私は十二表法に「ひどく奇形の子供はすみやかに殺せ」という規定(Ⅳ.1)があることは知っていたが、「嬰児の死を弔ってはならない」というローマ法があったことを未だ確認していない(ご存知の方からの典拠情報を求めている:baru007@spa.nifty.com)。従来の学説では、乳幼児の死亡はありふれていたので(死亡率は30%以上と想定)、いちいち悼むという感情はなかった、とされてきたことは知っていた。ただ、バチカン・ネクロポリスを扱った時に、子どもたちのデスマスクが墓廟に飾られていたので、その見解の通説の表層的な底の浅さ、特に男性研究者の人間理解の感性欠如を感じてきていた。
さて、今回私は手軽に典拠を知ろうとAIに質問したのだが、答は「古代ローマの法資料では、生後1年未満の乳児は公的に悼まれないとされていた、だがそれは家族が私的に抱く悲しみや喪失感を否定するものではなかった」という抽象的な表現に留まっていた。次いでデスマスクの画像を得ようと質問してみたのだが、「現在のところ、古代ローマ時代の子供のデスマスクの存在を直接示す確かな情報は見つかっていません。古代ローマ時代は医学が未発達だったため、子供の死亡率が高かったとされています。当時の子供たちは、邪悪なものから身を守るため、「ブラ」や「ルヌラ」といったお守りを身につける習慣がありました。しかし、デスマスクに関する具体的な記録や遺物は確認されていません」だった。データ的にフォローし読み込んでいなければ、差し障りのない一般叙述を越えてこんな誤った答となるわけである。
実際には以下のようなデスマスクがバチカンのネクロポリスから既に1900の40年代には出土している(出典は、ピエトロ・ザンデル『バチカン サン・ピエトロ大聖堂下のネクロポリス』上智大学出版、2011年:原著、2007年)。さすがに通常の発掘では生後1年以内の乳児(児童福祉法において満1歳に満たない者)というわけにはいかないが、おそらくいずれも男児の幼児(同、1歳から6歳前後)ないし児童(同、満18歳に満たない者)には該当する。ただ、このマウソレオからは成人女性の彫像は出土しているが、なぜか明確に女性乳幼児とおぼしきデスマスクはないようだ。

誤解なきよう付言しておくが、石棺には男女の子供の肖像も多い。バチカン・ネクロポリスでの一例として以下を掲載しておく。

バチカン市国内で発掘された他の古代墓地からも、決して多いわけではないが、同様の出土があった。以下は凱旋門街道、Santa Rosa出土の逸品である。墓石と彫像を組み合わせたもので、上部銘文「ここにTiberius Natronius Venustusが横たわる」、下部銘文「彼は4年4か月10日生きた」(典拠は、Paola Liverani et als., Le Necropoli Vaticane, Museo Vaticani, 2010, p.226, 図72)。

さて、本論に入ろう。2026/2/26に以下が発信された。「古代ローマ人も乳幼児の死亡を悼んでいた」(https://www.livescience.com/archaeology/romans/babies-werent-supposed-to-be-mourned-in-the-roman-empire-these-rare-liquid-gypsum-burials-prove-otherwise?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAc3J0YwZhcHBfaWQQMjIyMDM5MTc4ODIwMDg5MgABHqIOqv7qXfm3gZ8_rxSSxwWrZPAKTzfHw_DHSCK_TG1FZDwcSKtxJKZcE61C_aem_AKzNPhypFIC2xzobCiTqRQ)
私はこれまで全く知らなかったが、19世紀後半以降、イギリスのヨークとその周辺で少なくとも64体の石膏埋葬が集中的に記録されている由で、ヨーク大学教授のモーリン・キャロル Maureen Carroll女史は、これまで70体以上の「液体石膏埋葬」liquid gypsum burials を研究してきたが、そのうち少なくとも7体は子供で、生後4か月以下の乳児3体も含まれているという。謎に満ちたこの埋葬は、時代的には3〜4世紀だそうだ。

「液体石膏埋葬」とは、液体石膏を使った埋葬法である。ヨークでは上流階級に限られていたようで(ヨークにある3つの石膏埋葬地で、地中海とアラビア産の芳香性樹脂の痕跡が以前発見されており、衣服や包帯に高価で珍しい物質が使用されていたことが示されている。これらの物質は、上流階級の人々しか入手できなかった)、成人に用いられるのが普通で、乳児は、アンフォラと呼ばれる大きな壺、陶器製の箱、あるいは小さな木製の棺に埋葬されることが多かった。この特異な慣習は、ローマ時代のイタリア、フランス、ドイツでも知られている由。年月の経過で石膏に密閉された遺体が朽ちて空間を生じ、それを3Dスキャンすることで埋葬時を偲ぶことができるだけでなく、石膏の中には屍衣、衣服、履物の痕跡も残っており、ローマ時代の墓ではほとんど保存されていない、腐りやすい素材に関する貴重な証拠となっている。ただし、なぜ石膏埋葬なのか等、子細については不明である。
以下が石膏埋葬の子どもたちのリストである。
乳児
- YORYM : 2007.6126:クレメンソープ、石棺。長さ63cm、生後約4ヶ月。仰向けに寝かされ、布切れに包まれている。
- YORYM : 2007.6212:鉄道駅、鉛棺。外套部分長さ約58cm、生後約1~2ヶ月?。仰向けに寝かされ、一部は紫に染めた羊毛と金糸の外套で覆われている。
- YORYM : 2013.152:鉄道駅、石棺。外套部分長さ65cm、体型印象部分長さ約50cm、新生児?仰臥位で、くるまれているか、毛布にくるまれている。
中~後期幼児期の子供
- YORYM : 2007.6211:ヘスリントン、約7~9歳、女性。石棺。仰臥位で、片手を骨盤/大腿部に、もう片方の手を体側(?)に置き、布で覆われている。靴、サンダル、宝石、木製の宝石箱、鶏と共に埋葬されている。
- YORYM : 1956.3.9:キャッスルヤード、埋葬1、約7歳。鉛棺。推定身長約1.20メートル。
青年期の子供
- YORYM : 2007.6205:ミルマウント、約11~14歳。石棺。仰臥位。副葬品には鉄製の鋲2本、革片1枚、硬貨2枚。 14世紀頃、西暦250~350年頃
- YORYM : 1971.303:トレントホルム・ドライブ、13~14歳頃、石棺、仰臥位、推定身長1.37m。


「乳児死亡率が高かったから、ローマ人は赤ん坊の死を気にしなかった」という通説は、少なくともヨークの石膏葬を見る限り、成り立たない。石膏の中に残された小さな身体の痕跡は、2000年の時を超えて、当時の家族が確かに感じていた悲しみを静かに語り続けている。この感情は、今に痕跡を残すことができなかった貧民層や中産層の家族においても同様だったはずだ(もちろん、望まない出産とか親の都合は多種多様かもしれないが)。
ヨークシャー博物館を中心に石膏埋葬のコレクション研究成果を逐次展示する予定である。
この情報に接し、私の探究心はいたく刺激されたのだが、先のない身である。大学図書館をリサーチしたら、基本文献もすでに国内にあるようだ。どなたか研究やってほしいと念願せざるをえない。







