投稿者: k.toyota

このところの老化振り点検

 ある日の大学への外出時。まずは最近風邪気味なので、予備のマスクを持参(よく忘れる)、用事関係の書類をかばんに入れたか(これもよく忘れる)。財布・定期・携帯は持ったか(これは忘れない)。洗濯機・乾燥機は始動中でもいつでも放置。

 家を出るとき、居間の床暖房と電気ストーブと照明、風呂の電気ストーブ、ガスの運転切、の確認。もちろん玄関ドアの施錠確認。帰りにはクリーニング取りに行かなきゃ。

 そして歩いて5分、地下鉄ホームで電気ストーブが心配になって、念のため帰宅。ちゃんと切っていた。ま、火事になるよりはまし、と自らに言い聞かせる。それでも、時には消したはずの照明がつけっぱなしだったり。

 そして帰宅時、スーパーとコンビニで買い物して、でもクリーニングに寄るのは失念。これで何度目か。それ目的で行った時は木曜の定休日だったりする。まあこれは実害ないからいいようなものだが。いそぎでないのでいいか、と自己弁解。

 この間など、一生懸命エレベーターで3階を押したのだが、扉は閉じないし全然動かない。エレベーター壊れたのかと思ったが、ふと気づくと私は3階にいたのである…(^^ゞ う〜ん、これってかなりやばいのでは。

 帰省して、実家から帰京するとき、なぜか西広島駅あたりで電源やガス栓とか施錠が気になることが多い。無意識の作業は不安のもとだ。指呼点検の必要。

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街歩き:目黒区駒場3・4丁目

 このところ風邪気味で、実は11月に参加を予定していた街歩きを2つキャンセルしたのだが、本日のにはなんとか参加できた。曇天のもと気温はかなり低めだった。

 京王井の頭線 駒場東大前駅東口で待ち合わせて、まずは構内のフランスレストランで早めの昼食をとり(¥1500:メインのカレイ小さいのが一切れ!)、その後、テニスコート方面から西に向かい、駒場公園南門に出て、先の角にある日本民藝館を目指すも、なんと不意打ちの臨時休業! 気を取り直して第二の目的地の旧前田家本邸をめざして、なかなか瀟洒な街並を楽しみながら北上。東に折れて駒場公園正門に至る。

 この公園内の見学は無料がほとんどなのがありがたい(来歴等、以下参照:https://www.city.meguro.tokyo.jp/kuminnokoe/bunkasports/rekishibunkazai/kyumaeda.html:戦後の連合軍接種が終わると、まず都に、その後目黒区に移管されて今に至る;「加賀藩の前田家、157年ぶりに生前の家督継承…新当主は京都の「イノダコーヒ」社長」https://www.yomiuri.co.jp/national/20231103-OYT1T50227/)。

 巨大な樹木の中を歩いて、まずは洋館に至り、邸内を見学させて頂く。かつてみたイギリスのTVドラマ「ダウントン・アビー」を彷彿させる館である。使用人は100名をこえていて、地上3階地下1階なのも興味深い。「ダウントン」では調理室などは地下だった。私的には3階の使用人部屋ないし屋根裏部屋も見たかったのだが、それは地下同様見学ルートにはなかったようで果たせなかった。さすがに加賀100万石の威光が感じられる豪華な内装だった。詳しく知りたければ一日数回の時間指定のボランティア見学も可能。

 あとから気づいたのだが、和館とその庭は見落としたようで、そのあと南側のお庭をぐるりと拝見。なんという鳥なのかさえずりが絶え間なく聞こえ、祖神を祀った霊社はここが連合軍に接収されたときに破壊され、今は基壇部のみ残存しているだけだが、そのあと鬱蒼とした築山奥の樹木の中をぐるりと巡ったあと、入口近くの日本近代文学館に。ここだけは財団法人なので施設を利用するのには料金が必要だが、ざっと構内を見学するのは無料。一階の奥に喫茶店があり、そこでお茶したあと正門に向かう帰り道、とても立派なトイレがあってここはその昔は車庫だったらしい。真新しいそれは、中央に古のイギリス型のクラシック・カー2台の写真が大写しになっていて(本当は4台収容)、その両側に2種類のトイレの入口が設置されている。下の写真は真ん中の部分を抜いた両脇の画像である。

