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最近の古代トイレ情報,他

 久々にチェックしてみたら、やはりあれこれ新情報が。

● The Roman Toilets of Ancient Athens – 3D reconstruction:https://www.youtube.com/watch?v=mZN77PdUt1E

● A. Kate Trusler, Where’s the loo? An analysis of the spatial distribution of private latrines in Pompeii, Water History, 9, (2017) , pp.363–387.

● A.Kate Trusler / Barry Hobson, Downpipes and upper story latrines in Pompeii

Journal of Archaeological Science: Reports, 13 (2017) , pp.652–665.

● Hoss, Stefanie, Latrinae: Roman Toilets in the Northwestern Provinces of the Roman Empire (Archaeopress Roman Archaeology), Prime Deals, 2018, PP.154.

● これってオスティアの「七賢人の浴場」の逆現代版? さて、どこの国のトイレ? Quoraで見つけました。

【追伸】同様のものを岡田茂氏のブログ(https://jp.quora.com/profile/%E5%B2%A1%E7%94%B0-%E8%8C%82-Shigeru-OKADA)でみつけたのですが、そこでの説明文だと「2015年にチェコ共和国プラハのショッピングセンターの男性用トイレ」だったそうで、上掲とよく似た意匠ですね。続いて「同じフロアにある女性用トイレにどのような意匠が凝らされていたのか」と。ほんと覗いてみたい。

● 2023/11/6 サルディニア島沖から後4世紀の数千のコイン発見:http://www.thehistoryblog.com/archives/68711

● 2023/10/24 Santa Maria Capua Vetereのミトラエウム再公開:http://www.thehistoryblog.com/archives/68585

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6,5,6,11の循環年と学会発表

 2018年10月28日(日)に広島史學研究会西洋史部会で口頭発表したときに、この部会はいつも10月末の日曜に開催されるので、10/28で次回日曜はいつになるかを調べてみたら、なんと11年後の2029年と出た。それだと私は生きておれば82歳になっている。う〜ん、11年後か次回は無理だな、とそのときは正直思ったものだ。あれから早いものでもう5年経った。現金なもので6年後だとまんざらできないことでもないかも、と思う今日この頃である。

 2029年の次は6年後の2035年、その次は5年後の2040年。どう考えたってその先を考える必要はないので、今度は試しに昔をたどってみた。私が生まれる前だと1945年が該当年で、その6年後の1951年、その5年後の1956年、そして6年後の1962年、そして11年後の1973年、6年後の1979年、5年後の1984年、6年後の1990年、またまた11年後の2001年、6年後の2007年、5年後の2012年、そして6年後の2018年。

 単純なことだが 6,5,6,11の循環が認められることに気づき、なんだかこのリズムに合わして6年後になにかしたくなったのである。そもそも10月28日とは西暦312年にコンスタンティヌス帝がマクセンティウスに勝利した日であった。この日はどうやら火曜だったようだが(その計算をしたサイトは、「ke!san」:https://keisan.casio.jp/exec/system/1177638326)、私にとって口頭発表が日曜だったので、それにこだわってみたわけである。6年後に研究仕舞いを兼ねた口頭発表ができたらいいな、と思っている。ま、生きていればの話ではあるが。

 話がそれるが、私の誕生日1947年8月9日は土曜日と出た。なんと今年は数えで77歳だから喜寿だったんだ。ついでにこの誕生日の出来事としては「水泳の古橋廣之進選手が水泳日本選手権の水泳400メートル自由形で世界新記録。“フジヤマのトビウオ”と呼ばれることとなる」とあった(https://ja.wikipedia.org/wiki/1947年の日本)。

古橋廣之進(1928-2009年)

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広島平和都市法の寺光忠、それにアルペ神父のこと

 朝起きてテレビをつけたらNHK総合でなぜか広島の平和都市建設法のことをやっていた。途中からだったが、そこでの恩人ともいうべき寺光忠氏(1908-1996年)に興味を持って検索してみたら、旧制広島高校から東大法学部に進み、1949年当時、参議院議事部長だった(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27163)。彼のアイディアで日本国憲法の第95条を根拠に、「広島平和記念都市建設法」制定に向けて動いたのだ。

