広島平和都市法の寺光忠、それにアルペ神父のこと

 朝起きてテレビをつけたらNHK総合でなぜか広島の平和都市建設法のことをやっていた。途中からだったが、そこでの恩人ともいうべき寺光忠氏(1908-1996年)に興味を持って検索してみたら、旧制広島高校から東大法学部に進み、1949年当時、参議院議事部長だった(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27163)。彼のアイディアで日本国憲法の第95条を根拠に、「広島平和記念都市建設法」制定に向けて動いたのだ。

 それ関連で、中国新聞の原爆資料館情報も眼にとまった。かつて触れたことがある長岡省吾氏もそこに登場してたのはいいが、「ヒロシマの地質学者の執念が詰まった原爆資料館。だが、年間100万人を超す入場者であふれる展示場にもパンフレットにも「長岡省吾」の名前はない」と書かれていて、気になった(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27269)。そう、放っておくと忘れられていくわけだ。

 ペドロ・アルペ神父(1907-1991年)もヒットした(中国新聞:検証ヒロシマの半世紀 検証ヒロシマ 1945〜95<20>宗教:https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27313;せせらぎ:特集13「アルペ神父(2006年)」:https://seseragi-sc.jp/story-cat/特集13%E2%88%92アルペ神父/)。スペイン人の彼については改めて解説する必要はないだろうが、原爆投下時に広島市(当時)北郊外の長束のイエズス会修練院長で、のちにイエズス会第28代目総長(1965〜1983/1991年)も勤めた。

 彼の列福運動もはじまっているようだ(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=134939:http://catholic.hiroshima.jp/pdf/fr_luis_cangas_20210805.pdf)。彼の墓所は一旦はサン・ロレンツォ・フォリ・レ・ムーラ教会裏のカンポ・ヴェラーノ墓地のイエズス会区画だったが、現在、ローマのジェズ教会のフランシスコ・ザビエルの祭壇右の隣接礼拝堂にあって銘板が掲示されている。その移葬についていかにもイタリア的な噂話を聞いた記憶がある。イエズス会側の担当者がお金は一切必要なかった、と言っていたと。

【付記】イエズス会日本管区は関係者からもうひとり総長を出している。2008-2016年の第30代アドルフォ・ニコラス神父(1936年スペイン生れ;2020年帰天)。現総長アルトゥロ・ソサ・アバスカル(2016年〜)は、初の欧州外出身(ベネズエラ人)。なお現教皇フランシスコ(イタリア系アルゼンチン人:在位2013年〜)は史上初のイエズス会出身。この世代はアルペ総長の刷新活動(社会正義の促進・解放の神学)の影響を少なからず受けているはず。

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