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最近読んだイタリア事情本

以前、以下の本について触れたことがあった。

  宮嶋勲『最後はなぜかうまくいくイタリア人』日経ビジネス人文庫、2018年

関連でその後以下を読んだりした。

  ディエゴ・マルティーナ『誤読のイタリア』光文社新書、2021年

  ワダ・シノブ=イラスト・文『いいかげんなイタリア生活』2022年

普通ステレオタイプ的に言われている「イタリア事情」よりも一歩踏み込んで、ひと味違う内容が多かったように感じた。また、主張に共通点もあるような。

ひと言で言えば、イタリア人といえども十把一絡げで表現できないほど「多様である」という当たり前の確認と、彼らイタリア人が最も重視しているのは「自分を主人公として育つ」ということのように思われる。特に、後者は日本人がもっとも苦手としている感性で、と十把一絡げでまとめると、ちょっとまずいような気がしてくるが、まあそんなところだろう。平均的なというより私のような昭和の平凡な日本人にとって、生き様として自己中心的にみえるイタリア人の言動って、ときに理解不能な理由もこのあたりに原点があるようで、納得。

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これからの研究テーマ腹案

 これは学界動向ではなく、個人的メモに過ぎない。

 人生の残り時間が少なくなっているという自覚があるにもかかわらず、あれこれ追究したいテーマが次々出てきてしまい、収拾つきがたい状況にあるので、それを整理しようというわけである。

1.エウセビオス研究の集大成:とりわけ後半生の教会政治家の彼をどう理解するか

2.オスティア・アンティカ研究:

  とりわけトイレ、フルロニカ、特に立ちション研究

3.ポンペイ・エルコラーノ研究

  a. トイレ、およびフルロニカ関係

  b. ポルタ・スタビアと港関係

  c. 落書き研究:「ポンペイ遺跡の謎を探る:(2) 」

4.女性史関係 

 a. モンニカとアウグスティヌス:「アルジェリア人アウグスティヌスの蹉跌と成功」

 b. ヘレナとコンスタンティヌス:「キリスト教徒ヘレナの虚実」

 c. 大メラニアなどなど

5.翻訳関係

 a. 『ローマ教皇列伝』関係

てっとり早く一月中に「3のc:落書き」をまとめ、ついでフルロニカに向かいたいが、来年4月にはアウグスティヌスがらみの講演会があるので、4のa を処理してから、来年後半はフルロニカ関係をまとめ、エウセビオス研究との絡みでヘレナ問題を扱う、という段取りかな。ま、予定通りに進むわけはないけど。

 なおこのたび、掲載雑誌の方針で2年間HPアップが禁じられていたミニシンポの論稿4点が本年9月に解禁されたので「西洋古代史実験工房」の「現地調査報告・学会発表」末尾に付加した。すなわち「『史学研究』第313号(2022/9/30)掲載論稿」である。

 同様の事情で、来年暮れには『西洋史学報』第50号(2023年11月)掲載論文「ポンペイ遺跡の謎を探る:(1) 船舶係留装置考」を掲載予定である。こういった段取りが我が国の古代ローマ史で普通になるのを期待している。

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ドラマと現実:「Code」と闇バイト

 偶然みたテレビドラマがなかなかだった。実社会で「闇バイト」がらみで最近やたらと変な事件が起こっている。そんなとき、「Code:願いの代償」の再放送を偶然見た。

 テレビを一緒に見た妻が「闇バイトと同じね」と言ったのだが、スマフォを介在させて確かに素人が殺人にまで関与するといった場面にも遭遇する。だからこれってえらくタイムリーというか、我が国での放映が昨年公開なので予言的内容とも思え、えっ、そのころからもう「闇バイト」が実際に問題になっていたのか、とともかく興味を持ったのでぐぐってみたら、原作は台湾で大ヒットした『浮士德遊戲(英題:CODE)』(2016年)、『浮士德遊戲2(英題:CODE2)』(2019年)とのこと。それを翻案した日本版は2023年12月に8回放映された(https://tver.jp/series/srfm3klyfx)。コードとは欲望のマッチングアプリで、それを使うと時として犯罪の任務が要求されるわけである。

 主演の坂口健太郎は、2018年に10回放映で「シグナル:長期未解決事件捜査班」に出演していて、なんだかその延長線のような感じ。あそこでは衛星無線電話のような機器で時空を越えての話が展開していた。ところで、この作品も韓国のテレビドラマのリメイクだったとは、なんともはや(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%AB_%E9%95%B7%E6%9C%9F%E6%9C%AA%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E6%8D%9C%E6%9F%BB%E7%8F%AD)。

