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(1) 3年振りのイタリア調査旅行

 3/1に羽田を発って、21日までイタリアにいます。前半はナポリ経由でポンペイに行き、エルコラーノにも足を伸ばします。後半はリド・ディ・オスティアに滞在し、主としてオスティア・アンティカ遺跡に通う予定。

 今日は3/4。昨日までのメモをアップしておきます。

 今、イタリアは雨期ですので、毎日のように曇天・降雨です。コロナの影響でしょうか、3年前にはあったなじみの中華料理屋がローマのテルミニ駅前でもポンペイでも消えていたり、やっぱり影響が出ている感じです。ちなみに羽田発の直行便は、乗客は4割程度でがらがらで、皆さん席を占領して横に寝てらっしゃいました。ローマからナポリの特急列車もがらがら。イタリア人でマスクしている人は例外的存在です。私も顔をさらしているので、帰国してからがこわいなあ、と。
 3/2 ポンペイ行く途中でいつも寄るナポリ駅前のリストランテ・ミミで待望の海の幸のパスタと白ワインをおいしく食したのですが(チップを含めて一人あたり40€)、日本語メニューは消えていて、イタリア語だけという地元民主体の体制になってました。その後のポンペイ行きのウェスウィオ周遊鉄道はさすが地元民で混雑していましたが。

 以下は、事務連絡で送ったメールの一部ですが、転送します。

 実はもうポンペイ初日にして得がたい体験をすることができ、我ら参加者一同は大感激、ちょっとすぐには消化しきれないほどの体験をする事できました。

 昨日(3月3日)のポンペイ調査では、通訳のイザベラさんのねばり強い交渉とお人柄なのでしょうが、クストーデ(現場の番人)との関係が上手な感じで、特にCasa di Maius Castriciusの見学ではクストーデのドミニコ氏の裁量で我々の現場での飛び入り要望に次々と応じていただけ(申請場所はそこそこに、隣接しているM.Fabius Rufusの大邸宅の迷路めぐりとなりましたが、これが本当に圧倒的な体験で)、挙げ句なんと修復工事現場でのゆらゆらゆれる簡易エレベータに乗せられて(私は本当に怖かった!)11mの最上階と地面を往復するなど、得がたい体験と見学(とりわけ,迷路のような多階層で豪華絢爛な3階立ての大邸宅を上から下まで見せていただき、その途中に現場保存の遺体とも遭遇、その上、その南に面した切石造りの城壁の観察(上記邸宅はそれ以前にできていた城壁裏を利用して建築されたもの)、地上の中庭西壁のナイル川風景のフレスコ画などを見学することができまして、大感激の呈でした。私がポンペイに通い出して以来ずっと閉鎖されてきた邸宅なので、許可見学そのものが感激ものなのですが、全く期待を裏切らない偉容でした。興味ある方は以下をご覧下さい。https://sites.google.com/site/ad79eruption/pompeii/regio-vii/reg-vii-ins-16/house-of-m-fabius-rufus?tmpl=%2Fsystem%2Fapp%2Ftemplates%2Fprint%2F&showPrintDialog=1

 午前が終わり、これもコロナの影響なのでしょうか、見物人が激減したせいなのでしょう、ここもバールだけ営業の営業休止の遺跡内レストランで、いつもと違い混雑していないのでゆっくり昼食休憩したあと、3人でポルタ・マリーナ門の従業員出入口から港湾跡への侵入を試み、番人たちの目をぬすんで部分的に裏側からの接近に成功しましたが、正式の入構許可証もありますので、正面突破は後日を期す予定です。

 かくして、初日から若い二人に引きずられて2万3千歩歩かされ疲れ果てました(円形闘技場門からポルタ・マリーナ門まで片道30分の遺跡外道路の往復がこたえました)。みんな中華を食べるのを楽しみにしていたのですが、店は消えてました。イタリアに来て、日本では感じなかったコロナの影響とおぼしき現象を散見し、改めてその傷跡に触れている思いです。
 
