DNA検査によるポンペイ住民の出自問題

 新年一月の考古学関係の情報を検索していて、ゆるがせにできない報告みっけ。その内容は、本ブログですでに報告したことがあるが、原本の論文は未入手なので、今は概略のみ報告しておく。

 古代DNAを使用して、ポンペイの住民の起源に関する長年の解釈に疑問が投げかけられた。遺伝子検査により、性別と血縁関係の予想外の多様性が明らかになり、この古代ローマ都市での生活に新たな視点がもたらされ、ローマ帝国の国際的な性格が浮き彫りになった。このデータによると、ポンペイの住民のほとんどは東地中海からの移民の子孫である。

 ポンペイでは19世紀以降、降り積もったパーミスpumice(pomici di Pompei)とサージの火砕流で埋もれた遺体の型は、分解後に残った空間に石膏を流し込むことで作られてきた。しかし、研究チームが現在修復中の最も有名な型86個のうち14個の骨片からDNAを抽出したのは、つい最近のことだ。この分析により、血縁関係、性別の判定、個人の祖先の追跡が可能になり、鋳型の外見と配置のみに基づいたこれまでの多くの解釈に疑問が投げかけられた。

① 「黄金の腕輪の家」からの鋳型のグループ。鋳型番号 50-51-52、作成日 1974 年。

Pompeya moldes

 たとえば、複数の個人の遺伝子情報が利用できる「黄金の腕輪の家」では、当初家族 (両親と子供) と考えられていた 4 人が実際には互いに遺伝的つながりがないことがわかった。さらに伝統的に母と息子と解釈されてきた子供を抱いているのは女性ではなく成人男性であることが判明するなど、驚くべき発見について言及している。

② 「クリプトポルティクスの家」から出土した鋳型番号 21 と 22。制作年 1914 年。

Pompeya moldes

 同様に、姉妹または母と娘と考えられている一組には、少なくとも 1 人の遺伝的に男性である人物が含まれていたため、これまでの性別と血縁関係に関する想定に疑問が投げかけられている。

 この報告では、「遺伝子データから、多様なゲノム背景を持つポンペイ人の祖先に関する情報も得られ、東地中海出身の祖先が優勢であることが浮き彫りになった。この発見は、ローマ帝国内で一般的だった移動性と文化交流を特徴とするポンペイ人の国際的な性質を反映している」というきわめて重要な指摘をおこなっている。本当にそうなのか、それとも調査対象の試料がたまたま東方出身の奴隷に片寄っていたのか、気になるところである。

SOURCES

Elena Pilli, Stefania Vai, Victoria C. Moses, et al., Ancient DNA challenges prevailing interpretations of the Pompeii plaster casts. Current Biology. Vol.34, Issue 22, November 18, 2024:doi.org/10.1016/j.cub.2024.10.007

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