月: 2024年10月

2024/10/10-25イタリア

 行ってきました。

 今回は遺跡管理事務所の許可証なしだったので、どこでも観光客レベルで再見の場所ばかりでしたが、色々変化があって、全く無駄ということではありませんでした。

 往復の航空券はイタリア・エア・ウェイズ。行きはイタリア人8割、日本人2割、帰りは五分五分で、いずれも満員に近かった。よろず節約なのでしょう、まともな食事は一回のみで、着陸前にパンと菓子が配られ、日本人職員はおらず、映画も日本語なし。

 フィミチーノ到着は夜8時頃だったので、タクシーでテルミニ近くのホテルへ。空港のタクシー乗り場に市内まで定額55ユーロと書いてあったが乗るなり運転手に「sixty!」と言われ、まあチップ込みでそれでいいかと。

 宿泊料金は事前のカード決済なのでそれは別として(ポンペイ、ポッツオリではアパート借りて基本自炊)、経費(食費、入場料、交通費、他)は日々約1万円といったところか。

 雨期なので天候は半ば諦めて行ったのだけど、雨は後半に大雨にちょっと降られた程度。

 鉄道での切符販売は、ちょっと前までタバッキで簡単に買えたのだが、それがなくなり、機械化されていてこれで皆さん四苦八苦。苦労して手にして改札に行くと職員が立っていて目で確かめていることばかりで、なんのための改札機なのかわかんな〜い状態。前半のローマ滞在では試しに「ローマ・パス」3日券だっけを購入したが、バー・コードをどこにかざせばいいのかわかんなくて、しょうがないから最初は人の後に続いて改札を通過する、ま、無賃乗車方式となったり(あとから、想定外の丸い黄色がそれだとわかったが)、公共交通は乗り放題となっていたが、もとを取るまでには利用できなかった。

 驚いたのは、バチカン美術館とサンピエトロ大聖堂での超大行列。前者は朝早くから並んで入館に二時間半かかった。見てると続々グループが入って行き、一般は入場制限で10人くらいづつ区切られるという入場制限があったわけ。前者を見終わってから後者に行ったのだけど、なんとここも広場内縁をぐるーっとC型に行列が取り囲んでいて、これはもう諦めました。ざっと見たところいずれも東洋人はごくわずか。大部分西欧人。来年は聖年だからこの調子だとひどいことになりそう。ちょうど修学旅行シーズンなのだろう、フランスの中学生・高校生集団とかと遺跡や博物館でよくすれ違った。

 ポンペイから同行の在独留学生はすべてケータイですぐさま調べ上げ(それができちゃうわけ:私には不思議にみえたが)、また支払いもほとんどそれでやっていたので(現金拒否の店や窓口も多い、というかほとんど)、現金派の私は彼に一緒に払ってもらって後から現金で精算する方式。リストランテでもQRコードの紙片がポンと置かれ、それがメニュー。しかし注文はそれを見て口頭で伝えないといけない。次の写真はこんな調子で紙片がおかれている図。

 実はそれは前回経験済みだったのだが(よってあちらではケータイはもう必需品)、今回驚いたのは場所によってはチップが理解されなかったこと。ひと言で言うともはやチップの習慣は廃れてしまったようで(昨年はまったくそんなことはなかったのに)、85の請求で100札だして、お釣りは10でいいよと言っても15返ってきた。

 帰りのローマの宿泊は、同行者がカブール広場駅近くのシャワー共用の安宿を予約したつもりだったが、行ってみると受付がシスターで、要するに女子修道院経営のまあ巡礼宿というか、ユース形式。二泊したが同宿者は我ら以外それぞれ一組いたくらいで、全部で七室くらいあったが、私はトイレ兼シャワー室で他の人と鉢合わせしたことはなかった。だからこれは宿不足の折の穴場かもしれない。部屋はベッドと机と衣服掛けと水道があるくらいで、文字通り修道院の僧坊で、共同食堂(台所、冷蔵庫ほかあり)があってそこだけで飲食可能。問題は洗濯だが、それは今回は帰国直前だったのでせずに荷物に紛れ込ます。