 それ関連で、中国新聞の原爆資料館情報も眼にとまった。かつて触れたことがある長岡省吾氏もそこに登場してたのはいいが、「ヒロシマの地質学者の執念が詰まった原爆資料館。だが、年間100万人を超す入場者であふれる展示場にもパンフレットにも「長岡省吾」の名前はない」と書かれていて、気になった(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27269)。そう、放っておくと忘れられていくわけだ。

 ペドロ・アルペ神父(1907-1991年)もヒットした(中国新聞:検証ヒロシマの半世紀 検証ヒロシマ 1945〜95<20>宗教:https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=27313;せせらぎ:特集13「アルペ神父(2006年)」:https://seseragi-sc.jp/story-cat/特集13%E2%88%92アルペ神父/)。スペイン人の彼については改めて解説する必要はないだろうが、原爆投下時に広島市(当時)北郊外の長束のイエズス会修練院長で、のちにイエズス会第28代目総長(1965〜1983/1991年)も勤めた。

 彼の列福運動もはじまっているようだ(https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=134939:http://catholic.hiroshima.jp/pdf/fr_luis_cangas_20210805.pdf)。彼の墓所は一旦はサン・ロレンツォ・フォリ・レ・ムーラ教会裏のカンポ・ヴェラーノ墓地のイエズス会区画だったが、現在、ローマのジェズ教会のフランシスコ・ザビエルの祭壇右の隣接礼拝堂にあって銘板が掲示されている。その移葬についていかにもイタリア的な噂話を聞いた記憶がある。イエズス会側の担当者がお金は一切必要なかった、と言っていたと。

【付記】イエズス会日本管区は関係者からもうひとり総長を出している。2008-2016年の第30代アドルフォ・ニコラス神父(1936年スペイン生れ;2020年帰天)。現総長アルトゥロ・ソサ・アバスカル(2016年〜)は、初の欧州外出身(ベネズエラ人)。なお現教皇フランシスコ(イタリア系アルゼンチン人:在位2013年〜)は史上初のイエズス会出身。この世代はアルペ総長の刷新活動(社会正義の促進・解放の神学)の影響を少なからず受けているはず。

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『ビジュアル世界の偽物大全』を買った;そしてイエズス会士

 日経ナショナルジオグラフィックからの出版で、今年の6月出版とまだ日が浅いせいか古書でも安くないので、しょうがないなという感じで購入した。

 当方のねらい目は、考古学上でのそれとかが書かれているのでは、というあたりだったのだが、トリノの聖骸布も簡単ではあるが掲載されている。時代的に興味をひかれたのは、死海文書に先行する「発掘物」があり、それは偽物とされて消えてしまったことで、そんなこと私は全然知らなかった。類似の事例は数多くあったはずだ。

 それにしても、手に技をもっている者が贋作・模作にチャレンジしてしまうのは、人間の性(さが)とでもいうしかない。

 ピルトダウン人のところで、学生時代に傾倒して読んだ『現象としての人間』 (Le Phénomène Humain)の著者、イエズス会士テイヤール・ド・シャルダンが出てきたのには55年振りの久々のことでいささか虚を突かれたが、北京原人といい、発掘には贋物がつきもののようで、しかし真偽の検討などこちらには判断基準がないので、なかなか手強いことだ。

Pierre Teilhard de Chardin, SJ(1881/5/1-1955/4/10)

 横道に逸れるが、今回はじめて、当時、カトリック教会内で批判され続けていたテイヤール・ド・シャルダンを、なんと後の教皇ベネディクト16世になるあの厳格なヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が擁護していたということを知って、いささか驚いた。今となっては時代遅れのテイヤール・ド・シャルダンの業績であるが、当時のカトリック教会主流に臆することなく研究的に一歩踏み出すことを恐れなかった彼の生き様は、いかにも時代を果敢に先取りするイエズス会士の真骨頂を示していて、あらぬ憶測からようやく最近名誉回復された教父学研究者ジャン・ダニエルーJean Daniélou SJ 枢機卿ともども、私は強い親近感を感じてきたのである。

Jean Daniélou SJ 枢機卿(1905/5/14-1974/5/20)

