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お年玉郵便切手のこと

 リタイアして当方から送らないようになって数年経つ。その代わりメールだったら返事出しますから賀状にアドレス書いてと数年言ってきたが、そうしてくれる人はほとんどいないから、私の方から受領メールも出ないわけである。

 そんな中、今年は妻のも含めて届いた賀状は40あまり。期待もしていなかったのでお年玉のチェックもしなかったが、一昨日ようやく見てみたら、なんと4つほど記念切手があたっていた。こんな豊作は数の多かった昔でもなかなかなかったような気がする。

 これまでずっと収集してきているので、昨日さっそく郵便局に行ってきて受領したが、こんな僥倖は二度とない気がする。来年あたりでゼロになりそうな予感がしてならない。しかし折角のお年玉切手だが、孫には切手収集の趣味はないので、さてどういう運命をたどるのだろうか。

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Quoraで「なぜ池上彰さんはネットで叩かれるのか」を読んで

私のメールソフトに表題の疑問が飛び込んできた。私もなんでかなと思っていたので、開いてみた。

「 (前略)

。。たまたま私の専門分野が絡む話でした。

判別材料となる情報をきちんと持っていらっしゃらず、完全に的外れな解釈で、どの学者も言わないような、事実とは異なることを話していて、私は唖然としました。

それ以来、 彼の話を聞くときに感じる違和感は、そういうことなんだなぁ。と気づきました。真実の一部や自己体験を交えながら、日本人が聞いたら信じるような、それっぽく聞こえるように話をしているだけと気づきました。

彼は自分の専門だけに絞って話した方が良いと思います。

(後略) 」

 この回答がいつも正鵠を射ているとは思わないが、テレビに毎日のように出演しているコメンテータの輩たちがあらゆる分野を熟知しているといわんばかりに、駄弁を弄している状況をおかしいなと思っているのと一緒なのかもしれない。

 だから解答者の「自分の専門だけに絞って話すべき」という指摘はよくわかる。

 しかしいわゆる「専門分野」の常識がいつも正しいとは限らないので、実際話は簡単ではないのである。人の生死を分かつはずの原子力村の常識が「想定外」という一言で全然ずれていた事例や、輪島付近が地震多発地帯から外されていたという事例からも明らかだろう(私は、人口密集地を相手にしたほうが予算獲得に有利という現実判断から、過疎地ゆえに研究者たちの視野から消えていたせいでは、と密かに思っているが、この「素人談議」は熊本地震の場合に、果たして適合しているのだろうか、自分ながら確信はない)。いわば、意図したないし意図せぬ誤報・偽報が当然のように蔓延するのが常態の、SNSレベルでいつも問題となる庶民感覚に訴える手法の問題点は確かにあるが、時に素人談議が核心を突いていて、パンドラの箱の蓋を開ける場合もないわけではないのが、問題をややこしくしている。

 私など「専門分野」の常識を疑うのが習いとなっている者にとって、事実と思われる核心を突いた発言・着眼点は大切にしたいのだが、いわゆる学界人の常識・偏狭さには辟易しつつ、彼らから見たらきっと私のほうが偏屈なのであろう。最近以下を読んで改めて思い知らされた。

 山田望「ペラギウス派と古代東方神学:具体的自由のとしての思想」『福音宣教』79−1、2(2025年1月号:pp.55-61、2月号:pp.55-61)。

 この連載、22回を予定しているそうだ。彼がそれを全うできることを祈らざるをえない。もう30年近く昔の1997年発行の彼の主著を読書会でテキストにできないかと、発売元の教文館に在庫を尋ねたら、なんと50冊は残っているとの返答があって、売れていない(そしておそらく図書館所蔵でも読まれていない)という現実と、未だ読書会でテキストにできるという僥倖の狭間で、私は微妙な心境であった。

 研究がAI的なレベルでいいのか、という解決されざる疑問をこれからもしばらく自問してゆかねばならない。いや、紙媒体の限界を破りたいとこのブログに時間を割いて書いているわけなのだが、はたしてその効果はあるのだろうか。紙媒体が後世に残る確率は確かに高い(たとえ読まれなくとも)。その点ブログの消滅は一瞬である。その危うさはやはり問題である。

