ブルガリア出土の銀板アムレットに十字架の印

http://www.thehistoryblog.com/archives/70755  2024/7/22

 2023年夏、ブルガリア南東部のDebelt 村近郊の、かつてのローマ植民都市 Deultum の墓地の、若者の遺骸の頭部近くに置かれた銀製の筒状のものが発掘された。https://www.youtube.com/watch?v=uwDrwNlukx0&t=126s

 考古学者が堅く丸められたそれを広げて見ると、ギリシア語が刻まれていて、その内容から、紀元後2世紀後半または3世紀初頭のもので、キリストに言及した最古のお守りということがわかった。おそらく革や布の袋に入れてペンダントとして身に着けたり、衣服の中に隠したりしていたと思われる。当時のキリスト教徒の埋葬風習どおり他に副葬品は見られなかった。

 広げられた銀の薄板は以下である。4/5行の文字列が見てとれる。

 読み取られたギリシア語は以下の左、中央がローマ字変換したもの、右端が日本語訳。

  ΓΑΒΡΙΗΛ    GABRIEL   ガブリエル

  ΜΙΧΑΗΛ    MICHAEL   ミカエル

  ΦΥΛΑΞ     PHYLAX    守護者

  ♰ΡΕΙΣΤΟ/Σ   XREISTO/S   クレイスト/ス

4/5行目の拡大部分図

最初の2行は大天使二人の名前、3行目のφύλαξは、使徒行伝5.23に出てきていて新共同訳では監獄の「番兵」と訳されている。最後に4/5行目はちょっとだけ複雑で、冒頭は十字形だがこれはX が 45 度回転しているとする。ある意味でキリストのギリシア語「χριστος」とギリシア十字「♰」の組み合わせである。そして通常の「χριστος」ではなく「χρειστος」と「ε」が付加されている。

 この問題は、たとえばスエトニウス『ローマ皇帝伝』の「クラウディウス伝」25出典の「Chresto」問題とも絡んでくる可能性があるが、まあここは常識的に我らのキリストの意味にとればいいだろう。要するにこのアムレットは、冒頭の二大天使を挙げることでユダヤ教の伝統を引きつつ、新たにイエス・キリストをも持主の守り神(守護者)として招来させているわけである(異教魔術書や後世のムスリムでも登場する)。このお守り独自の新機軸として、キリストの冒頭を十字型に変形させていることで、現段階でもっとも古い事例となりえる。

 その意義として、碑文学者 Nikolay Sharankov博士は述べる:「一般の目に見える碑文では、初期キリスト教徒の宗教的忠誠心が公然と明らかにされることはほとんどありませんでした」「彼らはしばしば、鳥や魚などの無害なシンボルや、疑惑を招かない「神」などの隠された表現を使用していました。イエス・キリストへの明確な言及はまれで、3 世紀初頭に遡る古代フィリッポポリスPhilippopolis(ブルガリアの現プロヴディフPlovdiv)の墓碑文に 1 つの初期の例が見つかりました。しかし、その場合、「イエス」という名前は、おそらくキリスト教徒だけが理解できる数字の 888 という暗号で伝えられました。対照的に、デウルトゥムのお守りは詮索好きな目から隠されていたため、キリストについて曖昧さや秘密を持たずに直接言及することができました。」

 紀元 70 年頃、ウェスパシアヌス帝が皇帝位獲得を後押しした第 8 軍団アウグスタの退役軍人のための植民地として設立されたデウルトゥムは、バルカン半島で 2 番目のローマ植民都市であり、現在のブルガリアにある最初のローマ都市で、ブルガリアで設立された唯一のローマ市民の植民都市だった。スレデツカSredetska川沿いの港町で、黒海に直接アクセスでき、貿易と銅の採掘で繁栄し、この地域で最も豊かな都市になった。 2 世紀後半から 3 世紀初頭にかけてのセウェルス朝時代に繁栄、人口増加、都市化のピークを迎えた。

 デウルトゥムは、ブルガリアでキリスト教の司教がいた最初の町としても知られている。デベルトス教区は 2 世紀に設立され、歴史資料に名前が挙がる最初の司教であるAelius Publius Juliusは、エウセビオス『教会史』V.19で、170 年代にモンタノス派の異端と積極的に戦った人物として登場している。

このお守りは現在、デウルトゥム デベルト国立考古学保護区の博物館に展示されている由。

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