 以下参照:2024/1/3「ジャン・ダニエルー枢機卿の名誉回復」

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今年は手に入りそう! ボンチ・パンブリアコーネ

 昨年は賞味できなかったので諦め果てていたクリスマスの恒例のお菓子、ボンチBonci社のパンブリアコーネPanbriaconeだが、ワインをチェックしていて偶然どうやら発注できそうなことが分かったので、さっそく1kgを一つ頼むことにした。久々に大物なのがうれしい。本当は2つほしいところだが、1kgだと一つ8640円もするのでがまんするしかない(500g、5400円もあるがこっちは別途送料が必要)。11月末到着の予約なので今の時期を逃すと入手できない。これでクリスマスが来る実感がいやましに高まる。

 これは普通のパネットーネに6種類のパッシートワイン(収穫したブドウを陰干しにして糖度を高めてから醸造するワイン)を浸み込ませた、しっとりとした味わいの大人のスイーツ。フランスのケーキ、サヴァランほどびちゃびちゃしていない。一度食したらクセになるはず。騙されたと思って一度注文されたらいかがかと。

【追伸】ぐぐっていたら、こんな情報も。https://italiawine.exblog.jp/29664202/

 あと、こっちでは削除した季節の食べ物関係、もひとつのブログの方には残している。一応メモっておく。

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食糧危機問題を考える

 少し前、昆虫食が話題となった。そもそも人類は農耕牧畜が定着する前にはありとあらゆるものを食の対象にして生きる雑食動物だった。もちろん昆虫も。そうしなければ生きていけなかったのだ。それが現在のようにごく限られた食物に依存するようになったのは、農耕牧畜以降のことで、それが都市生活においてスーパーなどでの流通野菜で一層限定化するなかで、選択肢が狭められて、食生活による人間家畜化すら叫ばれるようになっている。しかし、それにしたところで未だ世界全体では3億人以上が食料不安に直面している状況がある(https://ja.wfp.org/global-hunger-crisis)。

 そのうえここに来て、近未来の食糧難についての新刊がまたまた話題となっているようだ。髙橋五郎『食糧危機の未来年表』朝日新書、2023/10、¥979。曰く、「日本の食料自給率は38%──実際は18%でしかなかった! 有事における穀物支配国の動向やサプライチェーンの分断、先進国の食料争奪戦など、日本の食料安全保障は深刻な危機に直面している。… 先進国の「隠れ飢餓」という実態を暴く。」

 こういう危機を煽る書物はいつの時代にも出てくる。たとえば、1960年代末から80年代にかけて食品添加物がらみで多数の本を書いた郡司 篤孝を私も興味を持ってかなり読んだのだが、添加物のため日本人の平均寿命は数世代後には40歳台になると予想・警告していた記憶がある。私の世代が食品添加物にサラされて生きた1世代目なので、あれからまだ2世代もたっていないが、とにかくその予言ははずれてしまっているというわけで、今だと「闇雲に危険だ危険だとセンセーショナルに騒ぎたてているだけでナンセンスなのでおすすめしません」(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1460759344?query=郡司%20篤孝)と一刀両断に切り捨てられてしまっている。しかし悪徳業者がいるのは常識なので、すべてがウソだとは思わないのだが、まあ大袈裟なのである、というか人体のほうがそれなりに対応してきたようでもある。先日、解剖医のテレビドラマを見ながら妻がぼろっと言っていた。最近の死体は昔よりは腐敗しにくくなっている、どうやら食物で摂取してきた防腐剤のせいらしい、と。

 こういう問題を考える場合、昆虫食の道を探るとか肉資源への穀物投入を問題視するとか以前に(それも重要であるが)、実は耕地拡大で人類は大規模に自然破壊を促進させた挙げ句、現在は世界的に広大な放棄農地が存在している、といった視点も重要だと思わざるを得ない。むしろそこに現代社会の諸矛盾が集約的に表現されていると考えるからだ(https://dot.asahi.com/articles/-/204659?utm_source=yahoo_rss&utm_medium=referral&utm_campaign=yahoo_relatedLink)。

 ま、先のない私には関係ない話かもしれないが。だからというわけでもないが、明日あたり北海道からふるさと納税対象のホタテが届く。原発排水問題で中国や韓国が海産物を買わなくなり、苦境におちいっていると報道されているが、私の居住している範囲ではスーパーなんかから姿を消してしまっているので、同じ日本人でも商業ルート的には助けようとはしていないようで、ぐぐってみたらふるさと納税品でしかヒットしなかったせいでもある。せいぜい体内蓄積して盛大に火葬場に持っていこうと思っている。嫁さんも賛成してくれているのがありがたい。

