昔も読んだはずだったが忘れ果てていて、最近また読み直していてこんな文章に出会った。
「私が学部生だった頃、歴史学の教授たちは、客観的な歴史は存在しない、と教えた。フォン・ランケ(Von Ranke)は死んだ。ランケの研究法もまた過去のものとなった。「起こった事をその通りに」見出す方法はない。歴史家たちは彼等自身の目的のために、彼等自身の偏見と立場から記述した。客観性を装っている者によって騙されるよりも、臆面もなく偏向している歴史家を読む方がましである、と教授たちはいった。」(モーリーン・A.ティリー「第39章 ペルペトゥアとフェリシティの受難」『聖典の探索へ:フェミニスト聖書注解』日本キリスト教団出版局、2002[原著1994]、p.621)。
これでようやく納得したことがある。フェミニズムないしジェンダー史学華やかりし頃、学位を取って売り出し中のアメリカ系女性研究者たちの、私見ではやたら主観に走った論述に辟易した記憶があったからだが、彼女らの理解だとアメリカでは当時「臆面もなく偏向」した歴史が推奨されていたらしいことがようやくわかり、腑に落ちるものがあったからである(誤解なきよう付言しておく。これはティリー女史をあげつらってのことではない。私は彼女の論文を若干読んでいて、かねてその視角や論点に親近感をもっていた[もちろん批判点もあるが]。今回ウェブ検索し直してみると、彼女は1948年生まれで私より1歳若く、そして2016年4月に脾臓ガンですでに死亡していた。合掌)。
2013年のTV出演時
確かに人は「真実」(truth)を追求しがちである。「真実」とは、「事実」(fact)に直観による信念を加えたものである。究極的な「事実」は一つでも、「真実」は主観的で人の数だけある。なるほど世間にはもっともらしく「客観性を装っている」研究があふれていることも確かである。しかしだからといって私は「事実」追求の矛先を緩めていいとは思わない。いわんや「臆面もなく偏向」していていいわけはない、はずである。それはむしろ歴史小説のジャンルだろう。しかし、歴史研究者にはほとんどの場合、歴史小説を書く文才はない。
ただ客観的「事実」といえども唯一ではない。たとえばA地点で武力衝突が生じても、2、3ブロック離れたB地点は平穏そのものであれば、事件の評価にA地点とB地点の証言で温度差が生じるのは当たり前で、だが史料的にBしか残っていない場合、それが客観的「事実」になっていいはずはないからである。「事実」の認定には諸状況を勘案しての史料批判が必要で、しかしその検証を経たところで絶対的に正しい「事実」と断定できるわけでもない、と歯切れは悪くとも相対的位置づけに留めることは重要であろう。その意味ではじめて、たとえ真摯な研究者の立論といえども「独断と偏見」にすぎない、といえるのである。
【追伸】後付けではなく、歴史の瞬間瞬間には別の選択の可能性があったということを日本現代史で追体験したい向きは、以下をご一読されることをお勧めする(なに、私も教えてもらったのだが)。半藤一利他『大人のための昭和史入門』文春新書、2015年。こういった検証は現代史だから可能だと思わざるをえないが(しかし多くの人はすでにその可能性の存在を忘却している)、平行史料が消え去ってしまった古代史の場合、その存在を意図的に視野に入れて残存史料を相対化することが必要と考える。だが、どれほどの研究者がそれを行っているか、はなはだ疑問である。
【追記】こういう視点もおもしろい、というか本音だろう。「歴史」はどこまで遡るべきか
(2020年01月15日): http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52265903.html
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