 しかして期せずして、本日4日は休養日とあいなりました。
見学場所の前で:右から、通訳のイザベラさん、クストーデのドミニコ氏、調査隊の2名
小部屋の中の遺体。これ未公開じゃないの?:頭蓋からは歯がみえていた。足には布のひだが確認できた
南地面から見学箇所を見る。正面が城壁、その上にせり上がっている邸宅群
西端から郊外浴場方向をのぞき見る:中央を横切っている段丘に船舶繋留装置の列が見えている
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アレクサンドロス・モザイク再論

 渡伊を前にして今やたら多忙なので(3年振りのせいか、老化促進のせいか、なにごともはかどらない)、メモっておく。

 Joshua J.Thomas, The Ptolemy Painting? Alexander’s “right-hand man” and the origins of the Alexander Mosaic, JRA, 35,2022, 306-321.

 この著者が注目するのは大王の右手後ろに辛うじて残存して描かれている人物に関して、本モザイクの失われた原画の施主だったのではないか、という説を提示しているようだ。迂闊ながら、私はこれまでこの人物の存在にすら気づかなかった。世の中には観察力に長けた人がいるものだ。著者はそれを、ずばり、ディアドコイの1人、プトレマイオス1世と同定しているようだ。

 ⬆ここ:右図はその部分の拡大
プトレマイオス1世の彫像と貨幣上の横顔

 さて、真実はいかに。いや、論証はいかに。

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コンスタンティヌスはなぜ親キリスト教政策を採用したのか : Morris Keith Hopkinsの指摘

 このテーマは、現代に至る多くの親教会的な研究者にとっては、コンスタンティヌスらキリスト教皇帝たちのキリスト教への帰依として短絡的に処理されがちである。そもそもこういうテーマを研究に取り上げようという研究者の多くはキリスト教徒、ないしシンパだったりするので、結果論的にその結論は最初から予定調和的にそうありきとなり勝ちだ。逆に、非信者の研究者にとっては、皇帝とキリスト教会の関連など最初から関心の外だったりするので、いわゆる学界の主流は信者研究者の路線で占められて来たといっても過言でない。基本的に護教なのである。その認識が薄い中で当時の文書史料を表面的に読んでしまうと、書き手(その多くがキリスト教徒)の意図したとおりの術中に陥ってしまう。それは普通の分野では「研究」とはいわれないわけなのだが。

 そんな中で、イギリスの社会学・人口統計学・歴史学者のMorris Keith Hopkins(1934/6-2004/3:1985-2000年までケンブリッジ大学古代史教授)は異色だった。まず大学院時代にはMoses Finley教授(1912/5-1986/6:アメリカ生まれだったが、赤狩りで職を追われイギリスに移住、ケンブリッジ大学古典学教授になる)の影響を受けて、社会学研究者として出発。彼は、古代史研究者は研究対象である史料は偏見に満ちているので従う必要はなく、むしろ史料を問い直し、より大きな相互作用の中で理解することを追求すべきと主張し、文献中心の伝統主義のオクスフォード教授Fergus Millar(1935/7-2019/7)と意見を異にした。ある意味、ケンブリッジ大学での最初の恩師A.H.M.Jonesの文献史学の集大成的著述The Later Roman Empire 284-602, Oxford, 1973出版のあと、おそらく、何が自分に残されているかと考えあぐねた末に、彼は、フィンレイの影響によってアメリカ流の社会科学的視点を古典学に導入しようと意図的に蛮勇を振るったのではなかろうか。性格的にも万人向けではなかったようだ。だから決して評判がよかったわけではないらしいが、20世紀において最も影響力のある古代史家の一人だったことに間違いはない。

