ちょっと前に戦争棄民の話の中でバチカン近くのイエズス会本部とかその東側のSanto Spirito in Sassia教会に触れたが、今回はその教会の北側真ん前のPalazzo della Rovere(=Palazzo dei Penitenzieri)に関わる話である。
手前左の白い屋上がイエズス会本部
上記写真では中庭が工事中に見えるが、ここはかねてバチカン高官御用達の高級庭園・ホテル・リストランテで、北側の正面玄関はサンタンジェロからサンピエトロまで貫通しているVia della Conciliazioneに面している。20年前になるだろうか、某君が枢機卿になったらここで祝賀会を開いてあげると約束した場所である(幸いなことに彼は僧職に入らなかった)。そこでいつの間にか(2020年かららしい)南半分で発掘調査がおこなわれていて、今回皇帝ネロの私設劇場と思しき遺構が出土したと公表された。すでにグーグルなどの地図には「ネロの劇場」と明記されている。サンピエトロ広場はかつてカリグラとネロの私的競技場であった。現在その広場中央に設置されているオベリスクから今回の発掘現場は直線でたった320m東の場所である。
この付近はもともとアウグストゥスの孫娘で、カリグラ帝の母、ネロの祖母にあたる大アグリッピナの別荘庭園(ホルティ・アグリッピナエ)だった。時代は飛んで、1480年代にこの地にルネサンス様式のパラッツォ・デッラ・ローヴェレが建てられていたが、1940年教皇ピウス12世はその建物をエルサレム聖墳墓騎士団の本部として与えていた。騎士団は、今回この宮殿を新たにフォーシーズンズ・ホテル&リゾート・グループに賃貸し、大聖年の2025年にグランド・オープンする予定で改装を決め、だが明らかに考古学的に重要な場所であるため、建設に先立って発掘調査がおこなわれていた。そしてこの7/27に出土状況からそこがこれまで所在不明だった「皇帝ネロの私設劇場」跡と断定され公表されたのである。
これまで、半円形のカベアcavea(客席部分)の左側と、ローマ時代の舞台裏であるスカエナ・フロンスscaenae fronsの遺構が確認されているほか、貴重な白大理石や多色大理石で作られた精巧なイオニア式円柱や、ネロのドムス・アウレアにも見られる金箔で装飾された優雅な漆喰も出てきている。そして演劇の衣装や舞台装置を保管するために使用されていたと考えられる部屋の一部も発掘されている。
出土遺物の豪華さ、卓越した職人技、レンガ刻印から、この建物がユリウス・クラウディウス朝の建築であったこと、しかし2世紀の最初の数十年で解体され貴重な資材は他に転用された様子がみてとれることから、スエトニウス、タキトゥスなどの文献史料が言及していながら、これまで場所が不明だった芸術家ぶった皇帝ネロが詩の朗読や七弦琴をローマで奏でていた私設劇場がここだったと、発掘した考古学者たちによって結論されたわけである。
上記画像は、1951年米映画「クォ・ヴァディス」でPeter Ustinovが怪演した鬼気迫る皇帝ネロ(https://www.youtube.com/watch?v=XXKmT0Ltb-Y)。私は彼が芸術家ネロの繊細さを余すところなく演じていて一番好きである。
しかも、紀元後1世紀のヤヌスの頭部像の他にも、出土資料にはこれまでよく知られていない10〜15世紀の遺物も含まれていて、特に十字架やロザリオのビーズを作る材料など中世の巡礼者に関連した品物も発見され、聖ペトロ殉教地をめざしてヨーロッパ各地から巡礼が訪れていた様子を彷彿させている。また、ガラス製のゴブレットや陶器の破片が含まれ、発掘責任者Marzia Di Mentoは、以前この時代のガラスの聖杯は7つしか知られていなかったが、今回の発掘で新たに7つが見つかったと指摘している。
遺跡は最終的には埋め戻される予定らしいが(強化ガラスの床とか、地下一階として保存してほしいものだ)、出土品はこの宮殿に保存展示されることになっているので、数年後か10数年後には見学可能となるだろう。残念ながら私にはその見学は許されないだろうが。
http://www.thehistoryblog.com/archives/date/2023/07/30
https://www.businessinsider.jp/post-273296
位置関係:
旧カリグラとネロ私設競技場 発掘地点 旧ネロ橋
南側で接していたのは旧ネロ橋に通じる「凱旋街道」 Via Triumphalis
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