上図左が「だれでもトイレ」で、右は普通の男女用。従業員さんがいたので左の右下の表示の意味を聞いたところ、台の上で着替えるためだそうだ。豊島園ではなし、トイレで着替えるだと? 私には意味不明である。帰宅して妻に言ったら先刻ご承知で、百貨店なんかにある由。でもそれってやばくないのかな。

 ところでこの施設、洋館内を含め至る所にトイレ表示があって、洋館では至る所にあるかつての暖炉からは熱風が吹き出ていて、私のような年寄りには親切このうえなかったが、私のような貧乏人には、その維持費がどうしても気になってしまったのである。

 来た道を辿って、駅に帰る。その道すがら、東大構内のイチョウ並木を通ったのだが、なんとなく不穏なにおいが漂っている。絵を描いている人たちがいたので最初油絵の匂いかと思ったが、どうやらイチョウの実のようだ。自宅玄関に持ち帰りたくないなあ。

 iPhoneによる本日の歩数は15530歩。

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同族殺しの現生人類

 地球上で有史以来人類は同族殺しを平然とやって来て、以来地球のどこかで殺戮がなかった時代などなかったかのようである。

 その原点を探る意味で興味深いのが、以下。「ホモ・サピエンス 私たちはなぜ生き残ったのか?」(ヒューマニエンス 40億年のたくらみ)。そのさわりを6分あまり以下で無料でみることができる。https://www2.nhk.or.jp/learning/video/?das_id=D0024010388_00000

現生人類登場によって、それまで生き残っていた他の人類や大型動物は絶滅したことから、現生人類による他人類の殺戮説、それに資源の独占説が紹介されている。私見では両方あったといえると思うが、いずれにせよ、我らの野放図な欲望が他の生命を奪ってきたのだし、今もそうだし、それで我らは自滅への道を歩んでいるわけである。以下も参照。

https://www.mitsubishi.com/ja/profile/csr/philanthropy/interview16/

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ジェンダーレス・トイレの可否

 以前も触れたことあるが、誰でも入れるトイレが色々工夫されているようだ。ここではジェンダーレスを表題に掲げたが(https://toyokeizai.net/articles/-/668519)、似て非なるものにバリアフリー・トイレがあるが、こっちのほうは試行錯誤を経てそれなりに定着化している(https://toyokeizai.net/articles/-/647842)。

 他方で、今年4月に東急歌舞伎町タワー2階にできたジェンダーレス・トイレが「安心して使えない」という抗議殺到の末に、8月には男女別と多目的トイレに改修を余儀なくされたことが話題となっている(https://www.tokyo-np.co.jp/article/267703;https://news.yahoo.co.jp/articles/cfdee87108d2d0d90d055ace3ffc6e117150a6dd)。

 トイレ内で出くわしたら、特に女性は嫌うだろうなと、私でも思ってしまう。私見では、建物内での限られた空間なので、ジェンダーレスはバリアフリー(多目的)に任せた方がいいのではと思うのだが。

【追記】12/1の朝、目が覚めてテレビをつけたらNHK総合の「あさいち」で’なんとトイレ関係の絵本とかの紹介をしていた。最近新たに色々出されているようだ。どういう関連かゲストは役所広司だったが、昔の国鉄列車のトイレ、知ってるはずなのになんだか外していたのはなぜ?

  ➡ 役所広司の登場は、どうもこれ関係だったのだろう:2023年11月20日「役所広司さん、トイレ清掃員役で監督たちと紡いだ「美しい物語」」(https://yab.yomiuri.co.jp/article/ttt_3/)。おなじ企画で「生まれ変わった公衆トイレから見える日本:THE TOKYO TOILET対談「きづきのきづき」」(https://yab.yomiuri.co.jp/article/ttt/)

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「古代ローマ・トイレの落とし穴、その1」補遺

 今年の11/13に海外発注していた本が届いた(Ed. by Stefanie Hoss, LATRINAE : Roman Toilets in the Northwestern Provinces of the Roman Empire, Archaeopress Roman Archaeology, 31, 2018)。もろ円安影響で約1万円弱かかったのだが、副題的にはすぐさま利用価値はないけどと思いつつ、まあ念のためとりあえず入手しておこうと思った本である。

