彼は「イエスの実の父はザカリアス」とも書いている。聖書学的にはきわものめくが、当時から知られていたイエス出生の秘密に関して、解釈的には面白い(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52264551.html;http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/51755190.html)。私もこの話題を追ってドイツのBad KreuznachのRömerhalle博物館を訪れたことがある;私の方の説では、イエスの父はローマ軍団兵(ひょっとして補助軍兵士かもだが)Tiberius Julius Abdes Panteraであるが。
ザカリアスとはマリアが妊娠中に身を寄せたことになっているエリザベツの夫のことだ。この見解、10年前の以下が種本らしいが、統一教会では40年も前から部外秘で言われていた由。Mark Gibbs, Secrets of the HolyFamily, CreateSpace Independent Publishing Platform, 2009. 著者はフリー・ジャーナリスト。残念ながら古書でなんと900ドル以上の高額、ないし我が国では新本は入手できない状況。また大学図書館も所蔵なし。日本ではまた、歯科医師の土屋仁なる人物も『クリスマス文書』文芸書房、1996、で書いているらしい。出版当時の定価2000円が、今では古書で6000円だが、まだ入手可能。内容的には専門家でないので問題が無きにしもあらず。
但し、一番右側のスレートは、J.DeLaine女史の想定であって、原位置では下のように枠内にスレートはない。(J.Th. Bakker:https://www.ostia-antica.org/privrel/privrel.htmによると「Possibly from the facade of the Caseggiato dietro la Curia (I,IX,1)」)又、上図の文字モザイクとの対応関係を考えると、左端の「OMN[I]A」の下部にもうひとつスレート枠があっていいはずだが、現況ではその痕跡はない。
↑スレートはめ込み枠
逆に、右端のスレートの上部にも銘文を印したTABULA ANSATAが予想されるが、上部の壁は崩壊しているので確かめようもない。ただ、判明している3つの銘文を連続で捉えるなら、「OMNIA FELICIA ANNI[I]」で、「アンニウスの(商売)すべて上首尾」と読めるので、右端スレートについてのDeLaine女史の想定が正しければ、「(女神)Eponaによって DE EPONA」に類する文言だっただろうということになる。
検討すべき論点は多い。スレートには以下が描かれている。現状左端が、両脇のドリウム[型式からスペイン産オリーブ油用と思われる:関連でこの集合住宅の北側に当然注目すべき]に挟まれた人物と右上に机に座った人物(どちらかがたぶんアンニウス)、中央は帆に風をはらんだ商船と舵をとっている人物、そして想定されている右端は、左右に馬を従え玉座に座り、右手で馬の口に手ずから餌を与え、左手に豊穣の杖らしきものをもった女神エポナが描かれている。このエポナ像は構図やアトリビュート的に他の一般的なエポナ像と比べて特異といっていいだろう(一般的なポエナ像は以下参照:http://www.epona.net;但し、Jovicic, Bogdanovic, New evidence of the cult of Epona in Viminacium.pdf掲載のFig.10の紅玉髄製貴石の構図は、女神像に限って極めて類似の印象)。
というのは、昨年の三月に京大で開催された九大の堀教授の科研での国際小シンポジウムで、オクスフォード大学のジャネット・ディレーンJanet DeLaine博士の「オスティアの街角にみる聖なるお守りたち」Seeking Divine Protection in the Streets of Ostiaの中で、これまでオスティア遺跡で帝国西部の神格のイメージは皆無だったはずが、突如エポナ女神を描いた平板reliefが登場したことに、私はおおげさでなく驚愕したことがあったからである。
しかし、これはEric Taylor編集のHP「Ostia:Harbour City of Ancient Rome」 の「Terracotta objects」の中にすでに「E27317」として登録ずみのものだったことをあとから知ったので(https://www.ostia-antica.org/vmuseum/small_3.htm)、当方の調査不足にすぎなかったのだが。ディレーン女史は、この平板の元来の設置場所を、Caseggiato di Annio (III,XIV,4)の一番右側の空の枠内だったと想定している。下図がそれである。
Relief of Epona between two horses. Guida p. 97. Museo Ostiense. Inv. 3344.
2015年の冬、オスティア調査の合間を縫って一日フォロ・ロマーノを再訪し歩き回った。ウェスタ神殿の南の、いつもは閉まっている「40人殉教者礼拝堂」Oratorio di XL Martyres(地図番号12付近)が開いていたので、こりゃ見逃せないと突入した。そこには中世の壁画があって、そこを拝見して出てひょいと左側を見ると30年間ずっと閉鎖され続けていたSanta Maria Antiqua教会(翌年公開された)の入り口をふさいで「MOSTRA / LA RAMPA / IMPERIALE / 20 OTTOBRE 2015-10 GENNAIO 2016」と書かれた目立たない白い立て看が目に入った。その時は意味もわからず4か月限定で何があるんだろうと歩み寄ると、その前で東西を走る通路に出て、目と鼻の先の東の端はパラティヌスの宮殿の丘に接して行き止まりで巨大な円筒型天井の構造物が。そこの右にガラス張りの入り口があって、番人もおらず中に入る。
Santa Maria Antiqua教会は9の先の1−5;6がRampa正面左が「8」のOratorio di XL Martyres:その背後右上がRampaを登り切ったところの展望台正面が「9」への入り口:その前を左に向かうと「6」への入り口
関係断面図入り口から通路を見る:壁を隔てて左側の部屋は出土遺物展示室、右側がSanta Maria Antiqua教会最初の綴れ折:右が上への坂道2つ目の綴れ折3つ目の綴れ折上空からのRampaの眺望:左上が展望台とパラティヌス丘の地面、右の奥まった建物がSanta Maria Antiqua教会展望台での西から北の眺望:左手前のギリシア十字型の屋根がOratorio di XL Martyres
壁沿いに溝が走って暗渠の中、すなわちトイレへと水を導く仕組みになっている遺物の現況:この箇所は、現状までに幾度か改修されている:以下の写真や復元図は、a cura di Patrizia Fortini, La rampa imperiale:scavi e restauri tra foro romano e palatino, Electa, 2015, p.91-99. 正面奥の平石2枚はトイレの足台:上部構造は残っていない。
これ以降、渡伊の折に毎回訪れているが、Santa Maria Antiquaともどもずっと公開されていた(但し、公開初年の2016年にはレザー光線での3D映像などあったが、それはない)。しかし2019年夏、入場券売り場でそれらの見学も可能のはずの「Pass Super」を購入したのだが、なぜかタッチの差で見学が叶わなかった。午後は駄目になったのであろうか。