投稿者: k.toyota

池田大作死亡報道に想うこと

 創価学会から池田大作名誉会長の死亡(2023/11/15)が公表された(11/18)。95歳ということだが、2010年半ばに入院して、症状は脳梗塞で、植物状態と報道されたのは、その翌年あたりだっただろうか。それ以来12年経ったわけだ。早くから死亡説も巷で囁かれていた。だから「ようやく」といういささか不謹慎な感想ともなる。彼が公の場に登場しなくなった頃、入院中のベッド上だったか車椅子だったかの写真をどこかでみたことがある。もちろん週刊誌の隠し撮りだったはずだ。車椅子の写真なんかひょっとして、空中から撮られた文京区目白の大邸宅の庭での田中角栄の車椅子写真と混同しているかもしれないが。

 厳重な箝口令の下、姿を見せなくなったのに、折に触れての文書公表が続いたので(実に稚拙な糊塗反応!)、それ以前の彼の著作物もゴーストライターの手になっていたという憶測も真実味を帯び出していた。それを含め面白い見解をQuoraでOhta Mutsumi氏が展開している(https://jp.quora.com/profile/Ohta-Mutsumi:そこで触れられている別件「ザビエルはどうやって日本語を習得したのでしょうか?」も面白かった)。私も彼とはちょっと違ってしかし似ているような、医者を捲き込んで死亡届などどうにでもなる政治力環境下で、すでにエンバーミング化されていて、端的にいって池田家による創価学会私物化が完成するまで、ないし取り巻きの既得権益集団が自らの延命のため、時間稼ぎしているのかもなどと想像していたが(背教者となった元公明党委員長の矢野絢也が既にミイラ化構想に言及していたようだ:https://www.mag2.com/p/news/469368)、いずれにせよ学会にとって大きな節目が白日のもととうとう訪れたわけである。

 32歳という若さでに会長に躍り出た彼の人心掌握術がいかなるものであったのかについて、Webで週刊文春が2010/12/2の古い記事を再掲載している。ちょっと横道に入るが、北朝鮮を占領したソ連が抗日活動でソ連に亡命していた金日成を北朝鮮のトップに抜擢したのだが、そのとき彼は弱冠34歳だった。周囲が自在に操れるだろうという目論見だったのだろうが、それと同じ状況だったにしても、その後そうはならなかったということか。

「10人きょうだい、初恋のラブレター、32歳で会長に…創価学会・池田大作名誉会長の意外な“実像”とは「将来大物になりそうな雰囲気はまったくなかったなあ」」(https://bunshun.jp/articles/-/67096)

「「ナンバー2を嫌って、人を育てなかった」池田大作氏が創価学会で“究極の権力構造”を作り上げるまで」(https://bunshun.jp/articles/-/67097)

 また、今年の8/19公表の外国人記者の邦訳もウェブで見つけた:UNSEEN JAPAN「行方不明の池田大作創価学会会長を探せ!」(https://unseen-japan.com/ikeda-daisaku-yukue-fumei-sagasu/)。これなんか読んでいてなんだか客観的に感じられたのはなぜだろう。我ら同朋だと存在する生々しさが、外国人というフィルターを濾過することで消え去るせいかもしれない。

 しかしながら、私が仄聞する彼の行動は生やさしいものではない。たとえばなり振りかまわないヴァチカンへの接近もそうで(ノーベル平和賞取得のため、手土産がすごかったとか)、キ生臭いそれについては私がぐだぐだ書くよりも、以下をご一読いただいて連想して願いたい(http://sudati.iinaa.net/karuto/Vatican.html)。私的感触からすると、ヴァチカンはすでに立正佼成会とかなり密接だったからという裏話もあるのだが。ただイタリアで驚かされたのは、20年前のことだが、予想外のところで私が日本人だと分かると「私、創価学会の会員なの」という女性たちに出会うことで、シシリアのラグーザでの店の店員とか、なんとオスティア遺跡のグッズ売り場の店員さんがそれだった。その後彼女たちがどうなっているか、今は知らない。そのとき心中で「極東の俺が、カトリックの洗礼受けているのだから、実態を知らずに異文化に惹かれるという意味では同じだな」と思ったものだが。

