今日、いや明日はJFK60回忌

 私が16歳の今日11月22日、というか日本時間だと1963年11月23日土曜(勤労感謝の日で祝日)の早朝、翌年の東京オリンピックのため、初めての日米宇宙中継だっけの放送があるというので、それ見たさに早起きするため前夜からつけっぱなしだった白黒テレビから音声が流れ出し、それで目が覚めた。画面がなぜ砂漠の風景なんだろうと思っていたら、なんと飛び込んできたのがJFK暗殺の報道だった。「午前5時28分、モニターテレビに史上初めて太平洋を越えてきた映像が鮮やかに映し出された。ところが、この歴史的な電波に乗って送られてきたのは、ケネディ大統領暗殺の悲報。中継のアナウンス「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念」と伝え、衝撃は全国に広がった」。ケネディが今回のためにホワイトハウスで事前に録画していたステイトメントが流されたのは、だいぶたってからだったろうか。私はおかげで興奮してその日は寝不足なのに寝る余裕もなかったことを覚えている(https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030052_00000)。

 これに関連して、ケネディ一族の近況が伝えられている。https://wedge.ismedia.jp/articles/-/32167?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20231122

 そして3年前のNHKスペシャル「未解決事件 File.8 JFK暗殺」の再放送もあって、「ケネディ大統領暗殺のすべては日本が起源だった」とちょっと刺激的表現で再検討されているし、日本でも11/17から新しい映画(オリヴァー・ストーン監督の新作「JFK/新証言 知られざる陰謀」)が公開された由。

 また、同日夜、テレビ局が2箇所でこの問題を取り上げていて、両方とも見た。私はイエズス会経営の中高にいたので、このアメリカではじめてのカトリックの大統領にはどうしても肩入れしちゃうのだが(私は中三の編入なので目撃していないが、1960年のニクソンとの大統領選挙の時、イングリッシュ担当のハンド神父は、「ケネディが大統領になったら、中間試験はなしにする」と明言され、公約通りそうなった由)、同時に、彼が暗殺されなかったら次期大統領選での敗北は濃厚だったという当時の風評には一切触れられることがないのは、どうかなと思わざるを得ない。

 実は、このような同時中継的な出来事への遭遇を、福島以外に、私はもうひとつ記憶している。それはニューヨーク現地時間2001年9月11日火曜日の朝8時45分、日本だと同日午後9時45分のことだった。どの放送局だったか記憶していないが、テレビニュースでニューヨーク特派員が机に座って喋っているのを聞いていて、背後のガラス窓越しに例のツインタワーが真っ青な晴天の中に見えていたが、そこに画面左側からなにかがすーと横切ってきてビルで消えたのである。私はあれれと思ったが、もちろん特派員はうしろのことだから気づかない。しばらくして今度は逆に右からはっきりと航空機の接近が認識できた。こっちはチャンネルを変えたのだろうNHKで見たような気がする。

私はそれをテレビではっきり見た記憶があるのだが、なぜか最初の突っ込み画像はその後どこを探しても見当たらない。それこそスクープだっただろうに、なぜだろう。

 画像がいいのでちょっとコメントが煩わしいがこっちを張り付けておく(https://www.nicovideo.jp/watch/sm29629059)。

【補遺】これは暗殺と関係ないが、JFKの妻ジャクリーンは1963年8月に早産して、5番目の息子パトリックを8/9に失っていたことを今回初めて知った。娘キャロライン、息子ジョン・ジュニアを得る前に2回流産を体験していたことも。たぶん、公の場に久しぶりに出て来たときの夫の死だった。これは彼女にとってたび重なる悲劇であったはずだ。https://ja.celeb-true.com/patrick-bouvier-kennedy-last-child-american-president-john-kennedy#google_vignette

 かくのごとく、歴史とは枝葉の情報は忘れさられ、一番目立つ定番の公式見解へと収斂されていく。その背後で繊細な人情の機微に触れる事実は歴史の闇に消えていき勝ちなのだ。プロならそれの再現に努めなければならないはずなのだが。

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