享年69歳の「若さ」だった

 完璧主義者だった彼に著書は4冊とそう多くないが(論稿はそれなりにある。彼の人となりや研究業績の位置づけ・評価に関して詳しくは、学統的に盟友とでもいうべきコロンビア大学教授W.V.Harrisの以下参照。”Morris Keith Hopkins 1934–2004, ” Proceedings of the British Academy,130, 2005, 81–105:私はこれに導かれて迂闊にも、私が学部時代に竹内正三先生の演習で延々と読んだ前記A.H.M.Jones, The Later Roman Empire 284-602の前書きで、Jonesが謝意を表している錚々たる顔ぶれの中にロンドン大学のMr.Hopkins(当時博士論文も書いていなかったはず)が第二巻を読んでくれたという一文を遅ればせながら確認することができた)、彼の著作の日本語訳は以下の2冊しかない。

   高木正朗・永都軍三訳『古代ローマ人と死』晃洋書房、1996年(原著1983年:但し全訳ではない)

  小堀響子・中西恭子・本村凌二訳『神々にあふれる世界』上下、岩波書店、2003年(原著1999年)

 基本、経済社会学的見地から歴史を見るホプキンスが、欧米の宗教史研究の「致命的なスコラ学」打破に果敢に挑戦したのが後者であるが、私はその中で以下の文言をみつけて文字通り絶句したのである。「国家規模の寛恕と民衆の信心こそが、信心と平和に支えられて何世紀にもわたって異教神殿に蓄えられていた莫大な神殿財産を貨幣に鋳造してローマ帝国が引き出した多大なる利益から関心を逸らす役割を果たしていたのである(註66)。異教からキリスト教へ、という公的宗教の変化は、莫大な棚ぼた的利益をローマ帝国にもたらしたのである」(上、p.182)。

 ・・・・これは私にとって盲点だった! しかし、いわれてみれば納得なのである。言い得て妙なのだが、へたをすると「GOD / GOTT」は「GOLD / GELD」なのだ(昨今の旧統一教会問題など、その錬金術の小規模な現実にすぎない)。慌てて註(66)をみてみると、冒頭に「この主張は大胆であるが、細部に関しては正当化しがたいものである」と、著者自身の私には意味不明のコメントが。そこに記されていた諸史料のうち、他の教会史家たちがコンスタンティヌス顕彰で書いている中で、「無名氏『戦争をめぐる問題について』2.1」ただ一人がそれにズバリ言及しているのだが、これは初見だったので有難かった(Anonymus, De rebus bellici : https://archive.md/xo0fT:あとになって、以下もあることを知った;Firmicus Maternus, The Error of the Pagan Religions, in:Ancient Christian Writers, No.37, 1970 : De errore profanarum religionum)。こういう本は我が図書館には当然のように所蔵されているのは、ありがたいことだ。

ところで、上記以外にも翻訳であれこれ散見する意味不明の箇所確認のため早速ホプキンスの原本を発注したのだが、どうしたものか一向に届かない。現在3回目の発注を試みている状況である。キャンセル通知もないのだ。しょうがないから所蔵大学図書館からの借り出しを試みることにした。

 本書に関し、予想通り現在においても伝統的スコラ学に牛耳られている学界の反発も強くて、彼の試みが完全に成功したとは言えない。しかしその線での研究が将来を切り拓くことは自明のことであるとはいえ、冒頭述べた伝統史学に連なる権勢は未だ強力である。進取の気性に富む気鋭の若手の登場を期待してやまない。

【付記】著者には好意的なのに監修者・翻訳者に対してかなり辛辣な以下の書評参照のこと。さながら神学の聖域に土足で踏み込まれた祭司の憤りの表白ともいえるが、私的な感想でも核心部分でまんざらはずれていない面があると思うのは、私がカトリック系だからであろうか。否、やはり翻訳の節々に問題ありと感じてしまうのだ。:

 秋山学『地中海研究』28,2005年、pp.131-136.

 他に、新刊紹介的な以下もある。松本宣郎『西洋古典学研究』49、2001年、pp.133-157.