 届いてみると全部で150ページ程度の薄いA4版だった。パラパラめくっていて、導入的なGemma Jansen論文をどっかでみた写真が多いなとながめたり、あ、かつてブログで触れたことあるNijmegenの木造トイレも出ているぞ、と気づいたり、小便壺の話も出ていて意外と最新情報を掲載しているなと、あれこれ興味を持って見ているうちに、ふと一枚だけついていた冒頭のカラー口絵に目がいった。一見してえっと思ったのは、それがなんだかトイレで兵士たちが食事している、という感じの復元想像図だったからである。

 しかし、である。下に書かれているキャプションを読むと、それはBearsden(スコットランドのグラスゴーの北)、即ちアントニヌス・ピウスの長城の砦の一つでのトイレの様子の再現図で、最初私には食物に見えたものは「moss」すなわちコケとなっていた。となると…、こりゃ捨ておけない。この本でDavid Breeze論稿がそれを扱っていたので、さっそく読むはめになってしまった。Bearsdenの位置は下図左から6番目。

 意地の悪いことに、その論稿の最後の最後にようやく以下が書かれていた(p.22)。The discovery of fragments of mosses in the outer annexe ditch suggests that this material may have been used for personal cleanliness, being dipped into the open channel running round the interior of the latrine. すなわち「外の別棟の溝でコケの破片が発見されたことは、この物質がトイレ内を走る無蓋の水路にちょっと浸されて、(大便の後始末として)個人の清潔のために使用された可能性があることを示唆している」。コケなんかどう紛れていてもおかしくないのでは、と思うのが普通だろうが、私が興奮したのには以下の子細があったからだ。

 ローマ時代のトイレでの大便の「落とし紙」に何を使っていたか、という「大」?問題に連結するわけであるが、地中海世界では海綿を使っていたのだが、スコットランドではコケを使っていたとどっかで読んだ記憶あると(翻訳ものの文庫本だったと思う)、かつて私の小論「落とし穴、その1」の冒頭で書いていた件が(https://www.koji007.tokyo/atelier/column_roma_toilette1/)、これにてめでたく立証されたので、1万円だけの価値あったというべきか。

 ところで、地中海世界での古代のトイレで海綿が発見されたという報告を私はこれまで寡聞にして知らない。上記のコケは土壌の成分分析して判明したのだろうが、同様のことを新発掘の地中海でも試みてほしいと思う。私は多分出てこないとタカを括っているが。

 しかし、足元を走る溝が本当に尻拭きに使われていたのかどうかとか、まだまだ未解決の問題が山積みのトイレ問題である。

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息をひきとる、ということ

 このところテレビでアタリが多い。2023/11/20のNHK BSプレミアム「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」は身につまされたこともありなかなかよかった。そのなかで、死ぬときを俗に「息をひきとる」と表現するが、これは、老衰で死ぬとき多くの場合最期が迫ると呼吸としては意味をなさない下顎呼吸になって、最後に息を「吸って死ぬ」という現象と一致していて、赤ちゃんがおぎゃあと息を「吐いて生まれ」ることと合わせて、「吐いて生まれ、吸って死ぬ」という出来すぎの格言?になっているのを、初めて知った。

 そして、下顎呼吸で酸素不足になると大脳から快楽物質エンドルフィンが放出されて、かつての臨死体験を立証するかのように、穏やかな最期を迎えることができるというわけであ〜る。

 昔、創価学会のことを調べていたときに、確か2代目会長の死に顔が鬼の形相だったのだが、死相に生前の生き様が現れ、穏やかだと成仏した証拠とみられていたので、たちどころに幹部だけの口外秘にしたという件が出てきた(最近死が公表された3代目はどうだったのやら)。ためにする意図的創作とも思えるが、これとは若干異なるが、今般ググっていたら「ネガティブな臨死体験」という項目があって、その割合はわずかだが、地獄的ともいえる世界に向かい、自らが発した非常にネガティブな感情を味わう、という例もあり、それは死因として自殺の場合だとしていたのは、キリスト教的世界観に基づいたできすぎの話に思えて、ちょっと眉唾に思えるのだが、どうだろう。

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異能を育てたい、育てよう!

