「つつみ やすのり」と読む。私的には、ペルペトゥア関係で初めてその存在を知ったが、最近になってオリゲネスがらみの論考をお持ちになっていることにようやく気付いた。私が関連の論考を書いたときにフォローしてなくて、申し訳ないことです。以下、とりあえず知りえた論考を列挙しておくが、それ以外にフランス語からの神学関係の翻訳を5点はお持ちである。彼は、東京教育大学農学部をご卒業後、リヨン・カトリック大学で修士課程を修了されている。私より7歳年長のようである。論文は20世紀で打ち止めで、これまで2014年版のクセジュの共訳『イエス』が最後のお仕事のようだ。
- エウセビオス『教会史』にみるオリゲネスの教育活動の枠組とその視点. 上武大学論集. 1976. 8
- オリゲネスの『ケルソス駿論』(]G0004[).65から:歴史と自由の概念について. 上武大学論集. 1981. 12
- オリゲネス著『ケルソス駿論』(]G0008[).68とその背影について. 上武大学論集. 1982. 13
- アンティオキアのイグナチオ・その生涯と神学. 上武大学論集. 1983. 14
- ヒッポリュトスの『使徒的伝承』、その共同体構造と教育. 上武大学論集. 1984. 15
- エルサレムのキュリロスとその教育思想. 上武大学論集. 1985. 16
- エイレナイオスの「時」の概念. 上武大学論集. 1985. 17
- ヨハネス・クリュソストモスの教育思想. 上武大学論集. 1986. 19
- バシレイオスの「時」の概念. 上武大学経営情報学部論集. 1987. 3
- リョンの殉教者について. 上武大学論集. 1988. 23
- 婦人の身嗜み:服飾と美容について:テルトゥリアヌスの神学的人間学の一端. 上武大学商学部紀要. 1992. 4. 1. 21
- 二世紀初頭のキリスト教徒とプリニウス書簡. 上武大学商学部紀要. 1997. 8. 2. 85-118
- ペルペトゥアとフェリキタス:三世紀初頭,北アフリカの殉教者たち,上武大学商学部紀要, 1998. 10-1. 41-62.
【補記】私が大学に入った頃の「史学概論」では、先行研究の調査がたいへん重視されていて、そこで論及されていない論点を展開してこそ真の論文である、とされていた(と、私は認識していた)。しかしそれをやっていると実際には切りがないし(対象が欧米だと、数カ国語で毎年幾つか論文・著書が際限なく公表・出版され続けるし、19世紀以来の蓄積も半端ではない)、先行研究の細道を辿って迷路に行き詰まる閉塞感に捕らわれもする。今になって思い返すと、それだけ欧文の先行研究を熟読味読せよ、という意味だったのではないかと推察するが、その袋小路で戸惑ううちに、こりゃだめだと方向転換したのが、私の場合は史料精読主義だった。原典史料が何を中心に述べているのか、それが文書研究の基本のはずが、いつの間にか先行研究者が自分の関心で書き綴っている研究論文や著書の精読で精力を消耗してしまっている、これでいいはずはない、と考えての思い切りだった(実際には、もうひとつ、原典精読主義が言われていて、こっちの壁はギリシア語とラテン語だったし、これだと今度はいつになったら論文書けるのかが不安になるというわけ)。平たくいうと、原典を読んでそこでぶつかった課題に関して論じている先行研究をフォローしちゃえばいいのでは、というわけである。
さて、我が国で初期キリスト教を専門としている研究者はそう多くはない。であれば邦語文献は相互に味読されてしかるべきはずなのに、上記の堤氏のものにしても、少ない研究者間で相互検討されているようには思えない現実がある(具体的には註記で引用されることがあまりに少ない:これは既述の水川氏も同様である)。いわんや相互批判においては皆無に近い。これでいいのか。これは私にとって積年の疑問なんですよね。
【追記】彼が共訳したシャルル・ペロ『イエス』が届いたので、さっそくもう一人の共訳者支倉崇晴氏の「訳者あとがき」を読んだ。彼は私より10歳年上で、堤氏とは東京カトリック学生連盟(カト学連)で旧知だった由。堤氏は東京教育大のカトリック研究会でネラン神父が指導司祭だったらしい。こんなところで学連の先輩に出会うとは思わなかった。今年2月の日経新聞の「私の履歴書」で五百籏頭眞氏(私より4歳年上)が一言もそれに触れていなかったあとだったから、なおさらである。書く書かないは、そこでの経験の軽重認識の表れなのだろうか。
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