実はHPの継続購入手続きを忘れていまして(というか、不正アクセスのメールが多すぎて、事前通知をそれだと思って削除してしまったのでしょう、たぶん)、2日間ほどアクセス不可になってました。
しかしこんなことでウェブは簡単に消えてゆくわけです。
まだ決心が定まってませんが、今回は2年間継続で契約しました。本当は提示されている上限の9年間にしておれば、死後もしばらくは生き残るわけで、世話がないのでしょうが、金銭的に・・・なんですよね。
実はHPの継続購入手続きを忘れていまして(というか、不正アクセスのメールが多すぎて、事前通知をそれだと思って削除してしまったのでしょう、たぶん)、2日間ほどアクセス不可になってました。
しかしこんなことでウェブは簡単に消えてゆくわけです。
まだ決心が定まってませんが、今回は2年間継続で契約しました。本当は提示されている上限の9年間にしておれば、死後もしばらくは生き残るわけで、世話がないのでしょうが、金銭的に・・・なんですよね。
昨晩、つけっぱなしにしていたテレビからどこかで聞いたことのある声が聞こえてきたので、ふと画面を見て、驚嘆。
NHKの「100カメ」で、奈良女子大で女性の生理痛を男性も感じる装置を開発中とかいう場面で、MCのオードリも電気刺激でそれを体験してまではへ〜といった感じだったのだが、そっから一挙に聞き慣れない「セルフ・プレジャー」の世界に突入。こりゃもう「大人のおもちゃ」の世界ではないか・・・。こんな話題、NHKでないとできないわ、という感じ。「自慰」とかの日本語だと隠微さが伴うが、そうかカタカナ英語か。「masturbate」を使わないのも工夫なのだろう。この番組、今だとNHK+で見ることできるらしい。
ググってみたら昨年「あさイチ」でやっていたらしいし、「100カメ」でも昨年暮れが初回放映だったようだ。
私はこの番組で経産女性の悩みとかの実態をはじめて知った思いがする。そこで最後に、私が最近膝関節で使っているヒアルロン酸まで登場していて、オイオイという感じだった。
しっ、知らないことが多すぎる。
【追伸】20245/3/24:垂れ流しの民放テレビでやってたのが、Femitechとかの女性用の特に生理用品の展示会情報。トイレットペーパー形式のナプキンにはなるほどと思ったけど、月経カップにはビックリ・・・。
ポーランド人が営んでいるブログ「Imperium Romanum」からメールがあり、最近2週間の古代ローマ史関係の記事の連絡があった。以下、邦訳を付けることはしないが、興味あればGoogle翻訳の素訳で手軽に全容を知ることができる。
1 March 2024 Fragment of Roman fresco with black inscriptions
1 March 2024 Castellum Aquae in Pompeii
1 March 2024 Roman military diplomas
29 February 2024 When did Rome begin to fall into ruin? Whenever I look at the ruins of ancient Rome,
27 February 2024 Bronze ears were found in central ItalyIn central Italy,
26 February 2024 Fausta
だがこのブログは新発見情報というわけではない。しかし、ちょっとした歴史的位置づけとか視角でヒントになることがあるのは、ウィキペディアと同様で決して蔑ろにできない(もちろんガスネタの場合もあるので、裏付けは必須だ)。
重々それに注意しつつも、今回面白いなと思ったのは、ポンペイの配水建造物(後62年の地震の後使用不可だった、と)と帝都ローマの没落(インフラには莫大な修復費用がいる;とりわけ後3世紀の荒廃への注目)関係の記事だった。もちろんこれまでもそれなりの言及はされていたが、私のようなボケ老人にそれを思い出させてくれて感謝である。そういった意味ではファウスタの女性目線からの位置づけ方も面白かった。
新発掘情報に関しては「The History Blog」(http://www.thehistoryblog.com/)のほうがほぼ連日アップしていて便利である。ここ1ヶ月の古代ローマ関係情報は以下である。
その中で、ブルガリアの農地で見つかったペルガモン打刻青銅貨についてここで簡単に触れておこう。以下の写真は、発見場所と出土青銅貨幣。農民が農耕機使っていて巨大な石板にぶつかった。それが裕福な出土遺骸一族の墓所だった。
この貨幣はその筋では著名だったようで、帝国貨幣でもないのに、オークションでは$4500の値がついている。皇帝カラカッラ(治世198-217年)が治世晩年に体調を崩し、治癒神巡りで歴訪したときのこと、214年ペルガモンのアスクレピオス神域訪問時の一連の記念貨幣のひとつである(なんと後日再打刻もされたようだし、カラカッラ死後の記憶の抹殺例もある由:https://www.acsearch.info/search.html?term=caracalla+pergamum&category=1&en=1&de=1&fr=1&it=1&es=1&images=1¤cy=usd&order=0)。