 

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今年も季節の食べ物、西条柿が来た

 スーパーに奈良方面の柿がでまわるようになり、二つづつ買っていたが、これには種がなかった。

 西条柿は例年10月末からの賞味で、今年は鳥取の八頭産を5kgお委せで予約していたら、10/25到着、開封は26日と書いてあって(渋抜きでドライアイスが入っているため)、翌日さっそく食したが、そのときは普通の堅さだったのに、28日夜には早くも全体に柔らかくなっていた。その速度の速さにはちょっと驚いた。昨年はそれでちょっと失敗したので、せめてもの抵抗で、大部分を冷凍・冷蔵庫に移動させることにする。最初硬いうちは食べていた妻はじゅくじゅくのほうは嫌いなので、一人で頑張って食すしかない。

 今年の夏は帰省の都合で、小イワシの刺身を食し逃したが、西条柿ともども来年食することできるだろうか、とつい思わざるを得ないのも歳のせいか。そうそう、春先のタロッコ・オレンジもあったな。これは国内産で食せるので安心だが、でも、初秋の名物フンギ・ポルチーニ直径20cm級のカサをソテーで食せたのは20年以上も前のローマで、最近のは小ぶりなので、それっきりの得がたい体験だったなあ。

 

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旅での危険な虫 2023/10/25

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/102300544/?P=1

 旅行に限ったことではないが、旅行していると罹患しかねない、害虫のお話。

 トコジラミ、ダニ、蚊あたりがポピュラーか。私は蚊以外これまで実害ないけれど、他の人からは聞いたことある。寝台列車のクシェットでとか、ホテルのベッドでとか。トコジラミは昔の欧州では何年かおきに流行していたようだが、最近はさてどうだろう。しかし旅行客は一見の客なので、まあ防ぎようがないわけで、僥倖を祈るしかないような。下記写真は50倍に拡大したトコジラミの顔。

 蚊については、ポンペイでは贔屓のリストランテの庭でいつも悩まされ、無粋だが食事の場にスプレイ持ちこんだりもしてきた。今年の夏は、地階に住んだせいか若い同伴者が悩まされていたが、年寄りの私にはほとんど寄りつかなかった。

 そういえば、留守の長い実家に帰省したとき、畳の上でうたた寝したあと唇の下がかゆいのでボリボリかいたのだが、体液が滲んできて放っておいたら、後日そこに傷跡が残ってしまっていた。何かに噛まれたせいなのだろう。

【追伸】トコジラミ(本当はシラミではなく、カメムシの一種)は最近は国内でも増えているそうだ。https://mainichi.jp/premier/health/articles/20231031/med/00m/100/009000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhiru&utm_content=20231106

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聖ペルペトゥアつながり

 Liturgical Arts Journalで他のことをググっていたら、以下が見つかった。

https://www.liturgicalartsjournal.com/2022/08/the-carolingian-frescoes-of-church-of.html

 場所は、北イタリア・ロンバルディア地方で、スイスとの国境近くのTirano。

 この地の聖ペルペトゥア修道院で、1987年、偶然にも漆喰が壁から剥がれ落ちて9世紀と想定されるカロリング時代のフレスコ画が発見された。そこに描かれていたのは、殉教者聖ペルペトゥアを中心に、聖ペトロ、聖パウロ、聖ユダ、聖マタイ、聖ヨハネ、聖ルカ、大天使聖ガブリエルが描かれた連作であった。

これらのフレスコ画は、形と色彩の両方において、活気に満ちており、その様式は明らかに、最初の千年紀の教会美術伝統の中に起源を持つものである。

 左が奇妙に保存状態のいい大天使ガブリエル、右はマタイとユダ、こっちはやや漫画チック。明らかにタッチが違うような。

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「充分です、主よ、充分です」

 10/23日に月1の読書会が我孫子であった。そして待ち合わせで人を待っていて、JR我孫子駅に設置されていたデジタル掲示を見るともなく見ていて、えっ、と驚いた。それは茨城県の観光案内だったのだが、県の表示が平仮名で「いばらき」となっていたのである。それまで私は「いばらぎ」だと思っていたので、あれれと。大阪の方にも「茨木」市があって、こっちのほうは正真正銘の「いばらぎ」だとおもってきたのだが、調べてみたらどうやらこちらも「き」のようで、二度びっくり。