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最近の考古学的発見

◎ イタリア・サレルノの工事現場から前20世紀のヴェスビオ噴火の際の人や獣の足跡発見 2025/1/28 https://www.artnews.com/art-news/news/bronze-age-footprints-vesuvius-discovered-italy-1234730934/

◎ 古代ローマの超精巧なミニ南京錠、ドイツで出土 2025/1/30:https://www.livescience.com/archaeology/romans/1-600-year-old-roman-padlock-with-spring-mechanism-discovered-in-germany-and-its-tiny

◎ ロンドンの事務所地下からローマ時代最初のバシリカ出土 2025/2/15:https://www.thehistoryblog.com/archives/72433

◎ 後4世紀の金糸と紫糸の織物が、2020年フランスのオータンの初期キリスト教会墓地から出土。2025/2/13:https://www.thehistoryblog.com/archives/72416

◎ フランス・オルレアン出土の呪詛板  2025/1/15:https://www.livescience.com/archaeology/curse-tablet-found-in-roman-era-grave-in-france-targets-enemies-by-invoking-mars-the-god-of-war

◎ 時代は違えどトイレ話二点

 (1) 中世の「呪詛板」がドイツのトイレの底から発見  2023/12/16:https://www.livescience.com/archaeology/medieval-curse-tablet-summoning-the-devil-discovered-at-the-bottom-of-a-latrine-in-germany

 (2) 7ー10世紀の朝鮮新羅の皇太子専用の水洗トイレ 2025/2/14:https://www.thehistoryblog.com/archives/72427

  付録:慶州東宮跡地遺跡出土のトイレ 2017/09/26:https://japan.hani.co.kr/arti/culture/28573.html

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AI事始め

 孫娘に教えてもらってちょっとだけAIで遊んでみた。使用ソフトはChatGPTの無料版。その中で、結局私がこれまで多用してきたGoogle検索とどう違うのかと問うてみたら、以下の返事が返ってきた。

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Google検索とAIの違いを簡単に説明すると、以下のようになります。

1. 基本的な違い

  • Google検索:インターネット上のウェブページを検索し、キーワードに関連する情報を一覧で表示する。
  • AI(人工知能):学習したデータやアルゴリズムを活用し、検索結果の要約や推論、対話などを行う。

2. 情報の取得方法

  • Google検索:ウェブ上のページをクロールしてインデックス化し、ユーザーの検索クエリに応じたページを提示する。
  • AI:事前に学習したデータやリアルタイムの検索結果をもとに、より直接的な回答や要約を提供する。

3. 情報の処理方法

  • Google検索:検索キーワードに一致するページのリストを提供し、ユーザーがリンクをクリックして情報を探す。
  • AI:ユーザーの意図を理解し、検索結果を整理・要約したり、直接答えたりする。

4. インタラクションの違い

  • Google検索:ユーザーがキーワードを入力し、関連するリンクを選んで情報を収集する。
  • AI:対話型で質問に答えたり、追加の質問に対応したりできる。

5. 例え話で説明

  • Google検索:「図書館の司書」 → ユーザーが探している本のリストを教えてくれる。
  • AI:「家庭教師」 → ユーザーが求める答えを直接説明し、追加の質問にも対応する。

結論

Google検索は膨大な情報から関連するページを見つけるツールであり、AIはその情報を処理・解釈し、より具体的で対話的な形で提供するツールです。

4o

あなた:

Google検索とAIとの違い

ChatGPT:

Google検索とAIの違いをポイントごとに比較すると、以下のようになります。

1. 機能の違い

  • Google検索:キーワードに関連するウェブページをリストとして提供する。
  • AI:質問の意図を理解し、直接回答したり要約したりする。

2. 情報の取得方法

  • Google検索:ウェブサイトをクロールし、インデックス化したデータをもとに検索結果を表示する。
  • AI:学習データやリアルタイムの情報をもとに、検索結果を整理・要約し、会話形式で提供する。

3. 情報の処理方法

  • Google検索:単純なキーワードマッチングが主で、ユーザーが複数のサイトを閲覧して情報を探す必要がある。
  • AI:質問の意味を理解し、最適な答えを生成して提供する。

4. インタラクションの違い

  • Google検索:リンクをクリックして自分で調べる必要がある。
  • AI:直接答えを提供し、追加の質問にも対応できる。

5. 例え話

  • Google検索:図書館の司書(関連する本のリストを教えてくれる)
  • AI:家庭教師(必要な情報をわかりやすく説明してくれる)