神域は右平面図の左下で、アスクレピオスの神殿は②:それにしても劇場が3つもあるなんて。
この皇帝の巡礼については以前このブログで北フランスのGrand(Grannum)関連でちょっと触れたことがある(https://www.koji007.tokyo/wp-content/uploads/2018/10/conference_presentation_201810.pdf;https://www.koji007.tokyo/2018/02/)。 以下が同種のより鮮明な画像。
Æ Medallion (40mm, 33.73 g):https://www.cngcoins.com/Coin.aspx?CoinID=246985
表面:向かって右向きの皇帝横顔、頭に月桂冠、胸当てにゴルゴネイオンないしメドゥーサの頭部。AVTKPAT K MA PKOC AVP ANTΩNЄINOC:(羅)Imperator C(aesar) Marcus Aur(elius) Antoninus =Caracalla
裏面:ペルガモン市への入城式 adventus の場面で、騎馬の皇帝が1人の随行兵士を伴い左向きに右腕をあげて挨拶をしている。右端には石柱cippus上に治癒神アスクレピオス立像。 ЄΠI CTP M KAIPЄΛ ATTA-ΛOV ΠЄPΓAMH-NΩN:(希)Epi Str(ategou) M(arcou) Kaerel(iou) Attalou Pergamenon :ペルガモン人たちの長官[市長?]、Marcos Caerelios Attalos 下で
刻銘部:ΠPΩTΩN • Γ • NЄ/ΩKOPΩN:Neokoroi[神殿管理]三人官の第一[工房の意味か?]
ペルガモンのアスクレピオンについては、http://www.my-favourite-planet.de/english/middle-east/turkey/pergamon/pergamon-photos-01-035.html
[銘文読解で、江添誠氏のお知恵を拝借したが、記述内容に関する責任は当方にあります]
昨晩のNHKBSだっけのテレビを見ていて、なんとバンクシーが2023年11月にウクライナのキーウ付近の廃墟になった幼稚園の壁に描いた落書きが切手にされているということを知った。別情報から今年の2/24発売開始だったようだ。
それでさっそくググってみると、日本でもすでに入手できることを知り、さっそく切手シート一枚と別途一枚を注文した。全部で5000円台半ば。
左が壁に描かれた落書き原画、右が切手。1シート6枚綴りでも販売されている。
よくみると一見して柔道着を着ていての背負い投げの構図なので、一瞬なんでと思ったのだが、ああ投げ飛ばされているのが柔道愛好家のプーチンなのだと合点がいった。
業者の仲介料という資本主義の網の目をかいくぐり、それでも私なりのウクライナ支援のつもりであるが、それにしてもインターネットで即買いできるいい時代になったものだ。
ところで切手の文面の左下の「ΠΤΗ ΠΗΧ!」であるが、どういう意味のだろうか。ギリシア語で打ち込んだせいかヒットしなかった。ご存知の方からの情報をお待ちしている。
それで思い出してしまった。数年前、彼がベツレヘムのイスラエルとの分離壁に描いてきた落書きのほうは無事であろうか。
左:2015年作「花束を投げる男」、右:2017年作「壁をこじ開ける2人の天使」(この時まだ無理矢理こじ開けた隙間が開いている:後にイスラエル側が隙間に詰め物をしてふさいだ)
https://4travel.jp/travelogue/11648786
【追伸:3/5に切手が届いたが、当たり前だが思ったより小さく、画像で見たほうが細部もよく見える】
青年期における宗教一世・二世・三世問題の道程は、みなよく似ているはずだ。なので、私はここで私自身の話をする必要もない。以下の本の「序章」を読めば事足りるだろうから。
バート・D・アーマン(津守京子訳)『キリスト教の創造:容認された偽造文書』柏書房、2011年。
似たような叙述をどこかで読んだ記憶があるのだが、ひょっとしたら同じ著者の松田和也訳『破綻した神キリスト』柏書房、2008年だったのかもしれない[確認したらそこでは念を入れて一章を割いていた。私の記憶はそこだったのだ]。もしそうだったら、この多作な著者は似たようなことをくり返し書いていることになる。