 ところで、1970年代での私の研究の周辺課題に日本における明治以降の新宗教の蠢動にあった。素人ながら、大本教のことを勉強したり、とりわけ当時物議をかもしていた創価学会の過激な活動にそれなりの関心を払っていた。それが原始キリスト教の歩みの実態解明に資するのではないかとの思いがあったからである。直接それを論じた論稿を書くことはなかったが、講義の枕として導入で述べてはいた。宗教集団が現世の支配勢力を攻撃し変革を叫ぶことは珍しいことではない。その点で初期キリスト教の台頭と大本教や創価学会の運動形態に共通項があるのではないか、否、逆に新宗教の諸団体は原始・初期キリスト教の運動形態を密かに探求し、それらが自らに資すことを構想しなかったであろうか、と考えたからだ。

 オウム真理教や統一教会が問題視されると、世の著名な宗教学者たちは口を揃えて「あれは正しい宗教ではない、カルトである」と自らのそれとの差別化の発言をする。マスコミも巨大既成集団に忖度して同様に既成宗教とは別物であるかのごとき情報の垂れ流しが見受けられる。しかしいかなる集団といえども決して一枚岩などではなく、実際には多種多様な思いの雑多な構成員からなっているので(部外者はこれを誤解していることが多い)、一部突出部分の”暴挙”もありえるし、そういった初心を温存した「青い」存在を体制は巧妙に育み常に内包しているものである。「正統と異端」の区分けとは、反主流派を排除した挙げ句の主流派の歴史の正統性を示し、しかしそれは自ら宗教運動の核心部分(活動分子)を放擲する自滅行動につながりかねないが、既成宗教化とは批判の牙を抜かれた無毒化=体制化への道程であると同時に、刷新運動として原初メンタリティへの回帰を常に志向すること抜きにいかなる既成宗教の活力も持続できないのだ。

 もちろん、このような問題意識には70年に先行する60年代の諸々の社会現象があった。かくのごとき思いを背景に置きつつ、文書史料に基づいてまとめたのが『キリスト教の興隆とローマ帝国』(南窓社、1994年)であった。ことの本質に切迫することなく表面的かつ牧歌的な読解で由としてきたこれまでの解釈を根底からひっくり返す仮説であったからこそ、30年経っても未だに我が国で学界的に認知されているとはいえないのだが(欧米ではすでに19世紀末に言及されている)、言っている内容はキリスト教的先入観を廃せばしごく当然なのだが、初期キリスト教研究の担い手がキリスト教(とりわけプロテスタントの)信者であるので、自らの信仰に抵触する学説など受け入れがたいので敬遠というか黙殺されちゃうわけだ。より保守的と思われるカトリックは意外とこういう人間くさい問題(人間は誤りを犯す罪深い存在という認識が強い)には開明的で受け入れやすい面があるのだが。

 私の学位申請論文ともなったその著書出版後、某学会輪読会でそれが取り上げられたことがあったが、その終了後の雑談の中で、ある若い研究者の質問に私が答えて「実は私の研究動機と射程には創価学会があるのですよ」と言った途端、ぎょっとしてそそくさと私の前から姿を消したのがとても印象的だった。それが、危ないものには触れない、それが無難、という本音の表白に見えたからである。しかしそれでは研究対象に肉薄することはできないわけで、まあそのとき、日本人に深く根ざした民族的メンタリティーによる研究の限界みたいなものを感じてしまったのである。

 さて時間稼ぎには十分の12年間だったはずだ。その間どのような組織的手立てをしたのか、これからお手並み拝見というわけである。https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html;https://www.mbs.jp/news/column/scene/article/2023/11/097795.shtml