結論

Google検索は「情報を探す」ためのツールであり、AIは「情報を整理して答える」ツールです。

************

 研究の道具としてはGoogle検索だろうが、AIはレポート原稿的なものとなりやすいので、今の先生たちはレポートを採点する場合たいへんだなあと思う。孫娘は、時々間違っていたりするのでチェックが必要、また教師は丸々のコピペはダメ、チェック手段があると警告しているが、裏技はある、などと言っていた。

 ま、それはともかく、AIは平均的な説明レベルで、新機軸は出にくいようで、それが斬新な研究には不向きで、それがネックとなるような気がする。

 私に身近な自分関係について求めてみたら(例えば研究論文とか)、AIでの情報提示では量的に少なく、網羅的チェックにはGoogle検索だな、という認識を得た。

 しかし油断できないのは、私がもっているもう一つの影のブログを、AIはあっけらかんと喝破していたことで、不意を突かれてちょっとびっくり。まあそれは初期の新ブログのデータが生きていたせいであるが・・・

 ところでこういうソフトの上級では課金が要求される。それでそれが外国製のソフトだったら外国への継続的支出が膨大になりかねないわけだ。自国のソフト開発の劣化が経済的にこたえてくるわけである。

 

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「化石ハンター・スーの冒険」をまた見てしまった

 今朝起きてテレビをつけたら、どこかで見たことある女性が画面に出ていた。画面の右端に「BSカルチャードキュメント地球に好奇心:巨大恐竜の化石をさがせ:化石ハンター スーの冒険」と長ったらしく書いてあった(https://wired.jp/2014/12/23/dinosaur-13-clip/)。BSP4Kでの放映。

左:発見者スーザン・ヘンドリクソンと件の化石   右:発掘者P.ラーソン

 私は本でこのエピソードを読んでいた(P.ラーソン/K.ドナン著・池田比佐子訳『SUE スー:史上最大のティラノサウルス発掘』朝日新聞社、2005年)。この本を読んだのがどういう動機だったのか、忘れてしまったが、ひょっとしたらこのドキュメントを昔見たからだったかもしれない。たぶんそうだ。でも内容のダイナミックさに惹かれてとうとう全部みてしまった。

 6500万年前の史上最大のティラノサウルスの偶然の全身化石の発見、地元業者が発掘、地主勝利の裁判決着、そしてサザビー・オークションでの落札風景、シカゴの博物館に所蔵されるに至る波瀾万丈の内容が1時間40分間とコンパクトに動画でまとめられたもので、1998年に放映されたみたいな表示が(ただ他のデータによると、ドキュメント映画は2014年にアメリカのCNNで放映された、とあって、私にはよくわからない:映画と動画は別物だったのかも)。

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NHK総合「フロンティア:モアイの真実」を見た

 この初回放映はたぶん2012年。今回初めて見たがなかなかの出来だった。

 私は大昔に、ヘルムート・トリブッチの『蜃気楼文明:ピラミッド、ナスカ、ストーンヘンジ』工作舎、1989年(原著:Helmut Tributsh, Das Rätsel der Götte, Ullstein Verlag, 1983)、を大きな驚きで読んだ記憶がある。あまりの衝撃に大学教養課程の西洋古代史の授業の推薦本にしたほどだ。ひとつひとつの事例の正否は横に置いておいて、彼の桁外れの着想力に心底びっくりしたのである。細かい内容はもう忘れてしまったが、その中にブリテン島に先行的に巨石文明が存在していたというちゃぶ台返しがあったことだけは強く印象付けられて、今でも覚えている(2019年3月23日にトリブッチがらみで関連ブログ)。

 今回テレビを見て、その中にイースター島の話もあったことを思い出してしまった。しかし妄想が勝ったトリブッチ本とは異なり、今回は実験考古学的、科学的な根拠でのモアイ像解明で、トリブッチ以降30年、アヒルの足かきよろしくじっくりと検証していた研究者たちがいたのだと、その努力と成果にまずは称賛したい思いにかられてしまう、そんな内容の放映だった。