とまれ、聖書の勉強をすればするほど、キリスト教の教義に対する疑問は大きくなるわけで(ま、なんでもそういうもののように思わないでもないが)、そこでかなりの者が精神的に離教していくわけであるが、大いなる疑惑を持ちつつもなぜか教会を離脱せずにそこに留まる者もいるし、中にはそうなってしまった自分を堕落と捉えて少年少女期の純真な信仰に逃げ込む者もいる。しかし、不可知論者になった著者がなぜ聖書学研究に未だ従事しているのか、あからさまにいえば飯の種にしているのか、これは実は他人事ではない命題である。まあ他に生きる手段もないので、だまくらされた敵討ちでやっているようにも思えるのだが(かつてTHE BLUE HEARTSの甲本ヒロトが、先輩のロッカーに騙されてロックに没入したが、だから今若い奴を騙しているんだ、とストレートに放言していたように)。
しかし、大人になるということは、不可知論を受け入れて、相対的な世界観をこそ堅持して生きていくことなのではないか、と私は思う。
ところで、今回『キリスト教の創造』を我が図書館から借りだしたのだが、どうやら私が本当に最初の読者だったようでまったくの新品だった。出版以来もう10年以上経つのに、広く広げたらバリッと音がしたので、それと分かった。今日日の学生はすでに精神的成長の過程で私世代のこだわりなんかなくなったのか、いやそうではないだろう、我が大学には類書が山ほどあるので皆が気づかなかっただけか。神学部の教師が教えればいいものを、内容的に推薦するのが憚れたからだろうか。まあそんなところだろうなと。護教と釈義に勤しめばそうなるだろうし、そもそも古代ローマやってた私も現職時代に知らなかったわけだし。
そんな私でも新知見があった。著者が念を入れて濃淡をつけて強調しているのだが、古代人一般の宗教意識についてだった。これ自体は従来も軽く触れられてきているので、これまで私自身もそう気に留めなかったのだが。著者は「現代宗教と古代宗教のいま一つの重要な違いは、古代の多神教が来世について大して関心がなかった」、すなわち古代宗教は現世的ご利益に特化していたと。ここに濃淡をつけているのである。それとの関連で、第一に古代宗教には聖典がなかったことが強調される(もちろん神話はあったが)。
著者は続けて、キリスト教はユダヤ教と同様に何を信じるべきかを明確かつ強硬に主張した。それは、もし信じなければならないことを違えたら来世で罰せられるということだ。問題は信者が信ずべき内容だが、教祖は最初に処刑死してしまっているので、教祖の教えは直弟子たちに伝授されているとされ、そこから使徒継承への理論が構築され、それと同時に聖典の編纂と正典化がなされた、と。
私はここで、著者が「後に」(p.14)そのようになったと言っていることに敢えて注目しておきたいのだ。はじめからそうではなかった。キリスト教も最初は病直しのご利益宗教だったことは、新約聖書を一読すれば明白だったし、通史では(えてして意図的に)省略されるわけだが、正典化がなされるまでも、そして正典化がなされてからもキリスト教内で諸々の混乱は継続して存在したのである。初期キリスト教時代には、いわばキリスト教会という看板を掲げた小教祖が各所で乱立し、各々直弟子から伝授されたという有り難い聖典が数多く存在していたのだ(著者自身が勘定したところ100冊に及んだそうだ)。
そしてまた、本書の最初で触れられていたように、古代宗教に経典がなかったというのも実は現代的識見による事実誤認で、ソクラテスとプラトンの師弟関係のように始祖の教えを継承し担っていたのは哲学学派であり、そこでの宗教的理念の構築の成果が哲学書だったわけなのだ。ギリシア語で「哲学学派」が原義のハイレシスがキリスト教では「異端」を意味するようになったことを考えると意味深いものがあるが、換言するなら、古代社会においてやはり哲学思想は、一般大衆とは無縁であって、ごく一部の教養階級においてのみ受容されていて、その意味で庶民総体としては現世的なご利益宗教だったといえるのではなかろうか。しかも、この事情はキリスト教でも同様だったはずだ。
そのような意味で、いわば有象無象のそのほとんどが目に一丁字ない(直弟子ですらほとんど文盲だったことを思い出せ!)大衆で構成されたセクト集団の総体が初期キリスト教であった。そこには現在の我々が普通に受け入れている統一感あるがごとき(実際はさておき)キリスト教など存在しなかった。敢えていうと名称にふさわしい「カトリック」教会など存在しなかった(初代教会など地中海世界プラスαだったわけで、最近ようやく地球上の諸大陸に信者が散らばり、非西欧的な信者構成になって「カトリック」的になってきたのだが、皮肉にも信者数は漸減している)。むしろプロテスタント的な小教団乱立状況だったというべきか(もっとも現在では正典化された聖書があるのだが)。それが国家宗教化するプロセスで統一教義構築へと向かい出すわけである。それで教会史的にはそれなりの統一組織ができました、ということになるのだが、むつかしい教義的なことは神父(ないし牧師)様にお委せし、一部覚醒的信徒もいるにせよ、一般大衆信徒はゆるい信条的縛りの中で揺蕩うという、多重構造の中で連綿と「共同体」を維持しているように、私には見える。