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「永遠の都ローマ展」を見た

 2023/9/16-12/10に東京上野の東京都美術館で開催中の「永遠の都ローマ展」を見学した。予想通りといってはなんだが、見学者はそう多くなく、会場が広々としていたこともあって、ゆったりと見学できたのだが、3階を貫いての構造上、見直しのための逆行ができづらい恨みは残った。

 中でも私の興味をそそったのは、「コンスタンティヌス帝の巨像の左手」のコピー(エウルのローマ文明博物館所蔵)が展示されていたが、そこでは既に2018年再発見の人指し指も復元されていたので(本ブログの2021/5/9参照)、おやおやイタリアにしては用意周到なことと、まずは感心した。今回の展示会では写真が撮れなかったのだが(なぜかトラヤヌス記念柱のコピー二点だけ例外)、ぐぐってそれらしいのを見つけたので転載する。

 写真左が今回入手の修復画像;写真右は2005年に一時的に天球globusと左手が合体されたときのもので、当然ながら人指し指は先端から第二関節までが欠損していることに注目。

 それにコンスタンティヌス帝の巨像頭部も完璧に修復コピーされていた。残存現品は裏側が壊れているので中を覗けて、歴代の稚拙な修復跡も確認できてしまうのであるが。

 あと、カラヴァッジオ派の絵が一枚来ていたが、なぜかカタログにはカピトリーノ博物(美術)館所蔵の二枚の内の伝「洗礼者聖ヨハネ」も掲載されていて?だったが、これは福岡市美術館では展示される由で納得(但し、私見ではカピトリーノ所蔵のカラヴァッジオ作の二点はいずれも光のあて方や緊迫感に欠けていて凡作に思えてしまう:但し、彼のリアリズム追求という観点からすると面白味あるというべきか)。「カピトリーノのヴェヌス像」の展示が東京会場のみなのでその替わりというわけであろう。ところで私的にはこのヴェヌス像よりも「ディオニュソスの頭部」のほうが印象的だった。

左図(男のモデルは「勝ち誇るキューピッド」などにしばしば登場:あるいは若き日の自画像か)を、右図のローマのバルベリーニ美術館所蔵「ホロフェルネスの首を斬るユーディット」と比較せよ(若い女性のモデルは著名な娼婦だったのでここでも一騒動):参照、https://www.youtube.com/watch?v=3YlQJp5DNvA

 ちょっと横にずれるが、絵画部門でヴェベレ川風景を描いた小品「トル・ディ・ノーナの眺望」も、17世紀末の河畔を描いていて思わず凝視してしまったのは、船着き場と称して、水の干上がった浅瀬に船が乗り上げている図があったからで(よって写実的だったという前提に立つならば、乾期に描かれた風景ということになる)、これがまあ古代以来の変わらぬ船着き場の常態を示していると考えたからである。すなわち、港と言ってもいつも護岸や桟橋があって船がきちんと係留されていたわけではないのだ。前近代を扱う場合、こういった当時の常識に立った認識を持たないといけないと思う。

 ところで今回の展示会の宣伝下手というべきか、事前のチラシなどでは明治遣欧使節団とローマ市の関係を記念してという口上が述べられていたが、それはそうなのだろうが、展示会ではそれ以前の天正遣欧少年使節団や支倉常長らの慶長遣欧使節団にも触れられていて、こちらにももっと力を入れて宣伝していたらよかったのでは、と思ったことだ。

 最後にミュージアムグッズ売り場があって、例のごとく無関係のイタリア食品などの私的には無意味な販売がほとんどだった。一番期待していたのはピラネージ作「トラヤヌス記念柱」の詳細図を折りたたみにでもして販売してくれていると嬉しいなと思っていたのだが、予想通りそんなものはなかった。

http://kaiga-date.com/colonna_traiana-giovanni_battista_piranesi (裏表両面があればもっとよかっただろう)

 それといつも思うのだが、会場の一画で放映していたNHKプラスでの映像DVDも、なぜ販売してくれないのだろうか。まあ著作権の問題があるのかもだが、もしあれば教材としておおいに意味あるはずだが。今だと有難いことに以下でそれの短縮版を無料で見ることができる。https://www2.nhk.or.jp/learning/video/?das_id=D0024010684_00000