 イースター島への渡来人については今やDNAで解明されるという話は、現在では射程内でそう驚かなかったが、火山岩から切り取ってモアイ像をどう運んだのかという話(着想と実践の勝利、驚天動地の事実というべきか)や、モアイ像が建てられた場所が島の貴重な水資源(地下水)が得られる場所だったことがデータ的に立証されたという話や、島の崩壊を以前のヨーロッパ人研究者たちは島人たちの内輪もめに求めて来たが、人口激減はヨーロッパ人の渡来以後のことで、天然痘が決定的だったとしているなど、たいへん説得的な内容だった。

モアイは歩いて移動した説、詳しくは以下参照:https://wired.jp/2012/11/12/easter-island-moai/

 今年になって放映された「AIで謎に迫る!ナスカの地上絵」を見て同様の感想を持ったが、研究とはどういうものか、視点を変えると従来説がいとも簡単にひっくり返され(そこに至るまではそんなに簡単ではないが)、また先入見や既成概念にとらわれているとあらぬ方向に暴走し、研究という大義名分で偏見を振りまきかねないということを知るにはいい番組だった。

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パラティヌス丘南麓の伝奏者屋敷、一般公開始まる!

 私の研究対象でペンディングにしていた遺跡が、公開されたらしい。それが「Domus Praeconum」ないし「Schola Praeconum」で、数年前に書いた「ローマ時代の落書きが語る人間模様:いじめ、パワハラ、それともセクハラ」上智大学文学部史学科編『歴史家の散歩道』上智大学出版、2008年、pp.283-300では、「伝奏者屋敷」と訳していたが、そこではいわゆる「小姓養成所」Paedagogiumの落書きが主題だったので、いずれ別稿を期してそこでは詳しくは触れていなかった(むしろ、拙稿「パラティーノ丘「冒瀆の落書き序説:トポグラフィー的知見を中心に」」『神は細部に宿り給う』南窓社、2008年、pp.129-145のほうというべきか)。

 そのころはパラティヌス丘の中段段丘には立入できなかったので、すべて丘の上から下の様子を想像するだけだったのだが、その後段丘をぐるりと回る散歩道が解放されて、落書きの現場の見学を果たすことができたが(その後また閉鎖されてしまったようだ)、そこから階段を降りて地下通路をたどって「伝奏者屋敷」がある下段段丘に行くことはできず、階段部屋の閉鎖された鉄条扉を恨めしく眺めたものだ。それがいよいよ見学可能となったようなので、・・・私としてはまた行かなければならないのであ〜る。あ〜あ、切りがない。ただそこに入るには例の「スーペル・パス」が必要なわけで、パラティヌス博物館の裏から入る地下の大トイレ遺跡ともども、もはや次回に空振りは許されない。

養成所と伝奏者屋敷の関係平面図

 それはともかく、「Domus Praeconum」である。この区画は、アウグストゥスの建物、次いでフラウィウス朝の宮殿と同時にペダゴギウムも建設され、最後にセウェルス朝時代に浴場施設、セプティゾディウムの噴水、そして「伝奏者屋敷」を追加した全体的改修が行われた。

左:矢印右が「伝奏者屋敷」        右:その平面図

 その場所は19世紀末に発掘され、伝奏者の協同組合、praecones、つまり大競技場でのパレード (pompa circensis) を告げる人々の本拠地と解釈された。大競技場の北を東西に走るチェルキ通りに沿って構造物が建てられ、そのためパラティヌス丘の軸線に沿っていた「小姓養成所」とは微妙にずれて、しかし前者が一階で、後者が上階として組み合わされて建てられたのである。チェルキ通りから入ると、柱廊玄関間を通って広場に出るが、ここはもとは列柱で囲まれていた中庭だった。その奧に中央が両側方よりも大きいアーチ型天井の部屋が3室ある。発掘当初、北に向かって東側の部屋の地下から壁画が見つかった。そこを見学者が外から覗ける仕組みになっている。

左:上から、宮殿を支える擁壁、「小姓養成所」の段丘、その手前下に「伝奏者屋敷」
右:昔はパラティヌス丘の上からはこんな風景しか見えなかった。肝心の場所はもっと手前なのだが

 その地下室は、最初壁面に200ー240年代の絵画装飾がなされ、それには、つつましやかな服装の立像の男性が数名等身大で(1.60~1.80メートル)描かれており、彼らはなぜか食堂の給仕奴隷たち tricliniarii と解釈されている。ただ彼らの持物は、杖、地図、花輪、箱といった類いらしいので、私にはいささか腑に落ちないのであるが。むしろ皇帝お気に入りの近侍使用人 apparitores といった感じに見えてしまう。

Ed by A.Carandini, The Atlas of Ancient Rome, Princeton UP, 2012, vol.I, 69.

