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Web@岩波「たねをまく」

 私は岩波の書店広報月刊誌『図書』を定期購読しているのだが(大昔になるが最初は購入費を払っていたが、いつの間にか有り難いことに無料で送られて来るようになった:東大出版会の『UP』も同様である)、2025年1月号は私にとって読み応えある内容だった。表紙や志村ふくみの巻頭言から座談会、モチの話、そして算術九九の話まで、なぜか私の関心に接触する話題が連続したので、いつものように気になったページを切り取ることは諦めて冊子のまま保存する気にさせられたのはこれが初めてではなかろうか(追記すると吉川弘文館から、長井謙治『石器づくりで何がわかるか』の出版予定も知った)。

 そして座談会「<歴史の面白さ>を伝える:歴史小説家と歴史研究者の対話」がいささか尻切れトンボで終わった末尾に、掲載できなかった増補をウェブマガジン「たねをまく」にアップする旨書かれてあったので、さっそくググって行ってみたが、座談会はまだ掲載されていなかった(私が注目していたモチと九九はあったのでさっそくEvernoteにコピーした)。ところで、このウェブマガジンはどうやら2018年から岩波書店関係の雑誌の一部記事をウェブにアップしていたものだが、私は大変遅ればせながら、今回やっとその存在を知った次第。

 これでようやく冊子から切り取るというアナログ的なレベルからデジタル時代にふさわしい状況に脱却できたわけであるが、さてさてどうだろう。

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みっけ『陸軍と厠』

 偶然新刊が出るのをみつけた。予約していたら今日届いた。

 藤田昌雄『陸軍と厠:戦場の用足しシステム』潮書房光人新社、定価1080円

 私的には、古代ローマ軍の厠事情の前哨戦といった感じ。まだ冒頭部分しか読んでいないが、そこに書かれているのは私の子供時代のトイレ体験の世界だった。そのシステムは古代ローマと大差ないのではないか。

 しかしふと思った。私の家ではいつからどぼーん式の便所が水洗になったのか、と。やたらどうでもいいことをよく覚えている妻に確かめてみたら、結婚して我が家に来たときはもう水洗だったそうな(1973年)。ただし、床の間付きの八畳の座敷の裏(床の間の後に位置)に使ってないドボーン式が残っていたと(・・・ 私にはなぜか父がやった一部改築後の台所から風呂場・トイレがどうだったか記憶になくて、そのくせ、それ以前の古い台所、物置になっていた部屋を通ってその先にあった風呂場の記憶はあるのが不思議)。彼女の実家では、吉島のときはさすがにドボーンだったが、小学4年で白島に移ったときは水洗だったと(1957年頃)。

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大河「べらぼう」によせて:日本近世識字率考

 新年になってNHKの大河ドラマ「べらぼう」が始まった。これは蔦重こと江戸のメディア王・蔦屋重三郎を主人公にした物語である。彼は江戸時代中期に版元として48年の生涯を駆け抜けた。ざっくり言って文字主体の黄表紙と浮世絵を合体させた新機軸と、あと作者や絵師の才能を見出す眼力があったことが成功の秘密だったようだ。

すみません、YouTubeでみつけたけど、典拠失念

 一説によると蕎麦が16文、浮世絵が30文の時代に書籍は300文かかった。蕎麦を500円とすると、浮世絵は1000円でまあ庶民でも買えたが、書籍はたいしたものでなくても1万円とやたら高額だった。だから庶民にはおいそれと手が出なかったので、貸本屋が流行る背景となったわけだ、と別のYouTuberがしゃべってた。

 そこで気になるのは、当時の識字率の問題である。花魁や女郎風情が文字そんなに読めたのか、というわけである。そんなときメールでQuoraダイジェストの「なぜ、日本は江戸時代の識字率が世界一だったのでしょうか?」が勝手に送られてきた。それへの回答がなんと「それは広範囲に流布されている真っ赤な嘘です」(増田洋:https://jp.quora.com/profile/%E5%A2%97%E7%94%B0-%E6%B4%8B)。以下、次のように続く。「イギリス人ロナルド・ドーアが70年代に試算した50-60%という数値が一人歩きしていますが、後にドーア自身がその数値を撤回しています。」

