結論を先に書くと、調査予定の3分の1で終わらざるをえなかった。しかしまあそれでもそれなりに充分であったと言うべきかもしれない。以下は3時前に目が覚めたので書いた。
船舶博物館が初見だったOG君と二人で9時にチェントロのコトラル停留所前で落ち合うが(一人1.3ユーロ)、いっかな空港行きのバスがこない。日曜日のせいだろうが1時間待ってやっときた。それまで変な伯父さんが、空港行きの停留所はここではなくあっちだと、2度にわたって旅行者に親切そうにいうのを聞いていたのだが、あれは全くのガサネタだったわけだ。
空港の第三ターミナルについて、今度は空港内シャトルバスの停留所を探す。その道すがらタバッキ(切符売り場)を探し帰りのコトラル券も入手するわけだが、第三から第一まで都合1往復して、シャトルバスには駐車場めぐりとヒルトン・ガーデン・イン行きの2種類あること、船舶博物館に行くのは後者でその停留所は第一ターミナルの一番端付近で、その手前の外側のバールがコトラル乗車券を扱っていることを知る。問題はこれだけではなかった。ヒルトン行きが来たので乗ったのはいいが、終点のインについたら降ろされて、「博物館は2本に一本しか行かない、後から来るもう一本に乗り換えろ」といわれ、ヒルトンにしては安っぽいがそれなりに豪華なインの待合室で場違いな感じで居心地は悪かったが待つことしばし、2台やってきて、しかもそれらの運転者が目の前で運転を交代するという我らには不可解な動きの後動きだす。こんどは例の巨大な犠牲者記念柱が見えたところでボタンを押して、博物館に無事到着。
最初に回りをと、かつての港湾長官官邸に向かう。そのときOG君が「穴が開いてますね」という。たしかに土台部分に一定間隔で開いている。前回は気付かなかったことだ。こっちは当時湾内に向いていたから海岸側で、今回はぐるりと陸側の裏にも回って一巡したが、陸側に穴は見当たらない。そのあと自動車道を渡って、テルメ・貯水槽遺跡に向かうが、こっちは頑丈そうな鉄柵で囲まれていて入れそうもないので(本当は金網がめくれて潜り込める箇所あったのだが、今回は連れがいるので突破は遠慮した)、ちょっと裏側を回り込んだあとあきらめる。
次は博物館裏の突堤遺構だ。これまで2回は遠慮して最北端だけ見て終わったのだが、今回は容赦せず自動車道で切断された箇所までいくと、自動車道の下が通り抜けれるので、ゴミだらけのそこにも突入してみる。なぜかそこの部分の穴は浅いことにまたOG君は気付いてしまうところが、やっぱり建築出身である。
通り抜けた場所をまず東側からみて、そのあと自動車道沿いについた歩道をわたり西側をみる。前回私は迂闊にもこっち側にも穴があることに気付かなかったのだが、しかもその時も穴をのぞき込んだOG君はそれが壁を貫いていることに早くも気付く。私は膝を折ってしゃがみ込んでのぞくことができなくて(老人である)、えっホントというわけで、確認のため地面に膝をつけてのぞき込んでみると、たしかに向こう側の光りが見えるではないか! こっち側のほうが深く掘り下げているように見えるので高さの計測もしてみるが、突堤上から110cmで穴に達し、穴の空間は50cmほどもあり、その下の現代の地面までは40cmといったところだった。
玄武岩の巨石がごろごろ集められているところを過ぎ、その先のクの字になっている場所で突堤上に登る。それぞれが差し渡し4mの厚さがあるが、クの字の中の空間の意味は我々には不明である。その先の自動車道でまたぶち切れている箇所に到達するが、自動車道の向こう側は厳重な金網で囲われていて入ることはかなわないし、目視段階でもたとえ入れても鬱蒼と樹木が繁っているので踏破はおそらく不可能であろう。ということで今回の突堤調査はここまでとなる。
この後、自動車道を横切り元に戻り博物館に向かう。館内に入ると汗がどっと出て、自動販売機で2ユーロでテ・ペスカ(ピーチ味の紅茶)を買って飲むが、押し間違えたかもと一度回収したときになぜか小銭のチェントがじゃらじゃら出てきたので、ありがたく頂戴した。博物館内には男性受付一人(7ユーロ支払いはカードのみ)、クストーデは男性1,女性2と、3月よりは少なくなっているが、見学者はとりあえず我らのみだから、なんとも暇な仕事である。なので、OG君とイタリア人と日本人の働き方の違いについて若干論議することとなった。型通りの見学を終え、例の繋留装置の実測をお願いしてみると案に相違して男性クストーデが鷹揚に許可してくれた。奥行67cm、幅14−15cm、高さ42cm、穴の直径上下13cm,横12cm,といったところだった。穴の内部は削った時のノミ跡も確認できた。また自販機でテを買って博物館を後にする。シャトルバスの停留所横の木陰でまつことしばし、やってきてくれて、順調に空港に帰着することができた。
今度はコトラルでリド方面の停留所をみつけ、来たバスに乗ったのはイイがこれがまたとんだ見当違いで(本当は乗車するとき必ず行き先をしつこいくらい確かめるべき:この時も韓国人シスターなんか、他の旅行者と運転手のやり取りを聞いて乗るのをやめていた)、飛行場の裏手をグルーと回って、北上し出す。回りは畑ばかりでこうなると終点まで行きつくしかないと諦念して思わぬ事とはいえコトラルの旅を楽しむことにする(途中居眠り付き:OG君が携帯で行き先を調べることができてたので不安はない)。車はなんと結局地下鉄A線の最西端一つ手前のコルネリア駅に到着するが、この駅、3月にはN田先生と別れた因縁の場所で、その時閉鎖されていた地下への階段をやたら深く降りて、1.5ユーロ1枚でテルミニ経由ピラミデ経由でOG君宿舎のステッラ・ポラーレまで直行、例の中華料理屋でOK君とも合流に成功して、ローマ最後の中華を食し,その後はジェラート屋である。それにしても一昨日のコトラルといい、不用意に乗るととんでもない旅をすることになるが、まあ時間的に余裕があり昼間で明るかったこともあり、なんだかコトラル便に習熟した感なきにしもあらずといったところであった。で、結末はいつも測ったように中華の開店直後に行きつくのだから、だれかの陰謀ではないかと冗談言い合う。
帰宅して、移動の準備をして寝たわけだが、移動日は月曜なので混雑を避けるためちょっと早めに撤収することになりそうだ。
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