最近改めて思うのは、すべては仮説、ということ。巷間ではいかにも定説視されているが、その実態は都市伝説化した物語にすぎないわけで。まあこんなことはフィクションを旨とする小説や脚本の世界では常識かもしれないが、実証に基づいているはずの学界で忘れ去られている場合がままあるように思える。
以下のブログを偶然見つけた。
濱田篤郎・東京医科大学特任教授が「感染症は歴史を動かす」の中で、「キリスト教が世界的飛躍を遂げたのはなぜか:背景にハンセン病と奇跡の“秘薬 ”」を書き込んでいる。 https://mainichi.jp/premier/health/articles/20240122/med/00m/100/005000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhealth&utm_content=20240127
庶民の悩みの大半は健康でないことに起因しているので、宗教と病はたしかに密接に関連している。 ただ、新旧約聖書では「レプラ」lepra と書いてあるが、これは当時重篤な皮膚病を幅広く表現していて、現代的な「ハンセン病」に限定されるものではなかった、という解釈が聖書学者では一般的となっている。
とはいうものの、不治の病をイエスは奇跡的に治癒できた、だから彼は神の子なのだ、というのが新約聖書の書き手にとって一番言いたかったことなので、読者はおのずと癩病と短絡的に限定的に解釈するのが普通だったのも事実だろう。
ブログに書かれているようなナルドなどの特殊な香油で治癒できたレベルは実際に生じたはずだが、しかしだからキリスト教が世界宗教になったのだ、というのは論理の飛躍がありすぎる。西欧世界が地球上の世界制覇を成し遂げたがゆえに、その裏打ち宗教としてキリスト教が世界宗教となり得たというのがまっとうな考えではなかろうか。同じことはムスリムにも言えるはずだ。
たとえば、同様に米国の圧倒的影響下にある韓国・台湾・日本ではあるが、人口の半分がキリスト教徒となっている韓国に比べ、台湾と日本でのそれはごく限定的である。日本では新旧併せて人口の1%程度の110万人、台湾では4%の55万人程度に留まっている。それは駐留米軍への軍事的依存度の違いのように私には思える。そして、敗戦後に宗旨替えしてそれなりの信者を獲得した日本のキリスト教もいよいよ二世・三世信者に移行する時期に遭遇し真価が問われ出したところで、新コロナ騒ぎに遭遇したわけで、その影響が今後どう波及するか、私は密かに注目している。
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