 このドーアの本とは、R.P.ドーア(松居弘道訳)『江戸時代の教育』岩波書店、 1970/10(原著1965年)のことで、そこでは江戸末期の識字率男性43%、女性15%とされているが、その数字は本論においてではなく「付録」でたかだか6ページほど「江戸末期の就学率」を論じた箇所でのものであり、決して識字率を論じたものではなかったのに、なぜかそこだけ曲解引用され広まってしまったらしい。それについて、リチャード・ルビンジャーは、(川村肇訳)『日本人のリテラシー : 1600-1900年』柏書房、2008、p.201で、ドーアは1972-3年の論文で再検討して撤回していると指摘しているらしい。なのに一般読者の間では1970年当時の誤てる情報が未だ大手を振って一人歩きし続けているわけである。【そもそもこの課題について外国人の研究に依拠しちゃってるのは、ちと解せないのだが】

 そもそも識字率といっても様々なレベルがある。それが自分の名前を書けるレベル、簡単な日常会話レベルの文章を読み書きできる程度(≒今にたとえてみると小学生)、ある程度難解な用語を持つ文章(新聞や小説)が読めるのか(≒今の中学生)、哲学や宗教用語など専門用語がとりあえる読めるレベル(≒高校生以上)、などなど。

 それに地域差や社会層でも違ってくる。江戸や大阪、京都などの大都会は町人においてもむしろ例外とせねばならないだろうし、圧倒的に文盲が多かったと予想される農村においても庄屋筋や僧侶は読み書きできなきゃ仕事にならなかっただろう(皆が皆というわけではないにしろ)。農民の子どもたちも、農閑期での「手習い所」(いわゆる寺子屋)で男女ともに僅かながらでも就学体験する道は開かれていたらしい。おそらく現在の小学校低学年レベル止まりだったにしてもだ。だが家の経済状態劣悪な水呑や潰れではそれすら無理だったのは容易に想像できる。

 いずれにせよ、商人・職人にしろ下働きではなく番頭や親方に社会的上昇するためにはそれなりの文字の読み書きとソロバンは必須であった。当時官僚化していた武士の身分保障がそこにあったのは言うまでもない【ところで、アラビア数字が未着のこの時代、加減乗除の計算に必要不可欠のソロバンの威力については、一考に値する;関連でなんと以下のような情報も:「藤原京跡で出土の木簡 「九九」の一覧表の一部か」 2024年09月04日(https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20240904/2000087345.html)】

 識字率関係について、意外に詳しく触れてくれているのが、アマゾン・コム/ジャパンで上記ルビンジャーのカスタマーレビューを書いている「solaris1」氏で(https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R39XVMNLJ5ZZ2Q/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4760133909)、全体を簡単に俯瞰するには、一読に値する。是非お読みいただきたい。

 ところで、現代の中学生や高校生、大学生の日本語読解力が著しく落ちている現状がある。識字率高いと喜んでいる場合ではない。たとえ読めても必ずしも理解できてない、識字率の空洞化だ。 2019/12/4「日本の高校生の読解力が4位から15位に急落」(https://www.sokunousokudoku.net/media/?p=2411);2024/8/12「日本の子どもの読解力が低下!?」(https://robo-done.com/blog/2024/08/honbu_reading-comprehension/)。
 悲観的な観測の一方で、こんな情報もある。本当だと新事態のだが、さて・・・。2023/12/6「日本の15歳の読解力回復、世界3位に」(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE221MU0S3A121C2000000/




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NHK総合ドラマ10「東京サラダボール」を見ている

 2025/1/7(火)午後10時から45分間(BSP4K 毎週火曜 午後6:15〜7:00;[再放送] 総合 毎週金曜 午前0:35〜1:20 ※木曜深夜)が始まった。何回放映予定なのか私は知らないが、在留外国人、とりわけ発展途上国の人たちを扱っているドラマである。ここでも原作は、黒丸 「東京サラダボウル:国際捜査事件簿」。もは最先端を走っているのは漫画なのである。

 NHKの紹介では、以下のようになっている。

「“一つの言葉”への理解が、“誰かの人生”への理解に繋がれるかもしれない…。 昨今メディアに躍る“外国人犯罪・外国人事件”という言葉。犯罪が起きる事実はあっても、言葉が独り歩きすることで一部に偏見や差別を生んでいます。