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被爆神父の回顧録

 遅ればせながら、以下の本を古本で入手した。私が広島にいたとき、小教区司祭だった彼を知っていたこともあり、周知の地名や知人も登場していたせいか、一気に読めた。

 長谷川儀『八月六日の朝、ぼくは十四歳だった』女子パウロ会、2010年。

 彼の名前は「ただし」と読む。上掲の写真の玉野教会時代や呉教会のはまだまだ私の記憶にある師の姿のまんまであるが、後出のYouTubeの晩年の表情はだいぶ違っていて驚いた。彼は、瀕死の重傷でイエズス会長束修練院長アルペ神父の治療を受け、副院長ドイツ人ネーベル(帰化名・岡崎祐次郎)神父から臨終の緊急洗礼を受けるも、奇跡的に一命をとりとめ一家で受洗、紆余曲折あって20年後に広島教区司祭になる。今回初めて、最後に岡山の玉野教会主任司祭をされていたこと、2012年広島日赤の原爆病院で81歳で帰天されていたことを知った。

 今回ぐぐっていて、「電子顕微鏡日記」なるブログに彼の晩年の画像と肉声が残っているのを知った(https://minkara.carview.co.jp/userid/458567/blog/27748643/)。しかしこのブログもすでに昨年12月で書き込みが途絶えていて、先行き不透明なので、このまま情報が消え去るのは惜しいので、承諾連絡しようもないままにあえて無断転載する(方法判明すればご連絡します)。

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2012年09月15日

 長谷川儀(はせがわただし)神父帰天 

父の友人であり、若き日の父や祖母、祖父の様子を教えてくださったカトリック広島司教館付の長谷川儀神父が9月13日に帰天されました。心からお悔やみを申し上げます。

写真は父の没後1週間、2002年5月1日に当時主任司祭をされていたカトリック呉教会におうかがいした際、撮影したものです。

以下、情報サイトの転載です。

投稿者: yamaguchi 投稿日時: 2012-09-15 09:07:43 (75 ヒット)


 訃  報

広島教区司祭 パウロ・フランシスコ・アシジ 長谷川 儀神父が、9月13日(木)午前6:07、
広島日赤・原爆病院にて帰天いたしました。享年81歳でした。どうぞ長谷川神父のためにお祈り
ください。通夜・葬儀ミサは、下記の通り行われます。

通夜 9月14日(金) 午後  6:00
葬儀ミサ 9月15日(土) 午前 11:00

広島教区司教座聖堂 (幟町カトリック教会) 
●故人の遺志によりお花料はお断りいたします   
喪主 広島司教区 司教総代理 斎藤真仁神父

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パウロ・フランシスコ・アシジ 長谷川 儀(はせがわ ただし)

1931年 7月19日  広島生まれ
1945年   摂理的出会いから8月11日より敗戦の玉音放送の15日迄、イエズス会アルペ修道院長より直接原爆による火傷の治療を受ける
11月30日  イエズス会ネーベル副院長より避難先にて緊急洗礼を授けられる
1965年 3月18日  福岡サンスルピス大神学校聖堂にて、マレラ枢機卿より“私は核兵器に殺されるよりも、核兵器に反対して殺されるほうを選ぶ”心で司祭に挙げられる  
 叙階後、幟町教会、呉教会、観音町教会、三篠教会、尾道教会、向原教会、玉野教会、廿日市教会を歴任
2010年 ~  司教館付
2012年 9月13日  摂理のうちに全てをおん父のみ手におゆだねし、永眠