小板橋律子「発達障害の人、IT業界で活躍 オムロンは独創性・集中力に着目」(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00474/112100018/):ニューロダイバーシティーの胎動(1)2023.11.22

 障害者雇用は身体障害者に片寄っているが、彼らは年齢的に高齢者に多いのだそうで、それに対して精神的障害者は就労年代が多いとか。まあ常識的に考えてそうだろう。異能力者が自立して生きていく道が開けることを祈っている。

 これからの掲載予定記事:但し有料

(2)入山章栄氏「脳の特性の違い、イノベーションの源泉に」(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00474/112400019/)
(3)産業医に聞く 発達障害を「戦力」にする上司の対応(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00474/112700020/0

【追記】

「17歳まで気づけなかった娘の発達障害 母はもう謝らないと決めた」(https://digital.asahi.com/articles/ASRCQ3TNKRCPULOB01C.html?pn=17&unlock=1#continuehere)

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今日、いや明日はJFK60回忌

 私が16歳の今日11月22日、というか日本時間だと1963年11月23日土曜(勤労感謝の日で祝日)の早朝、翌年の東京オリンピックのため、初めての日米宇宙中継だっけの放送があるというので、それ見たさに早起きするため前夜からつけっぱなしだった白黒テレビから音声が流れ出し、それで目が覚めた。画面がなぜ砂漠の風景なんだろうと思っていたら、なんと飛び込んできたのがJFK暗殺の報道だった。「午前5時28分、モニターテレビに史上初めて太平洋を越えてきた映像が鮮やかに映し出された。ところが、この歴史的な電波に乗って送られてきたのは、ケネディ大統領暗殺の悲報。中継のアナウンス「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念」と伝え、衝撃は全国に広がった」。ケネディが今回のためにホワイトハウスで事前に録画していたステイトメントが流されたのは、だいぶたってからだったろうか。私はおかげで興奮してその日は寝不足なのに寝る余裕もなかったことを覚えている(https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030052_00000)。

 これに関連して、ケネディ一族の近況が伝えられている。https://wedge.ismedia.jp/articles/-/32167?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20231122

 そして3年前のNHKスペシャル「未解決事件 File.8 JFK暗殺」の再放送もあって、「ケネディ大統領暗殺のすべては日本が起源だった」とちょっと刺激的表現で再検討されているし、日本でも11/17から新しい映画(オリヴァー・ストーン監督の新作「JFK/新証言 知られざる陰謀」)が公開された由。

 また、同日夜、テレビ局が2箇所でこの問題を取り上げていて、両方とも見た。私はイエズス会経営の中高にいたので、このアメリカではじめてのカトリックの大統領にはどうしても肩入れしちゃうのだが(私は中三の編入なので目撃していないが、1960年のニクソンとの大統領選挙の時、イングリッシュ担当のハンド神父は、「ケネディが大統領になったら、中間試験はなしにする」と明言され、公約通りそうなった由)、同時に、彼が暗殺されなかったら次期大統領選での敗北は濃厚だったという当時の風評には一切触れられることがないのは、どうかなと思わざるを得ない。

 実は、このような同時中継的な出来事への遭遇を、福島以外に、私はもうひとつ記憶している。それはニューヨーク現地時間2001年9月11日火曜日の朝8時45分、日本だと同日午後9時45分のことだった。どの放送局だったか記憶していないが、テレビニュースでニューヨーク特派員が机に座って喋っているのを聞いていて、背後のガラス窓越しに例のツインタワーが真っ青な晴天の中に見えていたが、そこに画面左側からなにかがすーと横切ってきてビルで消えたのである。私はあれれと思ったが、もちろん特派員はうしろのことだから気づかない。しばらくして今度は逆に右からはっきりと航空機の接近が認識できた。こっちはチャンネルを変えたのだろうNHKで見たような気がする。

私はそれをテレビではっきり見た記憶があるのだが、なぜか最初の突っ込み画像はその後どこを探しても見当たらない。それこそスクープだっただろうに、なぜだろう。

 画像がいいのでちょっとコメントが煩わしいがこっちを張り付けておく(https://www.nicovideo.jp/watch/sm29629059)。

【補遺】これは暗殺と関係ないが、JFKの妻ジャクリーンは1963年8月に早産して、5番目の息子パトリックを8/9に失っていたことを今回初めて知った。娘キャロライン、息子ジョン・ジュニアを得る前に2回流産を体験していたことも。たぶん、公の場に久しぶりに出て来たときの夫の死だった。これは彼女にとってたび重なる悲劇であったはずだ。https://ja.celeb-true.com/patrick-bouvier-kennedy-last-child-american-president-john-kennedy#google_vignette