これは「事件」と一括りにせず、外国人居住者の方たちの暮らしや人生に光を当て、そこに向き合う刑事と通訳人の目線で、異国で生きる葛藤に出会っていく物語です。

ますます未来は多文化が共存する“サラダボウル”になっていく日本。

次々登場する国際色豊かな“食”と共に、知られざる人生との出会いをどうぞお楽しみください!」

 昨日の第二回は、通訳の誤訳の問題が取り上げられていて、これは他人事ではないなと身に浸みた。そこでの話は、いわゆる現在流行語、俗語の誤訳であったが、こんなのが欧米の学術論文や研究書に出てきたら、私などもうお手上げである。我が日本語でも最近の若者言葉(カタカナの短縮形)なんか、ついていけない現状もある。

 途上国からの留学とか不法滞在とか、こんな円安では早晩続かないだろうと思いつつ、もう終了していたかの漫画のデジタル版を一括購入して一気読みしてみた。話題の展開からしてまだまだ続編の可能性ありかも、いや続いてほしいとねがいつつ。だけど紙媒体でないので、孫娘の目に触れさせれないのがなんとなく残念だなあ、しかしこのデジタル時代、あの世代にとって紙媒体でおいといても関心持たないのだろうしなと思い至る。

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最近のクリスチャン・トゥデイ情報

▼「摂理」教祖の鄭明析氏、懲役17年確定 女性信者らに性的暴行やわいせ
つ行為
https://b.bme.jp/17/846/2315/4844

▼「世界迫害指数2025」発表 12カ国を「レッドゾーン」に指定
https://b.bme.jp/17/846/2316/4844

▼ 今、旧統一教会を知るための3冊 溝田悟士
https://b.bme.jp/17/846/2317/4844

▼ 神がいるのになぜ? キリスト教弁証学からの「悪の問題」
https://b.bme.jp/17/846/2318/4844
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一国の衰退を考える

 昨日、1ユーロ164円、とテレビニュースでアナウンサーが淡々としゃべっていた。いつの間にこんなことになってしまったのか、それでなくとも数字=経済オンチの私には理解不能だ。

 かつての高度経済成長といった右肩上がりの分析はある意味簡単である。そんな中でもし、政治家が裏金献金を受けても経済が豊かなら不満は出にくいという面がある。田中角栄など「今太閤」と称揚されもした。

 ところが衰退期の特徴である経済不振下では、民衆の目は金にまつわる為政者に厳しくなり、何をしたところで不信感は抜きがたい。なにせ庶民は困窮しているから、金問題はその最たるものとなる。その一方で、庶民大衆が不都合な数字を見ないことにしている間に、気がついたら奈落の底に沈んでいたとなりがちで、昨今の日本の経済不振などをみれば、もろそんな感じである。東南アジア諸国の躍進には目を見張るものがある由だが、そんな事知らずに未だ2,30年前の幻を引きずっている者が大半なように思ってしまう。私もそうだ。

 庶民感覚というのは妙なもので、観念的によき古き過去の夢から脱却できないくせに、現実の不況感には敏感で、徐々にそれが鬱積し極端なベクトルに向かう動機となったするのもそのせいだろう。まあ自分がかわいいということなのだが。

 昨年は国際的に選挙の年だった。あれこれの選挙結果を見ていると、極右政党への投票率行動がめだって、まあ良識派と思われている(実態はイメージ的な幻想にすぎないが)政党や政権が軒並み危うくなったようだ。それは世情の不安をいや増しにせざるを得ないだろう。

 こうなると、怒りのもって行き場のない大衆は、批判票のつもりでますます極端な投票行為に向かうことになり、あちこちに不穏な空気が充満していく。そしてヒットラー程度のアジテータが登場し、大衆の不満のツボを押さえて煽り立てる。その挙げ句が苛酷な戦争と悲惨な敗戦で、戦後に大衆は総懺悔して、戦後復興に向かう。この自縄自縛のプロセスに断絶はない。永遠に続いていく運動体なのである。

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知人の新刊本紹介します

 今年の年賀メールのやり取りの中で、大変嬉しい報告があった。古代オリエントで卒論を書いた私のゼミ出身で、専門の先生がいる中央大学大学院に進学し、ドイツ留学も果たした青島忠一朗君がアッカド語文法の本を出版したのである。