2012年9月13日
広島司教区本部事務局

*略歴以下は長谷川神父が生前、準備されていたもの*

カトリック広島教区情報サイトに気付くのが遅れて、葬儀に参列することはできませんでしたが、明日、カトリック幟町教会でお祈りしたいと思っています。

以下、長谷川神父の被爆証言のYou Tube動画です。

https://youtube.com/watch?v=tW_546e_qf8%3Fhd%3D1
https://youtube.com/watch?v=CPNrv7LAy0g%3Fhd%3D1
https://youtube.com/watch?v=IjQjvo5DWAY%3Fhd%3D1
https://youtube.com/watch?v=YAeq9K9XDg8%3Fhd%3D1
https://youtube.com/watch?v=47fEzdHh4pE%3Fhd%3D1

これらのお話の一部は昨年8月5日、カトリック教会の平和行事でうかがうことができました。
第5話後半のお話は、この動画ではじめて聞きました。今年8月5日は第5話前半の続きをお話される予定でしたが、中止になってしまいました。ご冥福をお祈りします。

関連情報URL : http://www.hiroshima-diocese.net/modules/bulletin/article.php?storyid=175

【付記】「カトリック広島教区情報サイト」にも行ってみたら、2023/10/8に、これも懐かしい深掘升治神父がラサール神父がらみで自らの召命について講演をされていたようだ(https://www.hiroshima-diocese.net/2023/09/08/post-2904/)。彼も今年86歳。そこにあった写真に昔の面影はないような。そうだよな、私が20代で広島教区をうろうろしていたのはもう4、50年も昔のことだ。彼が2014年に被爆体験を証言しているのもみつけた(https://www.hiroshima-diocese.net/page-2792/page-1691/)。また2006年の早副穣神父のも(https://www.hiroshima-diocese.net/page-2792/page-1696/)。彼は2013/11に87歳で帰天。

 

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空気の軽さ、重さについて

 在伊50年になるN氏と話す機会があった。

 その時、この夏はポンペイからサルノ川の河口目指して歩きましたと話したら「よくそんなに自動車道を歩かれますね」といわれたので、私が「どういうものか、イタリアだと息切れなんかしなくて不思議とすたすた歩けるんですよね。日本だとちょっと近所のセブンイレブンに行くだけでも心臓がパクパクしちゃうんですが」と話したら、「同じようなことを言われる人がかなりいらっしゃいますよ」と。

 どうやら日本の空気は重たいらしい。素人考えだが、たぶん空気中の湿気がその原因なのであろう。こんなことに気づくことができたのも老齢で渡伊経験をしているからで、若さに任せて活動している年代には察知しがたい、ありがたい新知見である。

 うろ覚えだが、ゲーテの『イタリア紀行』を読んだときに、アルプスを越えてイタリアに入った時の高揚感が書かれていたのが印象的だったが、これまで私は闇の国から光の国へと太陽光の変化ばかりに気をとられてきたのだが、案外に空気の軽さによって加算されたものだったのかもしれない。

 年取ったら(私はもう十分後期高齢者だが)、なるほどイタリアで暮らした方が楽かもしれないと思いつつ、年配になって多くの滞在者が帰国せざるをえないのは医療の都合である。なかなかうまくいかないわけだ。

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最近の古代トイレ情報,他

 久々にチェックしてみたら、やはりあれこれ新情報が。

● The Roman Toilets of Ancient Athens – 3D reconstruction:https://www.youtube.com/watch?v=mZN77PdUt1E

● A. Kate Trusler, Where’s the loo? An analysis of the spatial distribution of private latrines in Pompeii, Water History, 9, (2017) , pp.363–387.

● A.Kate Trusler / Barry Hobson, Downpipes and upper story latrines in Pompeii

Journal of Archaeological Science: Reports, 13 (2017) , pp.652–665.

● Hoss, Stefanie, Latrinae: Roman Toilets in the Northwestern Provinces of the Roman Empire (Archaeopress Roman Archaeology), Prime Deals, 2018, PP.154.

