9/12ポンペイ再訪

 一般には9時開園のポンペイ遺跡であるが、サンチュアリオ駅近に宿舎をとっている私は、まあ普通であれば円形闘技場の受付から入るところ、もちょっと西の作業員出入口を試すことにした。これまでの体験で駄目な場合もあったのだが。8時過ぎなのに初老の男性クストーデ(警備員)さんがちゃんといて、日本語でお出迎えされたのでこりゃいい兆候だと、書類を見せるとざっとみて、私の名前を確認、そして「他の人は」と問われたので「別の日です」と答えたらそれでOKだった。

 今回はポンペイの舌状台地の南端景観をチェックするのが主目的なので、極力南城壁寄りにまずは西をめざす。会う作業員ごとに朝の挨拶を交わせばなんのお咎めもない。彼らは朝7時頃から働いているらしい。スタビア門に達するとすでに発掘活動が始まっていて、男女が動いていた。ここには待合場所のエクセドラを兼ねた墳墓が二つあり、だけど規制線があったので、外に出ることは遠慮したのだが、外側にそれなりに巨大な墳墓遺跡があるのを遠目に眺めて写真のみ撮った。城壁内に戻ってすぐなぜか左側の城壁上に出る階段の鉄柵が開いていたので、上がって城門方向を見下ろすとこれがなかなかの光景で、そこから右に道があったのでたどっていくと、円形劇場下の訓練場の裏に出た。ここから訓練場のポルティコの2階をのぞき見することができたのは初体験だったが、なんだかこの付近大便臭かったなあ。ここをもちょっと西に進むと観光客がバスから降りてぞろぞろ入ってくる入口に繫がるわけだが、そこを今度は点在する犬の糞を避けながら南壁構造を見ながら歩き、入口手前でUターンして白人だらけの観光客に紛れて訓練場に舞い戻り、西北隅のトイレと旧交を温めたあと、スタビア通りに出る。それからは今度は遺跡の上から舌状台地南端を眺めつつ三角広場に至る。ここの劇場トイレは規制線あったので外から挨拶するだけにして、ドーリア神殿の南端を探るが、修復中というわけで従来より内側に金網が設置されていて、崖を上から見下ろすことできなくてちょっと心残りだった。

 こんな調子で最近公開されたフォロ手前の「幾何学模様のモザイクの家」まで行き、ここでも崖を上から見たかったが規制線で果たせず、フォロに出ると大変な人出だ。韓国人グループを2つほど見かけたくらいで同胞や中国人は見あたらなかった。それからは人の流れに抗してバシリカ、そしてウェヌスの神域、そしてアンティクワリウムに至り、横から南端を眺め、階段を下まで下るとポンペイ・スカーヴィ入口に至る。

 ここでフォロに引き返し、11時過ぎという早めの昼食を売店でたっぷり摂ったのは人出を避けたかったからだ。このあとエルコラーノ門まであちこちで遺跡との旧交を温め、引き返えす。郊外浴場方向は今回パスして遺跡外に出ると、これがまたえらい人出だった。そこでのモルジネ行きの段取調査の詳細は今は省略し、坂を下って左折、遺跡外の自動車道沿いから、右に展開するかなりの段差ある低地と南壁断崖を目視しながら東に移動して、本日の「調査」活動は終了。

上掲地図の右端中央の赤部分がスタビア門外の遺跡群:そこから西にむけての城壁および構築物については、以下参照:https://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/Walls/walls%20p1.htm

 試しにGoogle Earthで高低差をみてみると、上掲地図の一番下を走っている自動車道は西側が海抜13m、東側が14m、緑地帯を挟んでの歩道は14-15m、ドーリア神殿は25m、フォロは33m、ウェヌス神殿は32m、Antiquariumのテラスは27m、スタビア門外が8mで、自動車道の南側はおおむね13m、さらに南に向かうとさらに低くなり、サルノ川に至ると3mとなる。いずれにせよ、舌状台地上のポンペイ遺跡とその下のかつてのサルノ川流域ラグーンとの落差は、火山噴火物を取り除いたスタビア門外の8mを基準にすれば25mはあったことになる。ちなみに都市ポンペイの最高度はウェスウィオ門の43mだった(ただしGoogle Earthではサルノ川河口が-3mとなっているので、海抜的には上記数字に+3mしなければならないはずである)。

 研究ノートを書いている時には忘れていたが、サルノ川のさらに向こうに立ち塞がる霞がかった山塊は実際には意外と迫っている感があったのが印象的だった。ちなみにポンペイ遺跡から南東に8〜10Kmの距離があって、最高山頂は1300m級である。

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