正妻や側室も複数いたので、一生両刀遣いだったといってよい:https://www.touken-world.jp/tips/17543/
また、別のサイトでは「男女の関係がおくゆかしすぎる一方で、男色は別枠……というか、わりとおおっぴらにしてよかった観があります」とも(https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/1044/2/)。これは面白い指摘ではある。要するに男色は子作りに関わらないからよかったのだろうか。
ところでイエズス会士の書簡など見ると、日本人の衆道関係に辟易していたようであるが、じゃあ西洋ではどうだったかというと、言うまでもなくあったはずで、このあたりの叙述落差をどう考えるべきなのだろうか。
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