コンスタンティヌス1世の帝位就任10周年目、すなわち312ないし313年を記念してトリーアで打刻されたと出品業者は考えている。だが貨幣学の専門家たちは318-319年としているらしい。素人の私の考えは父コンスタンティウスの死亡時306年から算定すべきだと思うのでいずれともちょっと違ってくるが、さて:年代決定は裏側の楯の2行の文字「VOT / PR」の2行目をどう解釈するかにかかっているだろうし、「最初の10周年を迎えられますように」(VOT. SVSCEPTA)という祈願であれば[その場合実際に、VOT X MVLT XX みたいな表記もある]、その年代達成以前の打刻であってもいいと言える理屈にはなるし、「10周年を達成でき感謝します」(VOT. SOLVTA)という祈願成就であれば、それ以降の打刻年代でも問題ない、とはいえる)、今はそういった詳細な検討は横に置いて、打刻された表側の人物(コンスタンティヌス)が頭に装着しているかぶとに、十字架が隠されている可能性があるらしい。露骨なキー・ローなんかではなく、兜の横締めと縦締めの金属片が創り出す+(より正確には、┻型:顎ヒモも関係しているかも)の形態に十字架を連想してのことらしい。若干荒唐無稽で突飛なこの着想を検証すべくちょっとだけ周辺を洗ってみたい気がおこるが、何が何でもコンスタンティヌスとキリスト教を結びつける姿勢は考えものであろう。
オスティア遺跡でのボイラー旧設置場所は、Regio I – Insula XVII – Terme del Mitra (I,XVII,2)である。私は、Nielsen I.- Schioler T. 1980, “The Water System in the Baths of Mithras in Ostia”, AnalRom 9, 149-159に導かれて、2017年夏の現地調査で、裏の西側からもぐり込みその場所を確認することができた。ここの半地下作業場はカギ関係なしに(すなわち、監視人custodeの手を煩わさないで)侵入できる、文字通り穴場だった。この遺跡に関しては、2021/3/8の本ブログで立ちション・トイレがらみでそれなりに詳しく報告している。