【追記】図書館を通じて国立のTH大学から届いた件の本はペーパーバック(2000年)だったが、背表紙に折り目もついておらず、私が初見なのは歴然。さっそく犬の匂いつけよろしく盛大に折り目をつけさせていただき、気になっていた箇所を点検し始めたのだが、文飾・文体がらみのほうについては触れないとしても、単純な歴史用語に関してやはり問題を早くも見つけてしまった。英和辞典の訳に準拠したのであろう、古代ローマ史だと「円形闘技場」とすべき所を「円形劇場」にしていたり(初出は上巻訳p.65:p.66の2行目ではせっかく正しく訳しているのに、その後も回帰しているのは、どうしたことか)、アタナシオスの場合はわざわざギリシア語読みに直して訳しておりながら、なぜかアレイオスとせずに「アリウス」のままだったり。特に前者はローマ史の専門家であれば誤訳しようもない初歩的問題なので、監修者役がきちんと校正していなかったことになる。

 また、これが指摘できるのは日本で私だけかもしれないが、上巻訳の第1章註(18)で、latrineをやはり英和辞典訳に従ったのだろう、ご丁寧に「汲み取り便所」としているが、それだと、本文p.33の末尾の「各階に汲み取り便所があった」という訳と齟齬を来すはずではないか。ここは平明に「便所」でいいはずだ。

 ただ、上記松本氏が指摘していた図19(原本では22)に関する第6章註(5)での人名誤記問題は修正されており、間違いへの配慮なのだろうか、図のキャプションも懇切丁寧なコメントに改められている。また私は、上巻訳p.65,66の剣闘士競技や、下巻訳p.24とp.91掲載のいわゆる呪詛板の図版に番号も付されていないことを奇異に感じていたのだが、それは2000年版でもそうなっていたことを付記しておこう。

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ミラノ・プラダ財団の展覧会でのコンスタンティヌス大帝巨像:2023/1/31-2/19

 ウェブをググっていたら偶然見つけた。「Reimpiegare l’antico. La mostra alla Fondazione Prada di Milano」(https://www.artribune.com/arti-visive/archeologia-arte-antica/2023/01/reimpiegare-antico-mostra-fondazione-prada-milano/):別名Recycling Beauty

 この展覧会は2023/1/31-2/19に、ボローニャで開催されるらしい。私はもちろん行くことはできないが、そこでの展示の中にコンスタンティヌス大帝の巨像のレプリカもあるらしいので、それをメモっておく。

 思い起こせば、かつて2007年にトリーアを訪問したときにちょうど大展覧会が開かれていて(http://pweb.sophia.ac.jp/k-toyota/atelier/constantinus_1700.pdf)、そこで目撃した記憶のある大帝巨像はその後どうなったのかとずっと思っていた。それと同一かどうかは不明なうえに、あてにならない私の記憶とはイメージがちょっと違っている気もする【まったく別のものと判明】。しかもこの写真やたら広角で撮っていてかなりいびつな感じがするが、ともかくその前に立っている女性との対照で、その巨大さが伝わってくるだけの意味あるわけだ。

周囲の壁の窓の形は、もちろんフォロ・ロマーノの新バシリカを模しているのだろう。

 その後ぐぐっていて、Factum Foundationによる本巨像複製作業工程の詳細を知ることができた。それだけでも一見に値するはずだ。特に冒頭の3D再現映像が奇をてらっていて面白い。https://www.factumfoundation.org/pag/1890/re-creating-the-colossus-of-constantin

 ただ、コンスタンティヌスの後頭部は壁に接着されて平べったくなっていたはずのところ、今回の復元像では若干猫背になっているのは参考資料とされたユピテル神としてのクラウディウス像の影響によるものか。いずれにせよ、この展覧会のカタログあれば見てみたい。

【後日談】

古書で発注できました。新本90+送料20ユーロのところ、英国経由なので総計67.05ポンド、¥10600程度でした。現地の書店だと新本割引きで半額くらいになっていたりするのは知っているけど、なにせ重たいので旅行者には負担です。

