さて今回の調査の最終日となった。朝から曇りで、途中でちょっとだけパラパラ降りはしたが、午後は快晴となる。ただ当方が目論んでいた調査は残念な結果となったというべきか。
8時に例の作業員用入り口で今度は40歳くらいの女性クストーデ(監視員)のチェックを通過。エルコラーノ門外のマウソレオを下っていくと秘儀荘手前にある監視所で今度は50台の女性に止められ、まあこっちの書類にはマウソレオ調査と書いてあるので無理して突破せず引き返したのだが、ここから昔は遺跡周辺を歩く道が開けていたのに、規制線でいけなくなっており、なんとかならんかなと北壁の門毎にチェックしてみたプロセスで、私的にはいくつかの新発見があった。
第一に、第11塔のメルクリオの塔が公開されていて、上にまで登れた。ここでは若い女性クストーデ3人が何ごとか激しく会話していたのがちょっと気になったが。
第二に、ウェスヴィオ門前に規制線が張られ、給水施設にも行けなくなっていた。ただし作業・発掘関係者は綱を跨いで往き来していたが。私的にはそこから若干北を探った後、東に行き、カプア塔の調査地区と旧交を温めたかったのだが、自重した。
第三に、その直下のウェスヴィオ通りに面した細長い第五地区の一部が発掘されていて、それに導かれるように入った第五地区の小道のどん詰まりで新発掘場所と思われる豪邸が公開されていて、大いに楽しんだ。ここには若い女性クストーデが2人いたが、かなりの復元修復の産物と見た。
第四に、ノラ通りに面した「中央浴場」が公開されていて、in situで不意打ちの遺骸も見ることができた。ここは私がポンペイ遺跡を訪れるようになって一貫して閉鎖されていたので開いていたのは意外だったが(一度、通訳のIさんと一緒に雨の中を研究予約して入ったことはあったが)、それほど見栄えするものはないような。まあ肝心なところはカバーで隠しているのかもだが。
第五に、すべての東側の門への道は手前で閉鎖されていた。
ということで、遺跡の北面の地形景観の確認は今回果たせなかったが、ここには書かなかった場所を含め、幾つかの遺跡公開を見学することはできたので、まあよしとしよう。
夜は打ち上げを兼ねてごひいきのトラットリア・ペッピーノに行く。3月と異なり、ジャルディーノに案内され、半ズボンの私は蚊の攻撃を覚悟したが、不思議にやられなかった。そして髭の叔父さんのカメリエーレ(給仕係)二人がテキパキ給仕してくれて好感度とてもよし。我ら二人ともうっかりケータイを持って行かなかったが、カメリエーレがiPadを持ってきてくれて(ということは紙のメニューはもうないわけ)、だけど注文は口頭でする仕組み。前菜がなかなか凝っていて美味な内容と量で、1の皿のパスタも美味且つ量的に充分あり、二人ともやはり2の皿には至らなかった。二人で75ユーロ(前回も頼んだヴィーノ・ビアンコ・デッラ・カーザ一本含む)置いて出る。やっぱりここはいい。
翌15日は、ナポリ考古学博物館を見学してローマへ帰還。そして16日夜にトルコ航空機に乗り、17日夜羽田着の予定。
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