人口に占めるカトリック信徒の比率(色が濃くなるほど比率が高い):2000年度の統計
さて本書の本論はそこから先に展開していくのだが、今日はここまでとしたい。
昨晩フロに入ろうと右足を浴槽(バスタブ)に入れたら、つるりと滑って左足のすねをしたたかに浴槽の縁にぶつけてしまった。別段どうこうしたわけではないが、試しに大声で妻を呼んだのだが、なにせ豪邸なので(ウソです)何度叫んでも聞こえないわけ。それでなくとも耳が遠くなっている妻は気づかない。それでも何度もわめいているとようやく気づいてくれた。
直線で10mも離れていないはずなのだが、それでもこの始末だから、ヘッドホンなんかしてたらそりゃ完全に聞こえないだろうなと。
もう何が起こっても不思議ではない。それでさっそく浴槽の下に敷くマットと、念を入れてナースコール?を発注したのである。
さっそく本日昼にはナースコールの方が届いた。警告音(らしくない音楽で、しかも五秒くらいしか持続しない)選択と設定にいささか手間取ったが、スピーカーのほうを居間に置いて、二つついていた発信器のほうを一台風呂場にぶら下げた。もう一台はトイレかなと思ったりもしたが、とりあえず保存だ。
先々日、帰京して東京駅から四谷に寄って、自宅に向かう途中で、乗換の代々木でホームに降りたあたりでふらふらとめまいと軽い頭痛が。地震ではなかった。しばらくじっとしていたのだが、こんなことが日常茶飯事になったらいよいよかなと思わざるをえないのだが、外出時とか自宅に独りでいるときにはiPhoneで救急に連絡するしかないか。
https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html
この一週間帰省していて、遅ればせですが:
<国内ニュース>
▼ ロシアの軍事侵攻から2年、在日ウクライナ正教会が合同祈祷会 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33327/20240224/prayer-for-ukraine-2-years-after-russian-invasion.htm
▼ 紛争地域の宗教者ら招き東京で「平和円卓会議」 16カ国・地域から約100人が参加 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33319/20240222/2nd-tokyo-peace-roundtable.htm
▼ 聖路加事件2次加害訴訟、東京地裁で第1回口頭弁論 院内集会には元ジャニーズJr.も https://www.christiantoday.co.jp/articles/33313/20240221/st-luke-second-rape-case-first-oral-argument.htm
▼ カトリック新聞が2025年3月で休刊、ネット配信へ転換 紙媒体は月刊の無料広報紙化 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33335/20240227/the-catholic-weekly-of-japan–stops-publication.htm
▼ 生活困窮者支援に取り組む教会、能登半島地震の被災地訪問 困窮世帯に物資届ける https://www.christiantoday.co.jp/articles/33320/20240223/noto-peninsula-earthquake-jesus-community.htm
▼ 津田塾大学、カトリック系の中高一貫女子校2校と高大連携協定締結 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33332/20240226/tsuda-university-collaborates-two-catholic-high-schools.htm
<国際ニュース>
▼ 法廷で自らの信仰を語ったナワリヌイ氏、その勇気からクリスチャンは何を学べるか https://www.christiantoday.co.jp/articles/33334/20240226/what-can-christians-learn-from-alexei-navalny.htm
▼ 英国国教会の総本山「カンタベリー大聖堂」でサイレントディスコ、抗議や疑問の声相次ぐ https://www.christiantoday.co.jp/articles/33324/20240223/canterbury-cathedral-silent-disco.htm
かねて問題だったカトリック新聞休刊のWebに行ったら、以下の関連情報があった。旧聞に属するものばかりであるが、聖公会といいカトリックといいなんだか大変。カトリック信者数の増加記事の発信は新コロナ以前の2019年なので、事後の動向に注目したい。