2025/3/14:私にとって驚くべき報告がなされた。オスティア・アンティカ遺跡のど真ん中からユダヤ教の沐浴場が発見されたというのである。 イタリアのオスティア・アンティカ考古学公園は、2025年3月にイスラエル国外で発見された最古のミクヴェと思われるものを公表した(一般公開はまだのようだ)。この建造物が実際にミクヴェであり、推定年代が西暦3世紀から5世紀の間に遡ると確認されれば、ディアスポラで発見された最古のユダヤ人の儀式用浴場となる。
https://www.timesofisrael.com/roman-era-jewish-bath-in-italy-may-be-oldest-outside-of-israel-points-to-vibrant-diaspora/の掲載写真によると、今回の発掘場所は劇場の左隣りの空き地のようだ。そういえばこの区画、最近訪問したとき発掘していたし、その一部の成果も公表されていた記憶ある。

それにしても遺跡周囲を走る自動車道建設時に発見されたユダヤ教シナゴーグ遺跡(後1世紀創設)とはえらく離れていて、今回の発見は遺跡の中央部分で、そんなところにミクヴァが見つかるとはどうしても納得できないのであるが。換言するなら、シナゴーグ遺跡の方にその痕跡が見当たらないのが不自然ですらある。

ユダヤ教のシナゴーグ遺跡は写真下部中央の遺跡印
この沐浴場がミクヴァと断定されたのは、沐浴場に至る階段があり、その底からユダヤ教のシンボル、メノーラー(儀式用の燭台)とルラヴ(ヤシの枝)が刻印された無傷のオイルランプが発見されたからなのであるが、さて真相はいかに。


沐浴場とユダヤ教的デザインのランプを結びつけての合わせ技一本、というわけでの結論だが、この場所の推定年代と関連付けて、さて…どんなものだろうか。
ところで、ちょっと前の2022年の小論で書いたことだが、オスティア遺跡にあるのは現在のところ一見奇妙なことに、帝国東部発祥関係の宗教聖域ばかりで、帝国西部の宗教祭儀の現場は見つかっていない。これはある意味、宗教的に東部重視だった地中海世界の交易・流通網に即応していたとも捉えられる。その場合、西部は未だ植民地的な資源提供地レベルの、経済的・文化的・宗教的に無視していい劣位の位置づけに過ぎなかったというわけだろう。それなりの聖域を確保して専用構造物をなすことと、個人的にちんまり祀るのとでは遺構としての残存に雲泥の差が生ずる。それに、河川による土砂堆積とマラリア蔓延で放棄されたこの遺跡は都市として最終段階を示していることを、併せて考慮すべきだろう。
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