 最近のテレビって再放送だらけでなんだかなと感じていたが、そのうえ企画力でも他国依存体質となると、我が国力・人力・智力が世界の現状況の第一線から後退している如実な現れのように思えてならない。こんな感慨も旧世代だからこそかもしれないが。

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トイレの神様?:Crepitus

 ひと昔前、「トイレの神様」という歌があった(2011年 植村花菜作詞作曲;歌詞:https://www.uta-net.com/song/89774/;動画:https://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooE)。なんでも最初からこの歌手って一発屋だろうというもっぱらの噂だったが、本当にそれっきりだった。しかも、今回全曲を聴いて実は死んだ祖母へのレクイエムだったのだということを知った。

 おっと、ここでは歌の話ではない。古代ローマ時代に、「トイレの神様」がいたらしい。こっちである。Crepitusという名前だそうだ。ポーランド人Jakub Jasinskiのブログ「IMPERIUM ROMANUM」(https://www.quora.com/q/imperiumromanum:2024/11/19)から知った。こういう情報ってウェブ以外では気がつかないし入手困難な気がする。でもウィキペディアにはCrepitus (mythology)の項目で登場していた。

 ただそれによると、古代ローマ文献や考古学的裏付けがなく、初期キリスト教文書に登場しているので、4世紀のキリスト教が多神教的な古代諸宗教を嘲笑するためでっち上げた「おならとトイレの神さま」、ということになっているようだ。むしろ周縁的な庶民の口頭レベルのマイナーな神さんだったのかもしれない。語源的には、「放屁」や「便秘」にかかわる、とかく物議をかもす音がらみから発生した神なので、そういった位置取りがいかにもふさわしいように思えるのだが。

 最古の言及は、偽クレメンス『諸認識』Pseudo Clemens, Recognitiones, V.xx らしい:

エジプトの偶像崇拝。「この神という言葉は神の名前ではないが、人間はそれを神の名として使っている。したがって、私が言ったように、非難の意味で使われる場合、非難は真の名を傷つけることを指す。要するに、天の公転と星の性質の理論を発見したと思っていた古代エジプト人は、悪魔が彼らの感覚をブロックしたため、伝達不可能な名前をあらゆる種類の侮辱にさらした。ある者は、アピスと呼ばれる彼らの牛を崇拝すべきだと教え、別の者は雄ヤギを、また別の者たちは猫、トキ、魚、蛇、タマネギ、排水溝、腹の捻れ音crepitus ventrisを諸神格と見なすべきだと教え alii … crepitus ventris pro numinibus habendos esse docuerunt.、そのほか数え切れないほど多くのものを、私が言及することさえ恥ずかしいほど教えた。」

 ウィキペディア情報によると(https://en.wikipedia.org/wiki/Crepitus_(mythology))、上記情報はアクイレイアのルフィヌス(なんと、エウセビオス『教会史』のラテン語翻訳者!)によるギリシア語からの翻訳でのみ残っていて、さらに「古代の異教徒が崇拝するさまざまなマイナーな神々に対する風刺という西方キリスト教の伝統の中にある。同様の文章は、ヒッポの聖アウグスティヌスの『神の国』やテルトゥリアヌスの『諸々の異教徒に向けて』Ad Nationesにも存在する」となっているが、最後の2名は、註記の箇所を繙いてみても、直接この放屁の神に言及しているわけではないのが物足らない。

