日本近世識字率考

 新年になってNHKの大河ドラマ「べらぼう」が始まった。これは蔦重こと江戸のメディア王・蔦屋重三郎を主人公にした物語である。彼は江戸時代中期に版元として48年の生涯を駆け抜けた。ざっくり言って文字主体の黄表紙と浮世絵を合体させたこと、あと才能を見出す眼力があったことが成功の秘密だったようだ。

すみません、YouTubeでみつけたが、典拠失念

 一説によると蕎麦が16文、浮世絵が30文の時代に書籍は300文かかった。蕎麦を500円とすると、浮世絵は1000円でまあ庶民でも買えたが、書籍はたいしたものでなくても1万円とやたら高額だった。だから庶民にはおいそれと手が出なかったので、貸本屋がはやる背景となったわけだ、と別のYouTuberがしゃべってた。

 そこで気になるのは、当時の識字率の問題である。そんなときメールでQuoraダイジェストの「なぜ、日本は江戸時代の識字率が世界一だったのでしょうか?」が勝手に送られてきた。それへの回答がなんと「それは広範囲に流布されている真っ赤な嘘です」(増田洋:https://jp.quora.com/profile/%E5%A2%97%E7%94%B0-%E6%B4%8B)。以下、次のように続く。「イギリス人ロナルド・ドーアが70年代に試算した50-60%という数値が一人歩きしていますが、後にドーア自身がその数値を撤回しています。」

 このドーアの本とは、R.P.ドーア(松居弘道訳)『江戸時代の教育』岩波書店、 1970/10(原著1965年)のことで、そこでは江戸末期の識字率男性43%、女性15%とされているが、その数字は本論においてではなく「付録」でたかだか6ページぼど「江戸末期の就学率」を論じたものであり、決して識字率を論じたものではなかったのに、なぜかそこだけ曲解引用され広まってしまったらしい。それについて、リチャード・ルビンジャー(川村肇訳)『日本人のリテラシー : 1600-1900年』柏書房、2008、p.201で、ドーアは1972-3年の論文で再検討して撤回していると指摘している。なのに今まで一般読者レベルでは1970年レベルの誤てる情報が大手を振って一人歩きし続けているわけである。【そもそもこの課題について外国人の研究に依拠せざるをえなかったのは、ちと解せないのだが】

 そもそも識字率といっても様々なレベルがある。それが自分の名前を書けるレベル、簡単な日常会話レベルの文章を読み書きできる程度(≒今の小学生)、ある程度難解な用語を持つ文章(新聞や小説)が読めるのか(≒今の中学生)、哲学や宗教用語など専門用語がとりあえる読めるレベル(≒高校生以上)、などなど。

 それに地域差や社会層でも違ってくる。江戸や大阪、京都などの大都会はむしろ例外とせねばならないだろうし、圧倒的に文盲が多かったと予想される農村においても庄屋筋や僧侶は読み書きできなきゃ仕事にならなかっただろう(皆が皆というわけではないにしろ)。農民の子どもたちも、農閑期での「手習い所」(いわゆる寺子屋)で男女ともに僅かながらでも就学体験する道は開かれていたらしいが、家の経済状態劣悪なら無理だったろうが。おそらく現在の小学校低学年レベル止まりだったにしてもだ。

 いずれにせよ、商人・職人にしろ社会的上昇するためには文字の読み書きとソロバンは必須であった。【アラビア数字が未着のこの時代、加減乗除の計算に必要不可欠のソロバンの威力については、十分な一考に値する】

 このあたりについて、意外に詳しく触れてくれているのが、アマゾン・コム/ジャパンで上記ルビンジャー本のカスタマーレビューを書いている「solaris1」氏で(https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R39XVMNLJ5ZZ2Q/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4760133909)、全体を簡単に俯瞰するには、一読に値する。是非お読みいただきたい。








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