創価学会から池田大作名誉会長の死亡(2023/11/15)が公表された(11/18)。95歳ということだが、2010年半ばに入院して、症状は脳梗塞で、植物状態と報道されたのは、その翌年あたりだっただろうか。それ以来12年経ったわけだ。早くから死亡説も巷で囁かれていた。だから「ようやく」といういささか不謹慎な感想ともなる。彼が公の場に登場しなくなった頃、入院中のベッド上だったか車椅子だったかの写真をどこかでみたことがある。もちろん週刊誌の隠し撮りだったはずだ。車椅子の写真なんかひょっとして、空中から撮られた文京区目白の大邸宅の庭での田中角栄の車椅子写真と混同しているかもしれないが。
厳重な箝口令の下、姿を見せなくなったのに、折に触れての文書公表が続いたので(実に稚拙な糊塗反応!)、それ以前の彼の著作物もゴーストライターの手になっていたという憶測も真実味を帯び出していた。それを含め面白い見解をQuoraでOhta Mutsumi氏が展開している(https://jp.quora.com/profile/Ohta-Mutsumi:そこで触れられている別件「ザビエルはどうやって日本語を習得したのでしょうか?」も面白かった)。私も彼とはちょっと違ってしかし似ているような、医者を捲き込んで死亡届などどうにでもなる政治力環境下で、すでにエンバーミング化されていて、端的にいって池田家による創価学会私物化が完成するまで、ないし取り巻きの既得権益集団が自らの延命のため、時間稼ぎしているのかもなどと想像していたが(背教者となった元公明党委員長の矢野絢也が既にミイラ化構想に言及していたようだ:https://www.mag2.com/p/news/469368)、いずれにせよ学会にとって大きな節目が白日のもととうとう訪れたわけである。
32歳という若さでに会長に躍り出た彼の人心掌握術がいかなるものであったのかについて、Webで週刊文春が2010/12/2の古い記事を再掲載している。ちょっと横道に入るが、北朝鮮を占領したソ連が抗日活動でソ連に亡命していた金日成を北朝鮮のトップに抜擢したのだが、そのとき彼は弱冠34歳だった。周囲が自在に操れるだろうという目論見だったのだろうが、それと同じ状況だったにしても、その後そうはならなかったということか。
「10人きょうだい、初恋のラブレター、32歳で会長に…創価学会・池田大作名誉会長の意外な“実像”とは「将来大物になりそうな雰囲気はまったくなかったなあ」」(https://bunshun.jp/articles/-/67096)
「「ナンバー2を嫌って、人を育てなかった」池田大作氏が創価学会で“究極の権力構造”を作り上げるまで」(https://bunshun.jp/articles/-/67097)
また、今年の8/19公表の外国人記者の邦訳もウェブで見つけた:UNSEEN JAPAN「行方不明の池田大作創価学会会長を探せ!」(https://unseen-japan.com/ikeda-daisaku-yukue-fumei-sagasu/)。これなんか読んでいてなんだか客観的に感じられたのはなぜだろう。我ら同朋だと存在する生々しさが、外国人というフィルターを濾過することで消え去るせいかもしれない。
しかしながら、私が仄聞する彼の行動は生やさしいものではない。たとえばなり振りかまわないヴァチカンへの接近もそうで(ノーベル平和賞取得のため、手土産がすごかったとか)、キ生臭いそれについては私がぐだぐだ書くよりも、以下をご一読いただいて連想して願いたい(http://sudati.iinaa.net/karuto/Vatican.html)。私的感触からすると、ヴァチカンはすでに立正佼成会とかなり密接だったからという裏話もあるのだが。ただイタリアで驚かされたのは、20年前のことだが、予想外のところで私が日本人だと分かると「私、創価学会の会員なの」という女性たちに出会うことで、シシリアのラグーザでの店の店員とか、なんとオスティア遺跡のグッズ売り場の店員さんがそれだった。その後彼女たちがどうなっているか、今は知らない。そのとき心中で「極東の俺が、カトリックの洗礼受けているのだから、実態を知らずに異文化に惹かれるという意味では同じだな」と思ったものだが。