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スコトーマのはずし方とシャープール1世レリーフ

 小日向文世主演のテレビドラマ「嫌われ監察官音無一六」を見ていると決め言葉に「スコトーマ」scotomaがよく登場してくる。この言葉はもともとギリシア語で「暗闇」の意味だが、眼科で「盲点」という医学用語として使用されてきた。それが近年医学のみならず心理的作用で生じる「心理的盲点」にも使用されるようになったらしい。

 私は緑内障を患っているのだが、この病気は視神経がダメージを受け視野が狭くなっていく病気で、それが眼圧等によって視神経が一般よりも早く減少していく場合、点眼薬で眼圧低下を処方されるわけだが、定期的に視野検査をすると視神経がすでに死んでいる部分が黒く明示される。だが実体験としては正常に見えているので気付きにくいわけだが、要するにすでに視神経は死んでいるのに見えているのは、実は脳が欠落部分を補っているかららしい。

 つまり、普段我々が見ている世界は、眼から取り入れた視角情報を脳で再現した、いわばヴァーチャルな世界といえるわけだ。人間の脳生理はこうした補完をなにげなくやり通しているわけだが、ご本尊の自分自身がそれで騙されていることに気づかないでいるという現実がある。

 我々はえてして見たいと思っていることだけ見てしまう、というのはこういった脳のなせる技なのであるが、実はそれが客観的であるべき研究という場においても生じがちであることを銘記すべきなのである。意外と落とし穴は多いのだ。私の研究で見るべきものがあるとしたら、その類いの研究成果が幾つかあると自負している。たとえば上智大学史学科編の『歴史家の〇〇』シリーズ掲載論稿とか、コンスタンティヌスの記念門とネロの巨像との関連、などなど。文書史料にちゃんと書いてあるのに、平板な読み込みのため読み手の先入見での見落としが意外と多いのである。最近もそれを思い起こす機会があった。気が向けばこのブログで言及してみるとして、今は題名だけ書いておくと、シャープール1世の対ローマ三重凱旋記念レリーフ、とりわけナクシュ・イ・ルスタムのそれに登場しているローマ人(皇帝)をどう同定するか、である。私は35年前にそれについて言及する機会があったのだが、相変わらず根拠のない誤った俗説が世間的に大手を振って流布している。これが現実なのである。

ナクシュ・イ・ルスタムのシャープール1世レリーフ全景      ローマ皇帝二名の表情:顎髭の有無に着目で決着のはず

 研究者に限ったことではないが、スコトーマの罠から脱出することが肝要となる。我らの日常語で表現するなら、先入見を捨てるよう努力するということで、その「外し方」の提要については、「スコトーマ」でぐぐればウェブ情報で同音異曲の解説に巡り会えるはずなので、ぜひご一読いただきたい。

 

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オスティア遺跡関連メモ:忘れへんうちに

 別件をググっていたらたまたまみつけたので、とりあえずメモしておく。

 ブログ投稿者:ほしがらす(自称「山姥」) 2006年から記事アップ。ご主人が山男だったので山に登るようになったと書いておられるが、コマ目に写真記録をアップされていて、私などワンゲルの行動中に写真を撮る余裕などなかったので、感心してしまう。

 その彼女が「忘れへんうちに 旅編」の2022/3/22から4/12にかけて四回に分けてオスティア訪問記が書かれている(https://hulule-hulule-voyage.blogspot.com/2022/03/blog-post.html)。なぜか出版年間違っているが、前年出版の堀賀貴氏の近著を参考文献に掲載しているのはさすがというか。

 それと、これは私の個人的好みなのだが、出色のガイドブック、ガリマール社が原本の『 ローマ―イタリア (〈旅する21世紀〉ブック望遠郷』同朋舎、1995年、を利用しているのにも好感が。この本、私もたいへんお世話になった(もう一つ挙げるとしたら、『イタリア旅行協会Touring Club Italiano 公式ガイド』全5巻、NTT出版、1995-97年、が情報量としては断トツ:両者ともあれから30年近く経つので、ホテルの料金など改訂新版が出てほしいところだが、バブル期末期のあの時代だからこその出版だったと思われるので、もう無理だろうなあ)。