Tertullianus, Ad Nationes, II.11:第 11 章 ローマ人は誕生、いや誕生前から死に至るまで神々を用意していた。このシステムには多くの無作法がある。
そしてあなた方は、かつてあなた方が知っていた、あなた方が聞いて触った、あなた方の間で肖像画が描かれ、行動が語られ、記憶が保持されているものの神性を主張するだけでは満足しない。しかし人々は、私が知らない無形の無生物の影や単なる物の名前を天の命で奉献することに固執し、子宮内での受胎から人間の全存在を別々の力に分割している。そのため、妾の生殖を司るコンセビウス神と、子宮内の幼児の (成長) を維持するフルビオナ神がいる。これらの後には、赤ん坊が生命とその最初の感覚を持ち始めるウィトゥムヌスとセンティヌスが続き、その役目によって子供は誕生を成し遂げる。しかし、女性が出産を始めると、出産にはろうそくの明かりが必要なので、カンデリフェラも助けにやって来ます。また、陣痛の段階で産む部分から名前をもらった女神もいます。一般的な見解によれば、同様に 2 人のカルメンタがいました。そのうちの 1 人はポストヴェルタと呼ばれ、内向的な子供の出産を助ける機能を持っていました。もう 1 人のプロサは、正しく生まれた子供のために同様の役割を果たしました。ファリヌス神は (彼が霊感を与えた) 最初の発言からそのように呼ばれ、他の人はロクティウスをその言葉の才能から信じていました。クニナは子供の深い眠りの守護者として存在し、子供にさわやかな休息を与えます。倒れた子供を起こすためにレヴァナがおり、彼女と一緒にルミナがいます。子供の汚れを掃除するために神が任命されなかったのは素晴らしい見落としです。そして、彼らの最初のおしゃべりと最初の飲み物を取り仕切るためにポティナとエデュラがいます。子どもに直立することを教えるのはスタティナの仕事であり、アデオナは子どもが愛するママのもとに来るのを助け、アベオナは再びよちよち歩きで出発するのを手伝う。それからドミドゥカ(花嫁を家に連れ帰る)と、心を善にも悪にも左右する女神メンズがいる。同様に、意志を制御するヴォルムヌスとヴォレタ、恐怖の女神パヴェンティナ、希望の女神ヴェニリア、快楽の女神ヴォルピア、美の女神プレスティティアがいる。それからまた、ペラゲノールは、男たちに仕事のやり方を教えることから、コンススはその名を冠している。ユヴェンタは、男らしいガウンを着るガイドであり、ひげを生やしたフォーチュンは、成人したときに運命づけられる。結婚の義務について触れなければならないとすれば、アフェレンダがいて、その定められた役割は持参金の提供を見届けることであるが、くそったれだ! ムトゥヌス、トゥトゥヌス、ペルトゥンダ、スビグス、女神プレマ、そしてペルフィカもいる。ああ、厚かましい神々よ、自分を甘やかしてくれ! 結婚生活の秘密の闘いに誰も立ち会わないでくれ。そのように願うごく少数の人々は、喜びの真っ只中に恥ずかしさで顔を赤らめて立ち去るのだ。

Augustinus, De civitate Dei, IV.34:第 34 章  唯一の真の神によって創設され、彼らが真の宗教に留まる限り神によって保持されたユダヤ人の王国について
したがって、より良いものを想像できない人々が渇望するこれらの地上の善良なものは、ローマ人がかつて崇拝に値すると信じていた多くの偽りの神々ではなく、唯一の神自身の力の中に留まることが知られるように、神はエジプトで彼の民(ヘブライ人)を非常に少数から増やし、素晴らしい兆候によって彼らをそこから救い出した。彼らの子孫が信じられないほど増えたとき、彼らの女性たちはルキナに祈ることもしなかった。そしてその国が信じられないほど増えたとき、神自身が彼らを救い、彼らを迫害し、彼らのすべての幼児を殺そうとしたエジプト人の手から彼ら自身を救った。彼らはルミナ女神なしで乳を飲み、クニナなしで揺りかごに入れられ、エドゥカとポティナなしで食べ物と飲み物を取り、それらすべての幼稚な神々なしで彼らは教育された。彼らは結婚の神々なしで結婚した。プリアポスの崇拝なしで夫婦関係を持った。ネプチューンの祈りなしでも、分かれた海は彼らが渡る道を開き、追いかけてきた敵をその波で圧倒した。彼らは天からマナを受け取ったとき、女神マンニアを奉献しなかった。また、喉が渇いたときに打たれた岩が水を注いでくれたとき、ニンフやリンパを崇拝しなかった。彼らはマルスとベローナの狂気の儀式なしで戦争を続けた。そして、確かに彼らは勝利なしに征服することはなかったが、それを女神ではなく神からの贈り物とみなした。セゲティアなしで収穫があり、ブボナなしで雄牛があり、メロナなしで蜂蜜があり、ポモナなしでリンゴがあった。つまり、ローマ人が偽りの神々の非常に多くの群衆に懇願しなければならないと考えていたすべてのものを、彼らは唯一の真の神からはるかに幸せに受け取ったのである。そして、もし彼らが不敬虔な好奇心で神に対して罪を犯さなかったなら、その好奇心は彼らを魔術のように誘惑し、異国の神々や偶像に引き寄せ、ついにはキリストを殺すに至らせたが、彼らの王国は彼らのものとなり、ローマの王国よりも広大ではなかったとしても、より幸福なものであったであろう。そして今や彼らはほとんどすべての国や国々に散らばっているが、それは唯一の真の神の摂理によるものであり、偽りの神々の像、祭壇、森、神殿が至る所で倒され、彼らの犠牲が禁止されているのに対し、彼らの書物から、これはずっと以前に彼らの預言者によって予言されていたことがわかる。おそらく、彼らの書物が私たちの書物で読まれたとき、私たちの創作物と思われないようにするためである。しかし今は、次に続くことは次の書物のために残しておくとして、ここではこの書物の冗長さに限界を設けなければならない。