『アッカド語文法』LITHON、2024/12/16発売予定、定価4400円

 出版社が大手でないせいか、まだアマゾン・コム/ジャパンに出ていない。こんな事情からも明らかなように、容易に想像していただけるだろうが、自ら選んだとはいえ、苦難の道である。

 彼は共訳者として、以下を出している。グウェンドリン・レイク著『古代オリエント人名事典』柊風舎 、2022年、定価13200円

 同様に大学院で私の院ゼミに参加していた高久充君が最近出版したのが以下である。

 『ローマの教会巡礼ガイド』サンパウロ、2024/12、定価3080円

 聖年を狙って出版社が出してくれたらしいが、これも未だアマゾンに掲載されていない。彼には同じ出版社から姉妹本として以下もある。

 こちらは2020年発売なので、アマゾンにも掲載されている。ちなみに定価2310円。

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2025年謹賀新年

明けましておめでとうございます。

旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。

 ところで、ローマカトリック教会では、今年は25年ごとの「聖年」(ラテン語:Jobeleus;英語:Holy Year, Jubilee Year)にあたります。教皇は今回のテーマを「希望」(ラテン語:spes)としました。この期間にローマの主要教会を巡礼すると、罪に付帯する罰が軽減される「免償」indulgentia(「贖宥」ともいい、いわゆる悪名高い「免罪符」)がいただけることになってます。私は2000年の「大聖年」にローマに行きましたが、それから四半世紀経過し、またまた数々の罪科を背負っているはずですので、是非今回も巡礼しなくっちゃと思ってます (^^ゞ(誤解されないように書きますが、ローマだけでなく、各国内で身近な巡礼指定教会・聖堂も定められています:https://www.cbcj.catholic.jp/2024/12/17/31097/)。

 というわけで、すでにローマ市内ではそれ関連の落書きが出ているようで、年末に某神父からフェイスブックで添付写真が送られてきました。作者はひょっとしたら、イギリス人路上芸術家のバンクシーかもしれません。

 市内バスの停留所案内板をもじったもので、始発駅から終点までが書かれてます。バス待ちして腕時計を見ているのはミケランジェロ・デザインのヴァティカン・スイス衛兵。

 ちなみに、停留所名は以下のごとし(目の悪い私には読み取れなかったので、知人に解読してもらいました):Speranza(希望), Fraternita`(友愛), Empatia(共感), Rispetto(敬意), Eguaglianza(平等), Perdono(ゆるし),Tolleranza(寛容さ), Compassione(同情), Amore(愛), Misericordia(慈悲), Pace(平和)

 いずれも昨今の国際社会では死語になってしまった言葉ばかりですね。であれば、バスがこの停留所に着くのがいつになることやら。ウ〜ン、来そうにないや、ショーペロかい。

 ともかく平和な一年でありますように、祈りたいものです。

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「ドキュメント72時間年末スペシャル2024」を、全部見てしまった (^^ゞ

 とうとう全部見てしまった (^^ゞ。延々6時間超! なにしろ普段表舞台に立つこともなく目に触れることのない(だから裏方ともいえる)常民・庶民の生活実感をそこからうかがい知ることができるのが魅力なのだが、そこで力量が遺憾なく試されているのが、撮った映像と音声の編集能力であろう。

 それはともかく、英雄や著名人ばかりがご登場の大河ドラマでは触れられることのない次元を是非とも追体験してほしい、などと私が言う必要もないだろう。 見逃した人は「NHKプラス」で1週間見逃し配信でみることできる。

 今回初めて私は主題歌・エンディングの2番をじっくり聞くことができた。そしてその最後の文言に強くひかれた。

 「とてもはかないものだから 大切にして 一瞬しかない 一瞬しか〜ない」https://www.uta-net.com/movie/47983/

 庶民の自営業は経営者が年老いると消えていく、のである。そこに通った庶民も消えてゆく。

 さて、明日からまじめにお勉強しなきゃ。

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中国の「家の教会」情報

クリスチャン・トゥデイ情報:2024/12/16

「中国、家の教会に「詐欺」のレッテル貼り迫害:弁護士や教会指導者らが共同で非難声明」(https://www.christiantoday.co.jp/articles/34300/20241216/ccp-targets-house-churches-by-fraud-label.htm

 以下関連記事:

■ 中国の宗教人口
プロテスタント 6・4%
カトリック 1・6%
無宗教 44・4%
儒教 28・5%
仏教 12・5%
イスラム 1・9%

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