今回は連れの都合でオスティア・アンティカ遺跡中心のスケジュールなので(宿舎はLido di Ostia Nord駅から徒歩10分のコンドミニオ、なにがいいって宿舎の持ち主がロシア系だったせいか、居間の照明が明るいことです)、今回さしたる調査目的がない私は比較的ゆっくり当初オスティア遺跡を楽しんでいましたが(最近の発掘場所中心で回りましたが、規制線が張られ近寄れないし、カバー掛けられているしで今イチ)、到着直後はにわか雨にしても雨勝ちで、例年より1か月は早い感じですでに雨期に入ったのかと思ったのですが、31日は昼間はカンカン照りでした(こちらでは夜に雨が降っていて午前中は過ごしよかったりします)。その後、カンカン照りがやっぱり多くなりました。
ちょっと前に戦争棄民の話の中でバチカン近くのイエズス会本部とかその東側のSanto Spirito in Sassia教会に触れたが、今回はその教会の北側真ん前のPalazzo della Rovere(=Palazzo dei Penitenzieri)に関わる話である。
手前左の白い屋上がイエズス会本部
上記写真では中庭が工事中に見えるが、ここはかねてバチカン高官御用達の高級庭園・ホテル・リストランテで、北側の正面玄関はサンタンジェロからサンピエトロまで貫通しているVia della Conciliazioneに面している。20年前になるだろうか、某君が枢機卿になったらここで祝賀会を開いてあげると約束した場所である(幸いなことに彼は僧職に入らなかった)。そこでいつの間にか(2020年かららしい)南半分で発掘調査がおこなわれていて、今回皇帝ネロの私設劇場と思しき遺構が出土したと公表された。すでにグーグルなどの地図には「ネロの劇場」と明記されている。サンピエトロ広場はかつてカリグラとネロの私的競技場であった。現在その広場中央に設置されているオベリスクから今回の発掘現場は直線でたった320m東の場所である。
しかも、紀元後1世紀のヤヌスの頭部像の他にも、出土資料にはこれまでよく知られていない10〜15世紀の遺物も含まれていて、特に十字架やロザリオのビーズを作る材料など中世の巡礼者に関連した品物も発見され、聖ペトロ殉教地をめざしてヨーロッパ各地から巡礼が訪れていた様子を彷彿させている。また、ガラス製のゴブレットや陶器の破片が含まれ、発掘責任者Marzia Di Mentoは、以前この時代のガラスの聖杯は7つしか知られていなかったが、今回の発掘で新たに7つが見つかったと指摘している。