 我が国でも下世話に、「出物、腫れ物、所構わず」というではないか。放屁やトイレに神がいるのは、時代や場所を超越して実生活での言い訳・潤滑油だったのだろう。

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今日の古代ローマ金言:安全に生きようと思えば、貧困であれ

プブリウス・シルスPublius Syrus:Publilius とも(紀元前 1 世紀) : ローマのパントマイム演者で警句作家:

「貧困を知ることは安全に生きることだ」[Misereri scire sine periclo est vivere]

  • 出典: Publilius Syrus、Sententiae

今頃になってこの人物を知った。一世を風靡しただけのことはある。かなり皮肉屋の、民衆の喝采を浴びる警世家、今で言うピン芸人というべきか。奴隷出身だったことも、古代ギリシアのイソップ(アイソポス)と似た境遇であった。なのに、なぜか未だまとまった邦訳がみあたらないのはどうしたことか。以下で129見ることができるらしい:https://todays-list.com/i/?q=/%E3%83%97%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%B9/1/1/

 同様に気に入っている彼の格言に以下がある。「人は論じすぎて、真実を見失う」

追記:発注していた本がようやく届いた。2025/1/28

英訳で、なんと1087の警句が掲載されている

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古代ローマのパンのレシピ

https://imperiumromanum.quora.com

本物のローマのパンのレシピ 2024/12/9 Imperium Romanum情報

1930年、ヘルクラネウムで西暦79年頃の挽いたパン(パネ)が発掘された。2013年、大英博物館はシェフのジョルジョ・ロカテリGiorgio Locatelli にローマのパンのレシピを再現するよう依頼した。

ローマのパンを作るには、次のものが必要である。

サワードウsourdough(次に焼く時のために残しておく、発酵させた生のパン種)400g、

塩24g、

水532g、

スペルト小麦粉405g、

全粒小麦粉405g

サワードウを水と混ぜる。2種類の小麦粉を混ぜて水溶液に加える。2分間混ぜる。塩を加えてさらに3分間混ぜる。生地を丸く形作り、1時間放置する。生地を紐で巻いて形を保つ。オーブンで膨らみやすいように、生地の上部を数か所切る。200°Cで30~45分間焼く。

【追記】我が国でも国産品のスペルト小麦粉は手に入る。私は滋賀県産のパンを時々購入している(http://daichidou.com/)。しかし今は休業中みたい。

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最近の考古学情報

 今回は盗掘グループ関係の情報が多かった。

◎古美術品密売集団摘発:2024年12月9日

https://www.thehistoryblog.com/archives/71860

◎国家的に重要な青銅器時代の財宝を略奪者から回収:2021年11月28日

◎盗掘者から押収されたエトルリアの石棺と壷:2024年11月20日

https://www.thehistoryblog.com/archives/71682

 そんな中で、カラバッジョ・ファンには特大ニュースも。

◎カラバッジョの未公開肖像画の期間限定展示:2024年11月23日

◎ フランクフルトの墓でアルプス以北のキリスト教最古の証拠が発見:2024/12/14

Oldest evidence of Christianity north of the Alps found in Frankfurt grave

 この最後の話題については別稿で触れたい。さてその時間があるかな。

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アメリカ民主主義とはなにか

 日本がお手本にしてきたアメリカに関して、あれれと思うことが最近目立ってきた。

 ◎建国の偉人たちは奴隷制を容認していた。https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1f77f8c4829a5469a475645c9788af4ca085e86e

 ◎【「男性優位社会」アメリカ】:論より証拠、女性大統領がいまだ誕生しない国
https://miu.ismedia.jp/r/c.do?2nAB_kmC_4fB_sds

 ◎議会襲撃事件参加者へ恩赦を就任初日に与えるトランプ、次男に恩赦を与えたバイデンも同罪か?    https://wedge.ismedia.jp/articles/-/35980

 以前にも紹介したかもの地図を掲載しておこう。典拠は以下:「世界人口の71%が「独裁に分類される国に住む」という衝撃」https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/f449889e876d8789b92f05ec4388f92cdd2d608c