 最後に戸惑ったのは、帰りの航空券の事前チェックインを宿舎でしようとしたら、航空会社から「お前の席はウェイト・リストになっている」とあって座席指定の画面がでなかったことで、何でやと疑心暗鬼に。帰れないと困るのでおイタ在住者にメールで問合せたら、航空会社のホームページのどこそこに行けば予約金5000円払って確保できると。それでも納得できなかったが面倒は事前に避けるべくチャレンジしたら、機内最後尾のゾーン3を6000円台で押さえることができたが(ゾーン2あたりだと1万5千円だったかな)、カード会社からは出金メール届いたが、航空会社からはなしのつぶて・・・(まあ予想はしていたが)。後から考えると、これはお金払って自分の座りたい席を予約する方式によるもので、そういえば昨年にカウンターで「通路側おねがい」と言ったら「有料になりますが」と言われ、断ったことあったが乗ってみたら機内ガラ空きだったことあって、なんでガラ空きで有料なんだと思ったことがあったが、ああそのシステムだったのか、と。予約金とろうという魂胆なんだろうが、こんなことしているから倒産するのだと言いたくもなる。

 

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『UP』今月号の「すゞしろ日記」のイタリア体験

 版権の問題あるかもなので、雰囲気がわかる程度の画像にしてます。悪しからず。

 『UP』が届くたびに私が最初に見るのがこの日記である。今回は彼が25年前にイタリアでのバスで移動中の体験で、言葉の通じない彼が困っている時の、現地庶民たちの親身な(ある意味過剰な)立ち振る舞いを「とても文明的な感じがする。文明ではあるが、とても原始的な所とつながっていてプリミチヴなものを押さえつけず、上手く発露させてやるのが文明と云う事であろう」とコメントしている。

 ほのぼのしてなかなかいい話であるが、これはアドリア海添いのマルケ州ウルビーノ(人口1万4千)という小都市での、しかも今から25年も前の体験なので、今だとそんなこと期待できないかもとつい思ってしまう。

 実は私も似たような体験がある。これも30年前くらいのこと、南イタリアのアドリア海岸沿いをリミニに向かって北上していた鉄道の地方線で当時のコンパートメントに偶然同席し向かい側に座った、慎ましい風体の老夫婦がやおらパンニーノを取り出して食べ始めた。頃合いとして夕食だったのだろうが、なんとそれを私にわけてくれようとしたのである。いや、お腹減ってませんからとジェスチャーで辞退したのだが、後から思うと有り難く少しいただくべきだったかなあ、でも2人分しかなかったしなあ、と反省したり思い返したものである。紳士淑女で占められる今どきのフレッチャロッソなんかではとうてい見かけることのない素朴な老夫婦との、わずかな交流であったが、なんともあたたかく忘れがたい思い出である。

古い映画に出てくるコンパートメントの室内:向かい合わせの、たぶん6人部屋だった。

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最新の「クリスチャン・トゥデイ」

  今回は話題てんこ盛りだった。

上智大学、次期学長に杉村美紀教授 1913年の創立以来初の女性

上智大学短期大学部、2025年度以降の学生募集を停止

石破茂氏が自民党総裁に選出、次期首相へ 曽祖父が牧師の4代目クリスチャン

袴田巌さんの再審無罪判決「心から歓迎し、神に感謝」 カトリック司教協議会会長が談話

それらとの関係で、以下のような過去の情報も私には初見だった。

カトリック系の神戸海星女子学院大学が閉学へ、2024年度以降の学生募集停止

上智大、2023年度から神学部の定員増加 収容定員が40人増の216人に

オロリッシュ元上智大副学長ら13人、新枢機卿に任命 教皇が発表

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コンスタンティヌスの”十字”打刻コイン考

 遅ればせもいいところだが、おもいがけない叙述に出会ってしまった。

 昨晩というか今朝早くに、コイン・オークションのCNGから第572の連絡が入った。もはやリタイアの年金生活者なので購入する余裕はないが、それでもざっと見るのがクセとなっていて、今回もその伝で終わるはずだったのだが。