 彼女の訪問記は、国外に限ってもキルギス、ウズベキスタン、ギリシア、東トルコ、イスタンブール、ポンペイ、ローマなどなどと多彩である。私はこれまでも時々見かけていて、並の観光旅行者ではないなと感心していたのだが(そのころはよもや女性とは思っていなかった)、今回はイラン関係でシャープール1世関係を検索していてたまたま引っかかった。それは2017/3からアップされている。キルギスやウズベキスタンを含め、このあたりの重厚さから彼女の興味の中心かと勝手に推測。

 

 

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今回の貨幣オークションでの出物:ネロ、コンスタンティヌス大帝、ディオクレティアヌス

 今日、CNGから第531回目のオークションの連絡が届いて(https://www.cngcoins.com)、まあもはや購入する気はないものの、覗いて見てびっくり。私にとって久々の興味深い出モノが目についた。

 まず目についたのは、ネロ帝のオスティア港打刻コイン。それが2つも出品されていたのだ。オークションで見るのは初めてだと思う。実は、私は2017年の共著の背・裏カバーにこの類似品をなにげに印刷したことがある(AD64, Roma造幣所打刻)。それが以下であるが、コレクターの個人蔵というだけあって、図案の精緻さ・打刻・保存状態がすばらしい逸品である。

 今回のLOT 1031は、Æ Sestertius(circa AD65, Lugdunum造幣所)で、表裏ともかなりダメージを受けており残りが悪い感じで、しかしそれでも業者希望価格は$750。初値は$450だが、まだ誰も手を挙げていない。まあ買う人はいないだろうな。

NE[RO CLAV]D CAESAR AVG GER P M TR P IMP P P / (ex.) PORT AVG

 LOT 1036は、Æ Sestertius(circa AD64, Roma造幣所)のほうは、上記個人蔵にははるかに及ばないが表裏とも保存状況は良好で、それもあってか、業者価格は$1000で、すでに9件の入札があり、現在$950になっている。最終までまだ20日間あるので、どこまでせり上がるか見ものであろう。

NER[O CL]AVDIVS CAESAR AVG GER P M TR P IMP P P / 上 AVG VSTI (ex.) S POR OST C

 このたびの2枚では表面の肖像的は左向きで描かれているが、編著のそれは右向きだし、今回でも銘文は造幣所で異なっている(より詳細に検討してみると、同じローマ造幣所でも同一というわけではない)。

 ネロの貨幣では、今回もうひとつLOT 1034(AD64, Roma造幣所)に私は興味を惹かれた。それが以下である。裏面の図像はいったい何の場面なのだろうか。中央のちょっと小さな人物がネロで、その左後にいるのが母小アグリッピナだと面白いと思ったのだが。裏面の銘文はCONG DAT POP (ex.) SCとなっている。congiarium=祝儀だから、皇帝からローマ市民への祝儀分配の場面(図像の詳細説明は、cf., RIC, vol.1, 1984, p.156, 8)。業者価格$500で、現在5件で$425まできている。

 さらにもっとも興味あったのは、以下のコンスタンティヌス大帝のSolidus金貨(LOT 1181:AD335, Nicomedia造幣所:21mm, 4.04g)である。もう10年早かったらボーナス突っ込んでも購入したかも。業者価格で$2000のところ、現在、入札4件目で$1500。

裏面銘文:VICTORIA CONSTANTINI AVG (ex.SMNP;楯の中にVOT XXX)

 実は、同じCNGのオークションTriton XXVIでディオクレティアヌスの金貨が数枚出ているので、そっちも見に行った。https://auctions.cngcoins.com/auctions/4-85Z7YJ/triton-xxvi?page=2&categories=4-6WINQ&limit=96
それは、LOT829-836で、なかでも高額な業者希望価格$50万のLOT830にはYouTubeも添えられていた。https://www.youtube.com/watch?v=uMXipueSIxs

