昨日、1ユーロ164円、とテレビニュースでアナウンサーが淡々としゃべっていた。いつの間にこんなことになってしまったのか、それでなくとも数字=経済オンチの私には理解不能だ。
かつての高度経済成長といった右肩上がりの分析はある意味簡単であるが、衰退期というのは不都合な数字を見ないことにしている間に、気がついたら奈落の底に沈んでいたとなりがちで、昨今の日本の経済不振などをみれば、もろそんな感じである。東南アジア諸国の躍進には目を見張るものがある由だが、そんな事知らずに未だ2,30年前の幻を引きずっている者が大半なように思ってしまう。私もそうだ。
しかし庶民感覚というのは妙なもので、観念的によき古き過去の夢から脱却できないくせに、現実の不況感には敏感で、徐々にそれが鬱積し極端なベクトルに向かう動機となったする。まあ自分がかわいいということなのだろうが。
昨年は国際的に選挙の年だった。あれこれの選挙結果を見ていると、極右政党への投票率行動がめだって、まあ良識派と思われている(実態はイメージ的な幻想にすぎないが)政党や政権が軒並み危うくなったようだ。それは世情の不安をいや増しにせざるを得ないだろう。
こうなると、怒りのもって行き場のない大衆は、批判票のつもりでますます極端な投票行為に向かうことになり、あちこちに不穏な空気が充満していく。そしてヒットラー程度のアジテータが登場し、大衆の不満のツボを押さえて煽り立てる。その挙げ句が苛酷な戦争と悲惨な敗戦で、戦後に大衆は総懺悔して、戦後復興に向かう。この自縄自縛のプロセスに断絶はない。永遠に続く運動体なのである。
コメント 0 件