 LOT648がそれである。

 コンスタンティヌス1世の帝位就任10周年目、すなわち312ないし313年を記念してトリーアで打刻されたと出品業者は述べている。だが貨幣学の専門家たちは318-319年としているらしい。素人の私の考えは父コンスタンティウスの死亡時306年から算定すべきだと思うのでいずれともちょっと違ってくるが、さて:年代決定は裏側の楯の2行の文字「VOT / PR」の2行目をどう解釈するかにかかっているだろうし、「最初の10周年を迎えられますように」(VOT. SVSCEPTA)という祈願であれば[その場合実際に、VOT X MVLT XX みたいな表記もある]、その年代達成以前の打刻であってもいいと言える理屈にはなるし、「10周年を達成でき感謝します」(VOT. SOLVTA)という祈願成就であれば、それ以降の打刻年代でも問題ない、とはいえる)、今はそういった詳細な検討は横に置いて、打刻された表側の人物(コンスタンティヌス)が頭に装着しているかぶとに、十字架が隠されている可能性があるらしい。露骨なキー・ローなんかではなく、兜の横締めと縦締めの金属片が創り出す+(より正確には、┻型:顎ヒモも関係しているかも)の形態に十字架を連想してのことらしい。若干荒唐無稽で突飛なこの着想を検証すべくちょっとだけ周辺を洗ってみたい気がおこるが、何が何でもコンスタンティヌスとキリスト教を結びつける姿勢は考えものであろう。

 このコインではそうではないが、裏面の帝位就任「10周年」「20周年」「30周年」を記念する楯の数字が「X」「XX」「XXX」で表現されるのも、表側によく見られる「星型」刻印なんかも、その理屈だとキー・ローがらみで取られかねないが、牽強付会感は否めない。

 それにしても、ここでのコンスタンティヌスの兜着装図はなんとなくへちゃげてせせこましい印象あるし、他の彼の肖像とも横顔の表情が異なっているように見える(彼の根拠地トリーア造幣所打刻にも関わらず)。裏面での楯の「VOTA」図像も4世紀以降に目立つような気がしていて、このあたり突っ込むと面白い予感がする。まあすでに誰かやっているだろうが。

【付記】ぐぐっていたら、やっぱり先行探求者がいた。研究者ではなく「Warren」なる40年間のベテランコイン業者らしいが(連絡先:wwesty@gmail.com)、ことほど左様にこの業界は隠れた専門家がいるのでまったく油断できないのだ。おかげでそれによって私の理解は一挙に深化することができたのも事実である。

 http://augustuscoins.com/ed/VOTA/

 しかもこのウェブ論文、着眼点としていかにもな指摘が随所でなされていて、有益。たとえば、Probus帝のめずらしいタイプ(Sear III 12077, “AD 277”. RIC V.II 459 “Ticinum, 277.” “R2.” Very rare.)では、花輪の中に「VOTIS/X ET XX/FEL」と刻印されているが、それを「統治の初めに 10 年と 20 年の両方で同時に行われた誓約 (suscepta)) である可能性がある。5 年ごとの記念日があり、後に (コンスタンティヌス帝の治世下で) コインに記録されたことが知られている。RIC は、かなりの数の「VOT X」コインが 5 年目の祝典である quinquenallia の時期に発行されたとしている。このことから、このコインが quinquenallia で発行された可能性が考えられる」とも指摘している。

 また冒頭貨幣の裏側の刻印「PR」についても、コンスタンティヌスの貨幣(RIC VI Ticinum 86, page 372. “318-9″)の箇所で、「”PR” は、folles 貨幣でよく使われるフレーズである  “POPVLI ROMANI”の略語である可能性がある。以前のタイプの vota コインには “VOTA PVBLICA” と書かれており、”R” が抜けて “VOT P” と省略される。これは”VOTA PVBLICA ROMANI”の略語だろうか?」として、2つの可能性を指摘している(私はこのPRを「最初の(10年間)」と誤読していたことを正直に告白しておこう)。しかもこのコイン、二人の勝利の女神ウィクトリアの間の「VOT/PR」と刻字された楯を支えている円柱の基部には「✚」印もみえているのだから、たまらない。

・・・実はふと気付いて調べたら、私はこのコインと同型を3つも持っていた・・・(この写真のようなきれいなグリーン・パティナではないが)。もちろん「✚」印に惹かれてのことだったのだが、それらの購入先業者は3つとも同一だったので当たり前であるが、発行年をいずれも318-9年としている。さてその根拠は?

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