 その後この壁はチポリーノ・グリーン大理石の板で覆われてしまったらしい。また床も建物の名前の由来となった大きなモザイク床で覆われた。このユニークな白と黒のモザイク模様には、両側に4人ずつ2つのグループに編成された厳粛な行列の姿勢で登場人物を描いている。彼らは短いチュニックと靴を着用し、カドゥケウス caduceus(使者神メルクリウスの紋章)、旗や杖を持っている。まさにこれらの物体こそが、チルコでの見世物に関連した伝令の使者であることを示している。この床は 4 世紀初頭、つまりマクセンティウス帝がパラティヌスの南斜面の改修に着手した時代に遡る可能性がある。

各グループの中央2名がもっているのが、caduceusの笏杖
左:カドゥケウス捧持者  右:戦車チーム旗などの見世物関係の旗捧持者だろうか

これらの人物はさまざまに解釈されてきた。ある者は伝令使 caduceus 、または触れ役 praeco、国家に奉仕するアッパーリトル apparitor と呼ばれる下級公務員、また戦車御者などと。確かなことは、建物とそこに「住んでいた」人々が競技場や関連イベントと密接に関連した機能を果たしていたということであろう。複数官職を兼務していた可能性も高いのでは。

この建物の 二階は戦車競技のための皇帝御座所(貴賓席) Pulvinarとして使用されていたという説さえあるようだ。ここでの「二階」は我が国での三階を意味するので(あちらでは我々の一階を「地階」、二階を「一階」と称する)、となると高度的に「小姓養成所」の前庭部分と連結した土地のさらにその上階があったことになる。大競技場の観客席の高さを超えていなければならないのだが、その構造物は、マクシミヌス以降の地震災害で跡形もなく崩壊してしまったのだろうか。私にはそうは思えない。むしろ再現図では以下のようにパラティヌス丘寄りの観客席に御座所が設定されている例が多い(私は2008年には、御座所は東方向にあったと想定していた。cf., Ed by A.Carandini, The Atlas of Ancient Rome, Princeton UP, 2012, vol.II, table a.t.25:いずれにせよ、人目を避けるため地下道が利用されたはず)。見世物の主催者として、競技者や民衆との一体感・親密感を醸成する意味からもそのほうが妥当と思うのだが、どうだろう。

皇帝たち一行は、パラティヌス丘から「小姓養成所」裏の坂道を降り地下道を伝って「伝奏者屋敷」を経由し、人目に触れることなく観客席の御座所に直接移動していたと想像したいところ

 この遺跡は、2025 年 2 月 3 日から日曜日と月曜日のみにオープンされ、75 分間続くガイド付きツアー (英語では午前 10 時と午後 12 時 15 分、イタリア語では午前 10 時 30 分と午後 12 時 45 分) で最大 20 人までのアクセスが許可される。日曜日の午前 11 時からのみ無料で入場できるらしい。チケットは、オンラインまたはパーク入口で購入でき、訪問には「特別な」Forum Pass SUPERが必要である。

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小気味よい「辛坊治郎メールマガジン」第725号

2/7発行 「1.トランプ政権の基本戦略」から

(前略)

ちなみに最近日本でレタスやキャベツが高いですが、原因は天候不順だけじゃなくて、安い中国人労働者などに頼っていた取入れ作業に支障をきたすようになってるんです。
中国の都市労働者の賃金は日本を上回ってしまいましたし、ほんの少し前まで紙くずだった中国の通貨が、日本の円を越えるボリュームを持つ国際通貨になってしまいました。
中国の人工知能の会社で働く20歳代の天才中国女性は、数億円の給料で雇用されているそうです。