● これってオスティアの「七賢人の浴場」の逆現代版? さて、どこの国のトイレ? Quoraで見つけました。

【追伸】同様のものを岡田茂氏のブログ(https://jp.quora.com/profile/%E5%B2%A1%E7%94%B0-%E8%8C%82-Shigeru-OKADA)でみつけたのですが、そこでの説明文だと「2015年にチェコ共和国プラハのショッピングセンターの男性用トイレ」だったそうで、上掲とよく似た意匠ですね。続いて「同じフロアにある女性用トイレにどのような意匠が凝らされていたのか」と。ほんと覗いてみたい。

● 2023/11/6 サルディニア島沖から後4世紀の数千のコイン発見:http://www.thehistoryblog.com/archives/68711

● 2023/10/24 Santa Maria Capua Vetereのミトラエウム再公開:http://www.thehistoryblog.com/archives/68585

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6,5,6,11の循環年と学会発表

 2018年10月28日(日)に広島史學研究会西洋史部会で口頭発表したときに、この部会はいつも10月末の日曜に開催されるので、10/28で次回日曜はいつになるかを調べてみたら、なんと11年後の2029年と出た。それだと私は生きておれば82歳になっている。う〜ん、11年後か次回は無理だな、とそのときは正直思ったものだ。あれから早いものでもう5年経った。現金なもので6年後だとまんざらできないことでもないかも、と思う今日この頃である。

 2029年の次は6年後の2035年、その次は5年後の2040年。どう考えたってその先を考える必要はないので、今度は試しに昔をたどってみた。私が生まれる前だと1945年が該当年で、その6年後の1951年、その5年後の1956年、そして6年後の1962年、そして11年後の1973年、6年後の1979年、5年後の1984年、6年後の1990年、またまた11年後の2001年、6年後の2007年、5年後の2012年、そして6年後の2018年。

 単純なことだが 6,5,6,11の循環が認められることに気づき、なんだかこのリズムに合わして6年後になにかしたくなったのである。そもそも10月28日とは西暦312年にコンスタンティヌス帝がマクセンティウスに勝利した日であった。この日はどうやら火曜だったようだが(その計算をしたサイトは、「ke!san」:https://keisan.casio.jp/exec/system/1177638326)、私にとって口頭発表が日曜だったので、それにこだわってみたわけである。6年後に研究仕舞いを兼ねた口頭発表ができたらいいな、と思っている。ま、生きていればの話ではあるが。

 話がそれるが、私の誕生日1947年8月9日は土曜日と出た。なんと今年は数えで77歳だから喜寿だったんだ。ついでにこの誕生日の出来事としては「水泳の古橋廣之進選手が水泳日本選手権の水泳400メートル自由形で世界新記録。“フジヤマのトビウオ”と呼ばれることとなる」とあった(https://ja.wikipedia.org/wiki/1947年の日本)。

古橋廣之進(1928-2009年)

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広島平和都市法の寺光忠、それにアルペ神父のこと

 朝起きてテレビをつけたらNHK総合でなぜか広島の平和都市建設法のことをやっていた。途中からだったが、そこでの恩人ともいうべき寺光忠氏(1908-1996年)に興味を持って検索してみたら、旧制広島高校から東大法学部に進み、1949年当時、参議院議事部長だった(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27163)。彼のアイディアで日本国憲法の第95条を根拠に、「広島平和記念都市建設法」制定に向けて動いたのだ。

 それ関連で、中国新聞の原爆資料館情報も眼にとまった。かつて触れたことがある長岡省吾氏もそこに登場してたのはいいが、「ヒロシマの地質学者の執念が詰まった原爆資料館。だが、年間100万人を超す入場者であふれる展示場にもパンフレットにも「長岡省吾」の名前はない」と書かれていて、気になった(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27269)。そう、放っておくと忘れられていくわけだ。

 ペドロ・アルペ神父(1907-1991年)もヒットした(中国新聞:検証ヒロシマの半世紀 検証ヒロシマ 1945〜95<20>宗教:https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27313;せせらぎ:特集13「アルペ神父(2006年)」:https://seseragi-sc.jp/story-cat/特集13%E2%88%92アルペ神父/)。スペイン人の彼については改めて解説する必要はないだろうが、原爆投下時に広島市(当時)北郊外の長束のイエズス会修練院長で、のちにイエズス会第28代目総長(1965〜1983/1991年)も勤めた。