ところで、1970年代での私の研究の周辺課題に日本における明治以降の新宗教の蠢動にあった。素人ながら、大本教のことを勉強したり、とりわけ当時物議をかもしていた創価学会の過激な活動にそれなりの関心を払っていた。それが原始キリスト教の歩みの実態解明に資するのではないかとの思いがあったからである。直接それを論じた論稿を書くことはなかったが、講義の枕として導入で述べてはいた。宗教集団が現世の支配勢力を攻撃し変革を叫ぶことは珍しいことではない。その点で初期キリスト教の台頭と大本教や創価学会の運動形態に共通項があるのではないか、否、逆に新宗教の諸団体は原始・初期キリスト教の運動形態を密かに探求し、それらが自らに資すことを構想しなかったであろうか、と考えたからだ。
オウム真理教や統一教会が問題視されると、世の著名な宗教学者たちは口を揃えて「あれは正しい宗教ではない、カルトである」と自らのそれとの差別化の発言をする。マスコミも巨大既成集団に忖度して同様に既成宗教とは別物であるかのごとき情報の垂れ流しが見受けられる。しかしいかなる集団といえども決して一枚岩などではなく、実際には多種多様な思いの雑多な構成員からなっているので(部外者はこれを誤解していることが多い)、一部突出部分の”暴挙”もありえるし、そういった初心を温存した「青い」存在を体制は巧妙に育み常に内包しているものである。「正統と異端」の区分けとは、反主流派を排除した挙げ句の主流派の歴史の正統性を示し、しかしそれは自ら宗教運動の核心部分(活動分子)を放擲する自滅行動につながりかねないが、既成宗教化とは批判の牙を抜かれた無毒化=体制化への道程であると同時に、刷新運動として原初メンタリティへの回帰を常に志向すること抜きにいかなる既成宗教の活力も持続できないのだ。
もちろん、このような問題意識には70年に先行する60年代の諸々の社会現象があった。かくのごとき思いを背景に置きつつ、文書史料に基づいてまとめたのが『キリスト教の興隆とローマ帝国』(南窓社、1994年)であった。ことの本質に切迫することなく表面的かつ牧歌的な読解で由としてきたこれまでの解釈を根底からひっくり返す仮説であったからこそ、30年経っても未だに我が国で学界的に認知されているとはいえないのだが(欧米ではすでに19世紀末に言及されている)、言っている内容はキリスト教的先入観を廃せばしごく当然なのだが、初期キリスト教研究の担い手がキリスト教(とりわけプロテスタントの)信者であるので、自らの信仰に抵触する学説など受け入れがたいので敬遠というか黙殺されちゃうわけだ。より保守的と思われるカトリックは意外とこういう人間くさい問題(人間は誤りを犯す罪深い存在という認識が強い)には開明的で受け入れやすい面があるのだが。
私の学位申請論文ともなったその著書出版後、某学会輪読会でそれが取り上げられたことがあったが、その終了後の雑談の中で、ある若い研究者の質問に私が答えて「実は私の研究動機と射程には創価学会があるのですよ」と言った途端、ぎょっとしてそそくさと私の前から姿を消したのがとても印象的だった。それが、危ないものには触れない、それが無難、という本音の表白に見えたからである。しかしそれでは研究対象に肉薄することはできないわけで、まあそのとき、日本人に深く根ざした民族的メンタリティーによる研究の限界みたいなものを感じてしまったのである。
さて時間稼ぎには十分の12年間だったはずだ。その間どのような組織的手立てをしたのか、これからお手並み拝見というわけである。https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html;https://www.mbs.jp/news/column/scene/article/2023/11/097795.shtml