エウセビオスの叙述について、戦前に以下のものがある。私的には、エウセビオスに対し温かい視線で、中庸を保ち落ち着いた論調で読ませる内容、と感じている(但し、註記によるとNPNF版(1890)の英訳に依拠)。とまれ、これまでエウセビオス関係の個別論文で私が見つけえた我が国最古のものである(それ以前に『教会史』の翻訳、鑓田研一訳『ユウセビウス信仰史』前後篇[賀川豊彦監修『信仰古典叢書』]、警醒社書店、1925年、が出版されてはいるが)。
水川温二「教会史家ユウゼビウスの『コンスタンティヌス大帝伝』執筆の動機に就いて」京都帝國大學文学部西洋史研究室編『西洋史説苑:時野谷先生獻呈論文集』第1輯、目黒書店、1941年。
しかし、戦後の研究者で彼のこの文献を引用する人を私はこれまで知らない。後述の弓削氏も引いていないと記憶する。
ウェブで調べてみると、第八高等学校教授から名古屋大学文学部史学科教授になった人らしい(生没年不明:名古屋大学には彼の情報があるはずだ)。京都大学から1962年2月13日付けで学位が授与されている。ちなみに論題は『ローマの平和とキリスト教との接觸面に関する一考察』。知ることできた論文は以下で列挙しておくが、なんと『警友あいち』71号、1955年にも「イェズス・キリストの刑死」を書いていて(古書店から入手予定)、この表記の癖からひょっとしたらカトリック系だったのかもしれない(聖書の『共同訳』までカトリックは「イエズス」表記だった)。
「ユダス・マカベウスの叛乱」『史林』18-2、1933年
「セバステに於て殉教せる四十人の軍人に対する崇敬の歴史」『史林』23-1、1938年
「キリスト教迫害と父祖の道(MOS MAJORUM)」『名古屋大学文学部研究論集』2、1952年
「福音史家聖ルカの史観について:ユデア人の納税とイエズスの宗教運動」『名古屋大学文学部研究論集』5、1953
「ローマの支配を諷示する新約聖書の語について」『名古屋大学文学部研究論集』8、1954
「エフェゾ書に関する一考察」『名古屋大学文学部研究論集』14、1956
「小ブリニウスのビティニア総督としての使命について」『名古屋大学文学部研究論集』17、1957
「平和(PAX)と協調(CONCORDEA):キリスト教に於けるローマ的伝統に関する考察」『名古屋大学文学部十周年記念論集』1958年
このほかにも、子供向けの古代ギリシアの読み物もあるようだし、長谷川博隆氏が「カエサルの寛恕(clementia Caesaris)」『名古屋大学文学部研究論集』110、1991年、p.97で、「先師」と最大級?の敬意を表して、「ユリウス・カエサルの寛容とキケロ:ローマ帝政初期の仁政思想研究への序説」同『論集』32、 1964年;「カエサルの寛容とその帝国政策」同『論集』41、1966年、を引用されている。このように、きっと他にも業績があるに違いない。ご存知寄りの方からの情報がほしいところである。
この時期のキリスト教迫害史研究の第1世代には、近山金次(1907-1975:慶應義塾大出身)、半田元夫(1915-1977:東京帝大)、秀村欣二(1912-1997:東京帝大)らがいる。こうした先達・先師の諸業績、忘れないようにしたいものである。
エウセビオス研究については、彼の後は、25歳で以下を公表した弓削達(1924-2006:東京商科大)氏の破竹の独壇場となる。但し、『教会史』より『コンスタンティヌス大帝伝』のほうに重心がかかっていたが。
「ヘレニズム期アレクサンドリアにおける文獻考證學の性格について:基督教歴史學成立史研究の一部(その序)」『青山経済論集』1-1、1949年、pp.81-98.
参考までに付言しておく。その後以下が出るが、これでこのテーマは終わってしまい、続稿は出なかった。
「最近に於けるホメーロス研究の一傾向:『統一性の牧者』によるアレクサンドリア批判学者の断罪」『史学雑誌』60-7, 1951, pp.50-66.