 15年ほど前、私が担当していた「そこまで言って委員会」に出演してくれた保守派の識者が「中国元なんて国際的にはまったく価値を持たない」なんて発言していたのが懐かしいです。
あの時もう少し危機感を持っていたら今の状況は変わっていたかも知れないと思うと、今でも似たような事を言い続けている「識者」がいかに信用ならないか分かります。
1990年代に番組に出演してくれた別の右派の識者は「今やアメリカ製品に買う物なんかない!」と豪語していました。
その頃には、後のGAFAなどが生まれつつあった訳で、先の読めない人の話を信じていると酷い目に遭います。
その時の「識者」が、今でも保守論壇の月刊誌で発言を続けているのを見ると笑えます。
右派、保守派がこんな状態で、
左派に至っては「軍が慰安婦を強制動員した」「北朝鮮は夢の国」的な発言を毎日平気で続けていましたから、
その後の日本がこんなことになったのは避けられない事態だったのかも知れません。

(後略)

私見:ま、マスコミ受けする知識人だけの責任じゃないだろうが。元気のいい発言する者がちやほやされるのは世の習い。トランプ然り。だけど長続きしないはず。

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最近の考古学情報:ポンペイ大規模私邸浴場発掘、超弩級パピルス文書再評価

January 18, 2025 ポンペイで豪華な私的浴場発掘https://www.thehistoryblog.com/archives/72199

 IX.10のいわゆる「Aulus Rustius Verusの邸宅」は2年前から発掘され、私のブログでも昨年出土の既報で豪華な「黒の部屋」や製粉・バン工房を紹介していたが、今回ポンペイ最大級の私宅浴場が出土した。

左:Aulus Rustius Verusの邸宅        右:浴場複合体部分図

以前このブログで触れた青銅製の湯沸機はさすがに残っていないが(2024/9/9)、上図右側の浴場部分拡大図のあずき色の一番左側の部屋が奴隷の湯沸作業(ボイラー)部屋 prefurniumだった。客は右で脱衣、温浴、サウナそして冷浴して衣服を整えて、左下の大宴会場「黒の部屋」で食事を愉しんだらしい。

左:「黒の部屋」             右:湯沸作業部屋
左:脱衣所               右:祈祷小部屋「青の部屋」のフレスコ画

「青の部屋」の右隣はこれも小さな仮設寝室だったようだが(部屋の中には、椅子、箱、大理石の天板のテーブル、青銅の燭台など、いくつかの品物が見つかった)、そこからは男女2名の遺骸が出土した(https://www.dailymail.co.uk/news/article-13737261/Pompeii-couple-clung-wealth-lethal-cloud-volcanic-ash-rained-newly-discovered-remains-man-woman-surrounded-gold-silver-bronze-coins.html

)。若い男性は肉体的にかなり酷使されていた由なのでおそらく奴隷で、年配の女性の傍からめずらしい真珠のイアリングやコインなどが出てきたので女主人matronaだったのかもしれない。噴火が収まるのを小部屋に避難して待っていたのだろう。

左:年配女性の遺骸(腰の部分にコイン)   右:コイン部分拡大(金・銀・青銅貨の由)

News Release 28-Jan-2025  後2世紀初頭の刑事事件を記したギリシア語パピルス公表:(https://www.eurekalert.org/news-releases/1071704

 それは、ユダヤ砂漠で発見されたギリシア語パピルスの中で最長のもので、133行を超えるテキストで構成されており、今回初めて公開された。当初はナバテア人のものと誤って分類されていたこのパピルスは、2014年にヘブライ大学の名誉教授ハンナ・コットン・パルティエルHannah Cotton Paltielによって再発見されるまで、何十年も注目されていなかった。彼女の発見を称え、パピルス学の慣例に従い、パピルスはP. Cottonと名付けられた。

 このパピルスは、バル・コクバの反乱(後132~136年)の際にユダヤ砂漠の洞窟に隠されたと思われ、ローマの属州ユダエアとアラビア(現在のイスラエルとヨルダンに相当)での偽造、脱税、および奴隷の不正な売買と解放を含む、興味深い事件を詳述している。主な被告であるガダリアスGadaliasとサウロスSaulosは、不正行為の罪で告発されている。公証人の息子でローマ市民だった可能性のあるガダリアスには、暴力、恐喝、偽造、反乱の扇動などの犯罪歴があった。彼の協力者サウロスは、必要なローマ税を支払わずに奴隷の架空の売買と解放を画策した。被告らは活動を隠すために文書を偽造したという容疑でだった。

