信仰者の蹉跌と、初代教会の成り立ち

 青年期における宗教一世・二世・三世問題の道程は、みなよく似ているはずだ。なので、私はここで私自身の話をする必要もない。以下の本の「序章」を読めば事足りるだろうから。

 バート・D・アーマン(津守京子訳)『キリスト教の創造:容認された偽造文書』柏書房、2011年。

 似たような叙述をどこかで読んだ記憶があるのだが、ひょっとしたら同じ著者の松田和也訳『破綻した神キリスト』柏書房、2008年だったのかもしれない[確認したらそこでは念を入れて一章を割いていた。私の記憶はそこだったのだ]。もしそうだったら、この多作な著者は似たようなことをくり返し書いていることになる。

 とまれ、聖書の勉強をすればするほど、キリスト教の教義に対する疑問は大きくなるわけで(ま、なんでもそういうもののように思わないでもないが)、そこでかなりの者が精神的に離教していくわけであるが、大いなる疑惑を持ちつつもなぜか教会を離脱せずにそこに留まる者もいるし、中にはそうなってしまった自分を堕落と捉えて少年少女期の純真な信仰に逃げ込む者もいる。しかし、不可知論者になった著者がなぜ聖書学研究に未だ従事しているのか、あからさまにいえば飯の種にしているのか、これは実は他人事ではない命題である。まあ他に生きる手段もないので、だまくらされた敵討ちでやっているようにも思えるのだが(かつてTHE BLUE HEARTSの甲本ヒロトが、先輩のロッカーに騙されてロックに没入したが、だから今若い奴を騙しているんだ、とストレートに放言していたように)。

 しかし、大人になるということは、不可知論を受け入れて、相対的な世界観をこそ堅持して生きていくことなのではないか、と私は思う。

 ところで、今回『キリスト教の創造』を我が図書館から借りだしたのだが、どうやら私が本当に最初の読者だったようでまったくの新品だった。出版以来もう10年以上経つのに、広く広げたらバリッと音がしたので、それと分かった。今日日の学生はすでに精神的成長の過程で私世代のこだわりなんかなくなったのか、いやそうではないだろう、我が大学には類書が山ほどあるので皆が気づかなかっただけか。神学部の教師が教えればいいものを、内容的に推薦するのが憚れたからだろうか。まあそんなところだろうなと。護教と釈義に勤しめばそうなるだろうし、そもそも古代ローマやってた私も現職時代に知らなかったわけだし。

 そんな私でも新知見があった。著者が念を入れて濃淡をつけて強調しているのだが、古代人一般の宗教意識についてだった。これ自体は従来も軽く触れられてきているので、これまで私自身もそう気に留めなかったのだが。著者は「現代宗教と古代宗教のいま一つの重要な違いは、古代の多神教が来世について大して関心がなかった」、すなわち古代宗教は現世的ご利益に特化していたと。ここに濃淡をつけているのである。それとの関連で、第一に古代宗教には聖典がなかったことが強調される(もちろん神話はあったが)。

 著者は続けて、キリスト教はユダヤ教と同様に何を信じるべきかを明確かつ強硬に主張した。それは、もし信じなければならないことを違えたら来世で罰せられるということだ。問題は信者が信ずべき内容だが、教祖は最初に処刑死してしまっているので、教祖の教えは直弟子たちに伝授されているとされ、そこから使徒継承への理論が構築され、それと同時に聖典の編纂と正典化がなされた、と。

 私はここで、著者が「後に」(p.14)そのようになったと言っていることに敢えて注目しておきたいのだ。はじめからそうではなかった。キリスト教も最初は病直しのご利益宗教だったことは、新約聖書を一読すれば明白だったし、通史では(えてして意図的に)省略されるわけだが、正典化がなされるまでも、そして正典化がなされてからもキリスト教内で諸々の混乱は継続して存在したのである。初期キリスト教時代には、いわばキリスト教会という看板を掲げた小教祖が各所で乱立し、各々直弟子から伝授されたという有り難い聖典が数多く存在していたのだ(著者自身が勘定したところ100冊に及んだそうだ)。

 そしてまた、本書の最初で触れられていたように、古代宗教に経典がなかったというのも実は現代的識見による事実誤認で、ソクラテスとプラトンの師弟関係のように始祖の教えを継承し担っていたのは哲学学派であり、そこでの宗教的理念の構築の成果が哲学書だったわけなのだ。ギリシア語で「哲学学派」が原義のハイレシスがキリスト教では「異端」を意味するようになったことを考えると意味深いものがあるが、換言するなら、古代社会においてやはり哲学思想は、一般大衆とは無縁であって、ごく一部の教養階級においてのみ受容されていて、その意味で庶民総体としては現世的なご利益宗教だったといえるのではなかろうか。しかも、この事情はキリスト教でも同様だったはずだ。

 そのような意味で、いわば有象無象のそのほとんどが目に一丁字ない(直弟子ですらほとんど文盲だったことを思い出せ!)大衆で構成されたセクト集団の総体が初期キリスト教であった。そこには現在の我々が普通に受け入れている統一感あるがごとき(実際はさておき)キリスト教など存在しなかった。敢えていうと名称にふさわしい「カトリック」教会など存在しなかった(初代教会など地中海世界プラスαだったわけで、最近ようやく地球上の諸大陸に信者が散らばり、非西欧的な信者構成になって「カトリック」的になってきたのだが、皮肉にも信者数は漸減している)。むしろプロテスタント的な小教団乱立状況だったというべきか(もっとも現在では正典化された聖書があるのだが)。それが国家宗教化するプロセスで統一教義構築へと向かい出すわけである。それで教会史的にはそれなりの統一組織ができました、ということになるのだが、むつかしい教義的なことは神父(ないし牧師)様にお委せし、一部覚醒的信徒もいるにせよ、一般大衆信徒はゆるい信条的縛りの中で揺蕩うという、多重構造の中で連綿と「共同体」を維持しているように、私には見える。

人口に占めるカトリック信徒の比率(色が濃くなるほど比率が高い):2000年度の統計

 さて本書の本論はそこから先に展開していくのだが、今日はここまでとしたい。

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