今年は国際的にも重要選挙が目白押しなのだが(https://apinitiative.org/election-year-2024/#:~:text=2024%E5%B9%B4%E3%81%AF%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%80%81%E6%AC%A7%E5%B7%9E,%E3%80%8C%E9%81%B8%E6%8C%99%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82)、既に決着のついた1月の台湾、3月のロシア大統領選は政権継続できたものの、認知症問題でアメリカの大統領選挙の帰趨が混沌としてきているところに、6月のインド総選挙で与党大敗北、7月にイギリスの総選挙で14年振りの政権交代がおこり、フランスでも6月のEUヨーロッパ議会選による極右躍進に直面してのマクロン大統領の電撃解散による下院選挙で不安定な連立が予想され、いずれも民意の多極化・右傾化の傾向が促進している。
そういった中で私的に注目しているのは、これまで表舞台であたかも主流をなしてきた観がある欧米的な諸理念がいかに表層的だったかについてで、地滑り的な見直し現象が生じているのではないか、ということだ。支配エリートたちにたぶらされてきた「モノ言わぬ(言えぬまま放擲されてきた)庶民層」が、政治の専門家たちが気取ってきた支配の最たる民主主義理念にもとづく投票行動において、ヴェトーを唱え出しているのではないか、というわけである。これまで抑圧され封印されてきていた低層マグマがそこかしこで噴き出してきているわけだ。怒りや怨念に起因している彼らの反応はいかにも即物的で、外国人移民や難民の受入とかへの拒否反応であったりするわけであるが。
その背景で大きな役割を演じているのが、ケータイ文化であることは明白だ。これまでの紙媒体の新聞等(教養層:老人対象)や、そして電波によるラジオ・テレビからの情報(中間層:中堅層対象)よりも、ネットやSNS、そしてYouTubeなのである(含む一般大衆:若者対象)。
もちろん何ごとにも功罪はある。ポピュリズムは、大衆の利益を優先するという大義名分の理想論と、大衆を扇動して政治目的に動員するというお騒がせな側面も合わせ持っている。いわば同一の楯の両面なのである。それを生身の人間がどう運用していくのかによって、どちらにもなり得るのだから、注意深く見守って(いな監視して)いかねばならない。そのうえ、生成AIの活用によるフェイク情報の問題もあって、情報の真偽判定の正確さも問われていて、どう即応していけるのかは、なかなかの難問であろう。
ただ怒りや恨みが伏線になっている場合は、方向として危うさが漂ってしまう。その意味でもう一人の立候補者・安野貴博の建設的な試みに注目したい。ちなみに彼は投票数的に桁違いに少ない5位であった。彼の場合、パグの修正というテクニシャンの営みが表看板なので、とりあえず安心感があるわけだが(https://news.yahoo.co.jp/articles/082def7dd0dc94be1a0d824728be1a876d2b48df?page=1)、半面、一般大衆の爆発的投票行動を起爆するというエネルギーは希薄なのであるが。