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「グラディエーターII」を見てきた

 11月15日から公開上映が始まっているのは知っていたが、あれこれ多忙な日々が過ぎ、数日前ようやく思い立ち近所のユナイテッド・シネマでみる気になってググってみたらなんと翌日の12/12が最終上映になっているではないか! あわてて予約して行ってきたのだが、なんと上映は21時25分から0時25分までの一日一回のみ。要するに、約1か月間の、おそらく深夜に一回のみの上映だったわけだ。ちなみに12/11の上映を見た観客は私以外は2名しかいなかった。https://gladiator2.jp/

 そのうえ受付でパンフないのかと聴いたらあっさり「ありません」といわれてしまった。パートIの時とは大違いだ。

 そのパートIの上演は2000年だったから、パートIIができるまで、実に24年が経過していた。連続して登場した数少ない俳優のうちの一人に、ルキッラ役のコニー・ニールセンがいたが、実年齢で35歳から60歳寸前になっていたわけなのである。さすがに往年のオーラは失せてしまっていたが。

 さて今回の内容だが、ローマ軍に敗れて捕虜になったヌミディア兵の中にいたのが、実はルキッラの息子ルキウスで、叔父の皇帝コンモドゥスの死後、命の危険を案じた母に言い含められて姿を消して(ここらあたりの設定はフィクションとはいえ極めて苦しい)、流浪の末にヌミディア反乱軍兵士になっていたらしい。彼が今回の主役となるわけだ。

 冒頭の回顧場面で、前回主役のラッセル・クローのマクシムスがコロッセオでの死亡直前にルキッラと謎の問答をしていた箇所が出てくる。「ルキウスは?」「無事です」。

 私は前作を何度も見たあと周辺情報を求めてかなりググっていたのだが、その中で「後日談」ならぬ「前日談」を英語から翻訳しているウェブを見つけて、熟読したことがある(ウィキペディア情報によると「映画本編の序章部分」の映画化の構想もあった由なので、そのシナリオだったのかもしれない)。今でも私の古いパソコンのハードディスクか、保存用メディアの中にそれは眠っているはずだが、そこではマクシムスが皇帝の娘ルキッラと通じていた過去があり、そこで得られた子供がルキッラが嫁いだルキウス・ウェルスの遺児として育てられていたルキウスだった、というかなり込み入った伏線が張られていた。それを知って映画を見直すと思わせぶりなパートIの諸場面の謎もすべて解けてくる。それが今回冒頭の回顧場面での問答の真意、種明かしされているわけだ。

 史実では、ルキッラは皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスの次女として149年に産まれ、14歳でルキウス・ウェルスと結婚し,3年後に一女をもうけたが、ルキウス・ウェルスの死後二度目の結婚を20歳の頃Pompeianusとし、翌年あたりに一人の息子を得ていた。だが弟のコンモンドゥス皇帝によって、彼女は181ないし182年にカプリ島に追放されそこで暗殺されている。享年32, 3歳の生涯だった。

 パートIIの該時代の皇帝はカラカッラとゲタで、映画ではたしか双子となっているが、史実では1,2歳違いの兄弟で、211年はじめの父帝セプティミウス・セウェルスの死後、年末にゲタは23歳で兄によって暗殺死させられている。かねて兄弟の仲は悪かった。なのに映画では二人とも共同統治者として登場、しかも不気味な白塗りの顔で露骨に同性愛者風に描かれていて、違和感満載である。

 そこに狂言回しに、北アフリカ人で奴隷商人ないし剣闘士育成業者マクリヌス役でデンゼル・ワシントンが暗躍する(私は、同名皇帝を想起させるこの命名にはいささかひっかかってしまう:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/112200634/?n_cid=nbpnng_mled_html&xadid=10005)。前作と同様一貫して不甲斐ない立ち回りを演じさせられているのが元老院議員たちで、またもや安直な反乱計画が露見して、ルキッラも逮捕される。それを救うのが剣闘士たちの反乱と、オスティアから駆けつけるローマ軍団だ。彼らの合い言葉は「力と名誉を」Power and Honor で、だがしかし彼らが目指すのは暴力的な軍事力を背景にした古き良き共和政の復活、なのである。

 これを見ていて、私には監督リドリー・スコットの意図が透けてみえたように思えた。これではまるでトランプの主張ではないか。たとえ監督にその意図がなかったにしても、視聴者をそちらへの共感に誘導していないと言えないだろうか。それはアメリカの現実ではあるが、それでいいのか。いや未来展望が開けるのだろうか。私にはそう思えてならない。

 

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