ただ、こっちは1/10に開始し、締切はあと1日6時間後のようだが、現在4人の入札で$37万5千。

IMP C G VAL DIOCLETIANVS P F AVG / IOVI CONSER VATORI (ex.)AQ

 この金貨は、294年、新設のアクイレイア造幣所のおそらく最初の打刻の、通常のアウレウス金貨10枚分のデニオdenio貨で、38mm, 53.65g、即ちディオクレティアヌスの皇帝就任10周年decennalia記念の10アウレウス金貨、というごく限られた贈答用記念貨幣で、それがオークションに登場したのはここ100年で初めてのことなのだそうだ。YouTubeで確認できるが、本品の保存状況は完璧といっていい。同様のものはこれまで少なくとも4枚確認されていて、いずれも博物館所蔵となっている由。なお裏面の神像はディオクレティアヌスの守護神Iovius= Jupiter像。

【追記】2023/2/26:昨日なんとCNGから紙メールが届いた。これまでにないことだったので何ごとかと開封したのだが、大略いかのような画期的なオークションの報告だった。だから、売り物を出してください、というわけ。

  「先日行われたTriton 26では、ロット830のディオクレティアヌス帝の10枚のアウレウス金メダリオンに6人の入札者があり、100万ドルの大台を超えたのです!  このコインは最終的に190万ドルで落札され、ローマ帝国コインとしては最高記録となりました。バイヤーズプレミアムを含めると、230万ドル以上となり、CNGの長い歴史の中で、どのコインも最高値を記録してきました(40年以上にわたって、かなり信じられないようなコインを販売しています)。 レアでグレードの高いものはすべて、このような結果になっているようです。

 しかし、驚くべきことに、他の市場も同じように動いているのです。先日行われたDavid Hendinコレクションの聖書のコインと分銅の販売では、販売前の見積もりが99,000ドルでしたが、販売終了時には323,000ドルとなりました。これは予想の326%という驚異的な数字です。これらのコインの推定価値は100ドルから5,000ドルの範囲でした。このように、コイン市場の両端がこの高騰の影響を受けていることが分かります。」

 

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最近の発掘報告:2022/12/31

フェイクニュースの見分け方を磨こう

 我が国のマスコミに登場する評論家たちは、相変わらず米欧系のプロパガンダに全面的に依拠しているが、それを是正するうえでもロシア寄りの以下のような報道もあることを指摘しておく。両者を見比べながら今後の推移を見極めなければならない。たとえば今回のゼレンスキー大統領の訪米も、彼らにとってはウクライナ軍優勢で余裕があるからできたことという判断となるが、逆に切羽詰まった状況打開のためという見方もあるはずなのだが。そこまで行かなくても、共和党を軸にアメリカに援助疲れが顕著なことへの危機感があっての対応策には違いないが、そういう見立ては偉い評論家さんたちは触れていないようだし。

 以下の記事は今だと無料で読むことできる。

 2022/12/24:桝添要一「ゼレンスキー電撃訪米はウクライナ疲れの欧米を繋ぎ止められたか:ロシアのメドベージェフは習近平と会談、中国も「アメリカ覇権」は許さない」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73260)

 2022/12/23:高濱賛「米会議を虜にした千両役者ゼレンスキー大統領だったが・・・:米国内ではキッシンジャー博士の提唱する和平論くすぶる」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73243)

 2022/12/21:矢野義明「本格攻勢に出始めたロシア軍と崩壊寸前のウクライナ軍:損耗著しいウクライナ兵に代わりNATO軍兵士も戦闘参加」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73184)

 2022/12/19:The Economist(原記事掲載は12/17)「冬の戦争、迫り来るロシアの攻撃:向こう数カ月が正念場、ウクライナ軍司令官からの警鐘」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73174)

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