オリンピックの裏側で:フランスの不都合な蛮行

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  現在テレビはパリ・オリンピック満載で、いつものようにお祭り騒ぎをカモしているが、その裏側でかつての宗主国フランスの蛮行を忘れないアルジェリア選手団の行動が目をひいているようだ。私はそんなことがなんと1961年にあったことなど覚えていなかった、というか、そもそも知らなかったのだろうが、だがかの宗主国の歴史を顧みるに、あって一向に不思議ではないと腑に落ち、自由・平等・博愛を外に向かって高らかに高唱してきた(今もそうしている)現代フランス植民地主義の黒歴史が、セーヌ川の川底から浮き上がってきたわけである。

   時はアルジェリア戦争末期の出来事で、差別に対する2万の抗議デモに対して、治安部隊が投入され、1万人以上が逮捕され、射殺や撲殺された犠牲者の遺体はセーヌ川に投げ込まれた(一説では200名)。それをパリ警視庁は翌日、「アルジェリア人同士の衝突で3人が死亡した」と発表した。この虐殺は長く伏せられ、ようやく90年代に歴史家が検証し始め、裁判所に認定されたのは99年、2012年になって大統領が初めて事件の存在を認めたらしい。「21年にはマクロン大統領が初めて追悼行事に参加した。謝罪はせず、国の責任についても言及しなかった」。

  まさに日本の関東大震災時の朝鮮人虐殺に似た事件だった。

オリンピック開幕に向け進む「浄化」 パリで「排除」されるのは誰:https://digital.asahi.com/articles/ASS7Q5V59S7QUHBI01WM.html?linkType=article&id=ASS7Q5V59S7QUHBI01WM&ref=yoru_mail_20240731_bunmatsu
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