 彼の列福運動もはじまっているようだ(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=134939:http://catholic.hiroshima.jp/pdf/fr_luis_cangas_20210805.pdf)。彼の墓所は一旦はサン・ロレンツォ・フォリ・レ・ムーラ教会裏のカンポ・ヴェラーノ墓地のイエズス会区画だったが、現在、ローマのジェズ教会のフランシスコ・ザビエルの祭壇右の隣接礼拝堂にあって銘板が掲示されている。その移葬についていかにもイタリア的な噂話を聞いた記憶がある。イエズス会側の担当者がお金は一切必要なかった、と言っていたと。

【付記】イエズス会日本管区は関係者からもうひとり総長を出している。2008-2016年の第30代アドルフォ・ニコラス神父(1936年スペイン生れ;2020年帰天)。現総長アルトゥロ・ソサ・アバスカル(2016年〜)は、初の欧州外出身(ベネズエラ人)。なお現教皇フランシスコ(イタリア系アルゼンチン人:在位2013年〜)は史上初のイエズス会出身。この世代はアルペ総長の刷新活動(社会正義の促進・解放の神学)の影響を少なからず受けているはず。

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『ビジュアル世界の偽物大全』を買った;そしてイエズス会士

 日経ナショナルジオグラフィックからの出版で、今年の6月出版とまだ日が浅いせいか古書でも安くないので、しょうがないなという感じで購入した。

 当方のねらい目は、考古学上でのそれとかが書かれているのでは、というあたりだったのだが、トリノの聖骸布も簡単ではあるが掲載されている。時代的に興味をひかれたのは、死海文書に先行する「発掘物」があり、それは偽物とされて消えてしまったことで、そんなこと私は全然知らなかった。類似の事例は数多くあったはずだ。

 それにしても、手に技をもっている者が贋作・模作にチャレンジしてしまうのは、人間の性(さが)とでもいうしかない。

 ピルトダウン人のところで、学生時代に傾倒して読んだ『現象としての人間』 (Le Phénomène Humain)の著者、イエズス会士テイヤール・ド・シャルダンが出てきたのには55年振りの久々のことでいささか虚を突かれたが、北京原人といい、発掘には贋物がつきもののようで、しかし真偽の検討などこちらには判断基準がないので、なかなか手強いことだ。

Pierre Teilhard de Chardin, SJ(1881/5/1-1955/4/10)

 横道に逸れるが、今回はじめて、当時、カトリック教会内で批判され続けていたテイヤール・ド・シャルダンを、なんと後の教皇ベネディクト16世になるあの厳格なヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が擁護していたということを知って、いささか驚いた。今となっては時代遅れのテイヤール・ド・シャルダンの業績であるが、当時のカトリック教会主流に臆することなく研究的に一歩踏み出すことを恐れなかった彼の生き様は、いかにも時代を果敢に先取りするイエズス会士の真骨頂を示していて、あらぬ憶測からようやく最近名誉回復された教父学研究者ジャン・ダニエルーJean Daniélou SJ 枢機卿ともども、私は強い親近感を感じてきたのである。

Jean Daniélou SJ 枢機卿(1905/5/14-1974/5/20)

 以下参照:2024/1/3「ジャン・ダニエルー枢機卿の名誉回復」

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今年は手に入りそう! ボンチ・パンブリアコーネ

 昨年は賞味できなかったので諦め果てていたクリスマスの恒例のお菓子、ボンチBonci社のパンブリアコーネPanbriaconeだが、ワインをチェックしていて偶然どうやら発注できそうなことが分かったので、さっそく1kgを一つ頼むことにした。久々に大物なのがうれしい。本当は2つほしいところだが、1kgだと一つ8640円もするのでがまんするしかない(500g、5400円もあるがこっちは別途送料が必要)。11月末到着の予約なので今の時期を逃すと入手できない。これでクリスマスが来る実感がいやましに高まる。

