2018年度オスティア・アンティカ遺跡グラフィッティ調査報告を公開しました。
投稿者: k.toyota
トイレ図版集
トイレ図版集(pdf)を公開しました。
日本西洋史学会発表レジメ再録:ペルペトゥアとフェリキタスの殉教者行伝:2001/5/16
【参考資料】Basilica Majorum出土の殉教者墓碑:http://i0.wp.com/archeologiechretienne.ive.org/wp-content/uploads/2018/03/Perpetue-et-Felicite-Carthage.jpg
2017年夏期調査報告(PDF)
2017年夏期調査報告(PDF)を公開しました。
2017年度報告書完成版(PDF)
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2018年夏期調査報告(PDF)
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第68回日本西洋史学会古代史部会発表原稿
第68回日本西洋史学会古代史部会発表原稿を公開しました。
下水構造考:トイレ噺(1)
老衰の母から、広島の実家の管理を任されて、賃貸2軒と自宅の3軒長屋の管理人となって、2,3か月に一回は帰省している。
とはいえ、偶発的な事故には対処できないので、地元の不動産会社に一般的な管理をお願いしているのだが、ちょうど帰省していたときに出会ったトラブルで学ぶことがあった。
それは真ん中の家で下水が風呂場であふれたので、下水の掃除をしなければならないという事案であった。その作業は、業者がやってきて掃除して簡単に終わったのであるが、私はその時初めて、台所や風呂場の家庭排水とトイレの汚物排水が同じ下水で流れているという、驚愕の事実を知ったのだった。
それまでは、汚物は別のルートで汚水槽につながっていて、そこで多少の処理がなされて街路地下の排水溝に行くものと思い込んでいたのだが、業者さんから、下水は家庭排水も汚物も同一の下水溝を通り、雨水は別ルートなのだ、ということを教えられたのであ〜る。
マンションや公共建築物なんかだと確か地下に下水を貯めての沈殿構造があって、年に何回か掃除もしているけど、一般住居ではどうも垂れ流しが一般的なようである。
ということで、私は古代ローマ遺跡での下水構造のお勉強もしてますけど、目の前にあっても地下に埋もれているとなにも見えていない、という話でした。
以下はつけたし。
そのあと、考えるでもなく思いついたのは、だったら風呂場で小便くらいしても結局は同じことじゃん、という禁じ手であった。むしろ西洋式水洗トイレで流す水の節約と、トイレットペーパーの節約、下水の詰まり問題解消、という視点からは、・・・よきことかもしれない、という結論になるのであ〜る。
まあ、幼児が風呂で気持ちよくなってとか、小学生が学校のプールでトイレに行くのが面倒で、といった話はなんとなく知っていた私ではあったが(チコちゃんもそういってたよな)。オリンピック選手もご同様とのこと。
それでなくとも、冬なんか湯船につかって温まっても洗い場に出ると寒いわけで、小をもよおすのは理解できる。
数日前、メールで送られてきたウェブ・ニュースに「シャワー時に小便する人が〇〇%」という記事が出ていて、あれれ、と。「朝シャン」ならぬ「シャワ・ション」かあ。
試しにググってみたら、この話題は早くも(?)2007/12/6に「YAHOO!知恵袋」に出てまして。次は2011年、そして2013年。このあたりまでは否定的な見解が多いです。2017年から肯定派が多くなってるような。
そして今年になると大流行。ま、例のごとく最近は過激な書き込みだらけのようで(俺は大もやってる、とか)。こうなるとまったく信用できませんが。
【参考文献】有田正光・石村多門『ウンコに学べ!』ちくま新書、 2001年。
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奇蹟譚発生を考える:モーゼの奇蹟:飛耳長目(2)
偶然見たケーブルテレビで、旧約聖書に書かれているモーゼの「10の災い」は火山の噴火がもたらした異常気象が原因だという話をやっていた。
その可能性はあるかもと思ったが、もひとつ、出エジプトの際の「海が分かれた」という件が、サントリーニ島の大噴火で、一時的に地中海の海水が地下空洞に吸い込まれ、海水が引いたその時のことだ、というのもやっていて、こうなるとこりゃちょっと眉唾だわ、と。
でもそれで思いついたのは、津波だったらありかも、と。南アメリカでの地震の影響で日本にも影響あるようだから、ユーラシア大陸西端のどこかで大地震が起こって、そのため急に海水が後退し海底が露出、その後にどっと津波が来ることはありえるわけで。もちろんモーゼご一行様の移動経路は紅海ではなくて、地中海の海岸沿いをシナイ半島に向かっていたときの葦の原(マンザラ湖やバルダウィール湖)でのことだったようですし。
ま、それがヘブライ人たちの「出エジプト」のときにちょうど起こったというのは、どう考えてもできすぎの話ではあるが、あのころこんな意表外のことあったよね、というレベルで人びとに記憶されていたものが、後世になって「あの時」それが起こった、という奇蹟譚に造られた可能性は十分あるかも、と。
そもそもカエサル『ガリア戦記』で、ローマ兵は大西洋で潮の満ち引き現象に初めて出会って驚いた、ということは、地中海世界では干満は目立たなかった、ということらしいし。
地震にせよ火山噴火にせよ、直撃受けていない遠距離の人びとにとっては、その結果としての天変地異や天災は「神の懲罰」としてしか理解できなかったのは当たり前だったろうし。
新約聖書の福音書に書かれているイエス誕生時の、星の移動に導かれた東方3博士の件も同様で、しかもそれは当時のローマ皇帝アウグストゥスの登場を言祝ぐ吉兆として、前12年のハレー彗星が同定されていたりしているのも、事後予言として「あのころ、こんなことありました」という一般論が、「あの時」と短絡的にイエスやアウグストゥスに結びつけられた、と考えればいいだけのことのような気がする。民族の記憶とはこういうもののような気がする。
こういう問題は史実としてあった、と居丈高になる必要はないと、私は考えたい。
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