【追補】ウェブで『名古屋大学文学部研究論集』の以下のリストを見つけた。http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/let/publications-contents/1951-2017_publications_contents.pdf
その44、1967年の巻頭に水川氏の「略歴・主要論文」がみえた。彼の退官がその前年だったのだろう。そして泰斗・長谷川氏の論考が見え始めるのは65、1975年からである。こうした一覧表を眺めていると、著名な研究者の意外な経歴とか、すでに鬼籍に入られた存じ上げのお名前が散見されて、意想外に懐かしく楽しい。そういえば、以下のようないい導きの本もあった。土肥恒之『西洋史学の先駆者たち』中公叢書、2012年。これには、明治から敗戦までの私関係の広島大学、上智大学関係者も登場していて、よくぞ言及して下さったとその目配りに敬服したものである。
【追記1】日本における初期キリスト教史は、キリスト教神学から派生してきたといっていい。その嚆矢は、波多野精一(1877-1950:京都帝大)で、その弟子に東京帝大史学科から哲学科に転じた石原謙(1882-1976)や、京都帝大での後継者に有賀鐵太郞(1899-1977:同志社大)もいた。その後、史学からの人材が出てくるわけであるが、上記以外にも、キリスト教信者ばかりの中で、浄土真宗僧侶という異色の井上智勇(1906-1984:京都帝大)にも『初期キリスト教とローマ帝国』(1973)がある(レベル的にはそう高くないが)。後期ローマ帝国史を切り拓いた長友栄三郎(1911-?:慶應義塾大)も忘れてはならない。その第2世代に前出の弓削の他、その友人のマルキスト土井正興(1924-1993:東京帝大)が、1966年に書いた『イエス・キリスト』も忘れがたい。そして新田一郎(1932-2007:熊本大・京大院)もいた。それにしても、新田氏の没年は南川高志教授に問い聞きしてのことで、長友氏同様、ウェブ検索でヒットしないという、お寒い現実もある。翻って、冒頭の翻訳者鑓田研一については、十分な情報が書き込まれていた。賀川豊彦に師事したせいかもしれない。ちなみに生没年は、1892-1969。
話は変わるが、最近女性研究者が増えたせいか、奥付著者紹介に生年が記載されないことが多くなっていて、研究世代確認には不便なことだ。出版社の自主規制と想像しているが、こういう誤った女権はやめてほしいと思う。
【追記2】『警友あいち』71号、1955年が届いた。それによると、その冒頭で水川温二は旧制高等学校の生徒だった時、キリスト教の洗礼を受けたと書いているが、それ以上のことは分からなかった。
【追記3】エウセビオス研究としては、迂闊にもこれまで射程に入ってこなかったものに、石本東生氏の以下がある。
「エウセビオスの『教会史』における自然環境」『奈良大地理』8, 2002, pp.1-11;「エウセビオスの『教会史』における宗教的環境とその特徴」『明治学院大学キリスト教研究所紀要』35, 2002, pp.123-185;「エウセビオスの『教会史』に見る歴史観と環境観:コンスタンティノス1世を通しての一考察」『國學院雑誌』103-4, 2002, pp.17-29;「«Ουράνιες δυνάμεις» και «Φώς» στα Τρία Τελευταία Βιβλία της Εκκλησιαστικής Ιστορίας τον Ευσεβίου Καισαρείας:エウセビオスの『教会史』における《天の諸力》と《光》の意味」『プロピレア』(日本ギリシア語ギリシア文学会:広島大学)15, 2003, pp.1-14;「ヨセフスとエウセビオスの環境観と歴史観の相違:『ユダヤ戦記』と『教会史』における一比較研究」『明治学院大学キリスト教研究所紀要』36, 2004, pp.75-144 . なお、同著者の以下は残念ながら未入手。「エウセビオスとフィロストルギオス:『教会史』における環境観の相違」『エーゲ海学会誌』15, 2001, pp.84-99. この一連の論文はおそらく後述の学位論文からの抜粋と思われる。『エウセビオス(カイザリア)の『教会史』(Ⅷ巻からⅩ巻)における自然・人間的・宗教的環境』(アテネ大学博士論文,ギリシャ語,単著)1999年11月。ちなみに2004年以降は観光学の分野に研究対象を移動されたようである。
ここで一言蕪辞を述べるとすれば、エウセビオスには『オノマスティコン』というパレスティナの地誌をまとめた一書がある。氏のような関心であれば、それを射程に入れて扱うのが常道と思われるのだが。【追記4】2019/11/05に、なんと水川氏のお孫さんの淳さんからメールをいただいた。それで以下、付加訂正しておく。まずお名前だが「みずかわ」と読む(以下、敬称略)。
温二は、岡山出身の水川復太の次男として、明治36年10月4日に生まれた。父・復太は、明治28年東京帝国大学法学部卒業生の一人で、「二八会」(https://ja.wikipedia.org/wiki/二八会)というその後の著名人が並ぶ同窓会の一員だったり、岡山県人会の学生会館である「精義塾(http://www.seigijuku.org/history.php)」の創始者でもあった。
温二は、前述のごとく学生時代にカトリックの洗礼を受けていて(奥さまも息子さんも洗礼を受けていた由)、昭和41年頃名古屋大学を退官、昭和43年10月19日に亡くなられ、名古屋市天白区八事の墓地に十字架が刻んである墓に眠っておられるとのこと。わざわざ情報をお寄せいただいたお孫さんの水川淳氏には、深く感謝したい。
戦前はもとより戦後の初期キリスト教史研究でもプロテスタント史家が主流であった中で、文面からそれとはひと味違うニュアンスを感じていた私の直感は、今回は当たっていたようだ。
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