 これは普通のパネットーネに6種類のパッシートワイン(収穫したブドウを陰干しにして糖度を高めてから醸造するワイン)を浸み込ませた、しっとりとした味わいの大人のスイーツ。フランスのケーキ、サヴァランほどびちゃびちゃしていない。一度食したらクセになるはず。騙されたと思って一度注文されたらいかがかと。

【追伸】ぐぐっていたら、こんな情報も。https://italiawine.exblog.jp/29664202/

 あと、こっちでは削除した季節の食べ物関係、もひとつのブログの方には残している。一応メモっておく。

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食糧危機問題を考える

 少し前、昆虫食が話題となった。そもそも人類は農耕牧畜が定着する前にはありとあらゆるものを食の対象にして生きる雑食動物だった。もちろん昆虫も。そうしなければ生きていけなかったのだ。それが現在のようにごく限られた食物に依存するようになったのは、農耕牧畜以降のことで、それが都市生活においてスーパーなどでの流通野菜で一層限定化するなかで、選択肢が狭められて、食生活による人間家畜化すら叫ばれるようになっている。しかし、それにしたところで未だ世界全体では3億人以上が食料不安に直面している状況がある(https://ja.wfp.org/global-hunger-crisis)。

 そのうえここに来て、近未来の食糧難についての新刊がまたまた話題となっているようだ。髙橋五郎『食糧危機の未来年表』朝日新書、2023/10、¥979。曰く、「日本の食料自給率は38%──実際は18%でしかなかった! 有事における穀物支配国の動向やサプライチェーンの分断、先進国の食料争奪戦など、日本の食料安全保障は深刻な危機に直面している。… 先進国の「隠れ飢餓」という実態を暴く。」

 こういう危機を煽る書物はいつの時代にも出てくる。たとえば、1960年代末から80年代にかけて食品添加物がらみで多数の本を書いた郡司 篤孝を私も興味を持ってかなり読んだのだが、添加物のため日本人の平均寿命は数世代後には40歳台になると予想・警告していた記憶がある。私の世代が食品添加物にサラされて生きた1世代目なので、あれからまだ2世代もたっていないが、とにかくその予言ははずれてしまっているというわけで、今だと「闇雲に危険だ危険だとセンセーショナルに騒ぎたてているだけでナンセンスなのでおすすめしません」(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1460759344?query=郡司%20篤孝)と一刀両断に切り捨てられてしまっている。しかし悪徳業者がいるのは常識なので、すべてがウソだとは思わないのだが、まあ大袈裟なのである、というか人体のほうがそれなりに対応してきたようでもある。先日、解剖医のテレビドラマを見ながら妻がぼろっと言っていた。最近の死体は昔よりは腐敗しにくくなっている、どうやら食物で摂取してきた防腐剤のせいらしい、と。

 こういう問題を考える場合、昆虫食の道を探るとか肉資源への穀物投入を問題視するとか以前に(それも重要であるが)、実は耕地拡大で人類は大規模に自然破壊を促進させた挙げ句、現在は世界的に広大な放棄農地が存在している、といった視点も重要だと思わざるを得ない。むしろそこに現代社会の諸矛盾が集約的に表現されていると考えるからだ(https://dot.asahi.com/articles/-/204659?utm_source=yahoo_rss&utm_medium=referral&utm_campaign=yahoo_relatedLink)。

 ま、先のない私には関係ない話かもしれないが。だからというわけでもないが、明日あたり北海道からふるさと納税対象のホタテが届く。原発排水問題で中国や韓国が海産物を買わなくなり、苦境におちいっていると報道されているが、私の居住している範囲ではスーパーなんかから姿を消してしまっているので、同じ日本人でも商業ルート的には助けようとはしていないようで、ぐぐってみたらふるさと納税品でしかヒットしなかったせいでもある。せいぜい体内蓄積して盛大に火葬場に持っていこうと思っている。嫁さんも賛成してくれているのがありがたい。

 

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