私が中学生のころ、授業の中で、池田潔『自由と規律:イギリスの学校生活』岩波新書、青版17、1947年の中のエピソードとして、イギリス紳士が道路を渡ろうと横断歩道で、往来する車がなかったのに青(緑?)になるまで待っていた、かくのごとくイギリス紳士は社会的規範に忠実なのでア〜ル、ということと、社会的地位あるエリートには責任が伴っており、果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)を自覚しなければならない、と教えられたことを未だ覚えている。
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しかし60年という歳を経て、実体験と知識が増えると共に、そんな絵に描いたような紳士は、そういう頑固者がいないわけではないが皆がみなそうではないということがわかってきてはいたし、アラビアのロレンスの例を挙げるまでもなく国家としてイギリスがやってきた野蛮な行為は紳士にふさわしいものとはいえない、ということも知ったのであるが、偶然以下のような記事を目にして、先進国に追いつき追い越せとやってきた我が祖国の、ごく限られた歪曲された世界観をあらためて認識したわけである。
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まあこの書き手が、支配階級の紳士淑女でない庶民階級だったからとは思えないのである。
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