 かくのごとく、歴史とは枝葉の情報は忘れさられ、一番目立つ定番の公式見解へと収斂されていく。その背後で繊細な人情の機微に触れる事実は歴史の闇に消えていき勝ちなのだ。プロならそれの再現に努めなければならないはずなのだが。

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IOWN:久々に明るい未来を聞かせてもらった

 2023/11/21夜、フジテレビ181のプライムニュースで聞き慣れないIOWNなる構想をちょっとだけ学んだ。https://www.rd.ntt/iown/0001.html

 NTTドコモがiModeを1999年に公表したが世界標準になれずに、後発のiPhoneに駆逐されたことがあったが、日本が同様な目に会ったのは半導体戦争である。端的に言うと、日米半導体摩擦が生じて日本の独占を恐れたアメリカによって理不尽かつ強引にねじ伏せられたという恨みがあった。

 今日の番組で、NTTドコモの副社長川添雄彦氏が強調していたのは「iModeの轍は踏まない」ということで、彼は電気から光への移行の中で、IOWNがそのための構想であると述べる。https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2112/09/news012.html

 ド素人の私であるが面白いなとおもったのは、20年前のiMode失敗は、それが完成体であった、すなわちNTTの独占状態を予定して提示されたわけであるが、それだと他の企業はつけいることができないので(儲けられないので)、潰しにかけられてしまった、と。その点で、iPhoneは未完成で、他の企業の参入が可能であった、そういう隙間があったので、世界標準として認められたのだ、と。このあたり、商いにはド素人の私には面白い発想に思えた。

 今般のIOWNは、まさしくそれを意識して、世界の多種業界をライバルを含めて呉越同舟で結集したものだという。その中で主導権は握りつつ、世界標準をリードしていこうという目論みとみた。

 同時に、「電気」に依存している限り壁となる現状を「光」で乗り越えるという側面もある。それが及ぼす影響は地球への負荷を軽減させるというサステイナブルな社会実現にも寄与する、と。

 この試みが成功すると、かつて世界をリードしていた日本の没落現状を反転させる契機となるはずだというわけで、まあ私の生存中にそれを目撃することができるかどうかは横に置いておいて、沈滞・没落の30年払拭の夢を見させてくれる、なんだか元気が出る話であった。

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NHKアカデミアで「ナスカ絵前編」を見た

 2023/11/21午後NHKテレ1再放送で、山形大学の坂井正人教授がご登場。本来は水曜午後10時からのようで、後編は11/22である。それら両方は以下で今みることができる。

https://www2.nhk.or.jp/learning/academia/video/?das_id=D0024300125_00000

 ナスカ絵については、以前、佐藤健がらみでこのブログで触れたことあるが(「殉教のテンション」2019/2/10:ここでも坂井教授ご登場か)、今回、30年にわたる研究、その20年以上かかってようやく思い至った坂井教授なりの新説は、現地研究の重要性をあますところなく吐露していると思う。机上の空論で研究者が空想しての立論の空しさを再確認する思いである。そう、自称研究者やマニアのもっともらしい精緻を装った想定など、無知蒙昧なはずの現地の庶民によるあっけない現実の前には即崩壊なのだ。

 日本への地上絵の紹介が、具象的なものに片寄っていることが全体像を見失わせてきたこと(彼はより多い直線の絵に注目)、地上絵の描き方だが、なんと農夫の女性が日頃の種蒔きでの目測で足幅を使って簡単に書けたというあっけない話、なぜ書かれたのかを解明するために地上絵の全体像をどう捉らえたか、挙げ句、使用した人工衛星画像(2002年)が世界遺産の申請の時に大いに役だって、直線の絵が巡礼の道で地上絵はそれとの関連があったのではという話が非常に面白かった。

 後編で、データをAIに読ませてから地上絵を探させたら、これまでもっとも研究が進んでいた場所で数件の新発見があったと述べていたが、これなんかは我らの研究にも応用ができるような気がする。

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