 そんなこんなの翌日の今日の夜、NHK総合で偶然「名品の来歴」をみた。聖フランシスコ・ザビエル画像がテーマだったが、かなり漫画チックな砕けた内容構成で楽しく見ることできたのだが、内容的になかなか見応えがあった。そこで出てきたのが大阪府茨木市、そう、その市内の千提寺(せんだいじ)で、件のザビエル画像の掛け軸がその地の隠れキリシタン東家の開かずの櫃の中に他の遺物と共に保存されていたが(この地の隠れは10軒ほどだった由)、300年後の大正9(1920)年に公開されたこと、それを金持ちでケタはずれのスケールのボンボン池長孟[たけし]が買い上げたエピソードはよく知られている。ちょっと前のNHK朝ドラ「らんまん」のモデル牧野富太郎の借金を肩代わりして(そのとき彼はまだ京都帝国大学学生だった)「池長植物研究所」を創設したのは、弱冠26歳の時だった。南蛮美術に特化した私立「池長美術館」を開館したのは1940年、彼が49歳の時で、その所蔵品は戦後神戸市に寄贈された。

 件の絵図はおそらくイエズス会のセミナリヨで洋画を学んだ日本人絵師が描いたものであろうが、高山右近の旧領だった地に潜伏キリシタンによってどうやら宣教用具一式の中に混じって隠匿されてきて、それらは現在、その千提寺にある茨木市立キリシタン遺物史料館と、神戸市立博物館にそれぞれ保存展示されている由で、なんだか見学にいきたくなってしまった。

 ザビエルの口から出ているラテン語の言葉が「充分です、主よ、充分です」SATIS EST DÑE[Domine] SATIS ESTであることはよく知られているが、今回の番組で掛け軸の下の黄色地に書かれた万葉かな?の意味を初めて知った。「瑳聞落怒青周呼 / 山別論廖 / 瑳可羅綿都 / 漁父環人」(聖フランシスコ・ザビエルのサクラメント ローマ教皇[認可])

 テレビではそれとは別に長崎の日本二十六聖人記念館所蔵の「雪のサンタ・マリア」の掛け軸も出てきたが(ご覧のようにかなり痛んでいる)、あの題材はローマ市のサンタ・マリア・マッジョーレ教会創建時の故事に拠っていて、並みいる教会堂の中でも私が最高に好きな聖堂の一つがマッジョーレで、それつながりでこれも思い入れ深いものがある。

《付加》

 私が時々覗く「ウィーン発 『コンフィデンシャル』」によると、教皇は、2023/11/12の慣例の日曜正午のアンジェラスの祈りでハマス人質の解放とパレスチナでの停戦を改めて呼び掛け、「十分! 兄弟たち、もうたくさんだ!」(Genug! Genug, Bruder, genug!)と叫び、「全ての人は平和に生きる権利を持っている」と語った(バチカンニュース11月12日独語訳)。

 意味は真逆であるにしても、やっぱりフランシスコ教皇はイエズス会員なんだなと、再認識。

【付記】2024/1/24 23:00- BS朝日1 レジェンドキュメント「花在ればこそ吾も在リ:世界的植物学者を支えた神戸人」を見た。これは2012/12/23にサンテレビで放映されたもの。詳しくは以下参照。https://www.bs-asahi.co.jp/legendocument/lineup/prg_072/

「日本植物学の父」と呼ばれる植物学者・牧野富太郎を支えた神戸ゆかりの2人にスポットを当てたドキュメンタリー番組。近代植物分類学を築いた牧野を、資金で支えた神戸の資産家・池長孟(はじめ)。そして「アメリカの発明王」エジソンの助手を務めたこともある撮影技師・岡部芳郎。2人と牧野の接点はどこにあったのか。なぜ彼らは牧野を支援したのか……。
それぞれの関係を紐解きながら、世界的植物学者を支えた2人の神戸人に迫る。

 さすがの池長猛も牧野の膨大な植物標本を持てあまして、整理することなく東京に送り返したらしい。

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