 特に注目すべきは、文書がガダリアスとサウロスをハドリアヌス帝のこの地域訪問(西暦129~130年)中の反乱活動に関与したとしており、バル・コクバ反乱が始まったときのユダエア総督ティネイウス・ルフスTineius Rufusの名前を挙げていることである。以前の騒乱を受けて、ローマ当局は被告らを疑いの目で見ていたようで、彼らの犯罪を帝国に対するより広範な陰謀と結び付けていた。

 この文書を研究者は、このパピルスをローマの役人の前で行われた裁判のための検察官のメモであり、司法審問のため急遽作成された記録も含まれていると判断した。言葉遣いは生き生きとしていて率直で、検察官がさまざまな証拠の強さについて他の検察官に助言し、異議を予測する戦略を立てているからである。それによって、ローマの主要制度が帝国全体でも実施されていたことを立証している、と考えることができる、とする。おそらく、裁判は反乱によって中断された可能性がある。そしてこの文書がなぜ保存されたのかも不明である。

 本パピルスについての詳細な検討は以下の論稿でなされている。Anna Dolganov, Fritz Mitthof, Hannah M. Cotton, Avner Ecker, Forgery and Fiscal Fraud in Iudaea and Arabia on the Eve of the Bar Kokhba Revolt: Memorandum and Minutes of a Trial before a Roman Official (P.Cotton). Tyche, Bd. 38 (2023), Pp.135: doi.org/10.25365/tyche-2023-38-5

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DNA検査によるポンペイ住民の出自問題

 新年一月の考古学関係の情報を検索していて、ゆるがせにできない報告みっけ。その内容は、本ブログですでに報告したことがあるが、原本の論文は未入手なので、今は概略のみ報告しておく。

 古代DNAを使用して、ポンペイの住民の起源に関する長年の解釈に疑問が投げかけられた。遺伝子検査により、性別と血縁関係の予想外の多様性が明らかになり、この古代ローマ都市での生活に新たな視点がもたらされ、ローマ帝国の国際的な性格が浮き彫りになった。このデータによると、ポンペイの住民のほとんどは東地中海からの移民の子孫である。

 ポンペイでは19世紀以降、降り積もったパーミスpumice(pomici di Pompei)とサージの火砕流で埋もれた遺体の型は、分解後に残った空間に石膏を流し込むことで作られてきた。しかし、研究チームが現在修復中の最も有名な型86個のうち14個の骨片からDNAを抽出したのは、つい最近のことだ。この分析により、血縁関係、性別の判定、個人の祖先の追跡が可能になり、鋳型の外見と配置のみに基づいたこれまでの多くの解釈に疑問が投げかけられた。

① 「黄金の腕輪の家」からの鋳型のグループ。鋳型番号 50-51-52、作成日 1974 年。

Pompeya moldes

 たとえば、複数の個人の遺伝子情報が利用できる「黄金の腕輪の家」では、当初家族 (両親と子供) と考えられていた 4 人が実際には互いに遺伝的つながりがないことがわかった。さらに伝統的に母と息子と解釈されてきた子供を抱いているのは女性ではなく成人男性であることが判明するなど、驚くべき発見について言及している。

② 「クリプトポルティクスの家」から出土した鋳型番号 21 と 22。制作年 1914 年。

Pompeya moldes

 同様に、姉妹または母と娘と考えられている一組には、少なくとも 1 人の遺伝的に男性である人物が含まれていたため、これまでの性別と血縁関係に関する想定に疑問が投げかけられている。

 この報告では、「遺伝子データから、多様なゲノム背景を持つポンペイ人の祖先に関する情報も得られ、東地中海出身の祖先が優勢であることが浮き彫りになった。この発見は、ローマ帝国内で一般的だった移動性と文化交流を特徴とするポンペイ人の国際的な性質を反映している」というきわめて重要な指摘をおこなっている。本当にそうなのか、それとも調査対象の試料がたまたま東方出身の奴隷に片寄っていたのか、気になるところである。

SOURCES

Elena Pilli, Stefania Vai, Victoria C. Moses, et al., Ancient DNA challenges prevailing interpretations of the Pompeii plaster casts. Current Biology. Vol.34, Issue 22, November 18, 2024:doi.org/10.1016/j.cub.2024.10.007

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