カテゴリー: ブログ

史料論:庶民と法律

 母が今年の初め2/11に亡くなって、その後始末で翻弄されている。法律的には申告期限が決まっていて、慣れていながゆえにやたらストレスとなる。たとえば、死亡時から4か月以内に「準確定申告」をしなければならない。ところが取り紛れて気付いたときには4か月過ぎていた。慌ててこれまで広島の実家がらみの確定申告でお世話になっている税理士事務所に「どうしたらいいのですか」とメールしたら、「お宅の場合、最初の二ヶ月足らずだから放っておいて大丈夫でしょう」と言われて肩すかしの一件落着。

 次なるそして最大の関門は10か月以内に手続きしなければならない相続税の申告であるが、その前段階として銀行口座の凍結をしなければならない。そのためには、母の除籍された戸籍謄本や住民票が銀行ごとにいちいち必要らしいので、ノウハウ本に書かれてあった「法定相続情報証明制度」を利用することにした。これだと謄本とかがワンセットで済むという触れ込みだったからだ。

 この「証明」のコピーを入手するためには関連の書類を揃えて法務局に提出しなければならない。母の場合は提出先は広島法務局である。この法務局にはもうひとつ用事があった。相続財産の財産目録作成のため必要な書類として、土地・建物の登記状況を把握しておかないといけない。そこで猛暑の今夏に帰省して、広島法務局を訪ねて行った。もちろん生まれて初めての体験である。案内図を頼りに汗だくになりながら街中をうろうろし、くたくたになりながらようやく建物に到着、冷房に生き返り申請用紙を提出して待っていると、呼び出されて「その地番、ないのですが」と。そこで私は「地番」という呼称があって、それは本籍地の表記とは異なっていることを、初めて知った。本籍地は広島市西区○○町三丁目530番地○なので、それで申請したのだが、その付近の平面図を示されてそこが「地番」としては三丁目112番△、であることを初めて知ったのである。これまでの私の生涯70年間で地番はまったく関係なかったのだから,知るよしもない。

 こうしてなんとか登記簿の写しを入手し、次いで「法定相続情報証明制度」の窓口へ。窓口のお役人たち(みな女性だった)は親切であった。そこでもっとも大変なのは母の出生から死亡までのすべての戸籍謄本を集めることですよ、とご指導をいただき、手順を書いた説明書や申出書をもらって、こっちは後日郵送で処理すべく、また湿気のひどいいかにも広島らしい真夏の午後の外気に放り出された。

 もう一人の相続人の妹は手回しよく関係書類を準備してくれていていた(実際は、経験あるご主人の手をわずらわせていたのであろうが)。さらにメールで母の実家の従兄弟に母の両親の名前を問い合わせたうえで、広島西区役所にいく。そこでかなり待たされて除籍謄本と2通の改製原戸籍なるものをまずゲット(私と母の関係を証明する書類が必要なのはいうまでもない)。次の日に、母の出生以来の古い戸籍を得るために、郵送でも可なのだが、帰省ついででもあるし、いっちゃえという感じでJR山陽本線に乗って東広島市役所へむかう。ここではそう待たされなかったが,ぶ厚い(田舎なので子供が多かったせいだろう)2通を受領することに成功。以上、再度足を運ぶ手間を考えて,上記すべて3通入手申請したので、予想外に費用がかかった。

 こうして、帰京して今度は練馬区役所に行き、自分と母の住民(除籍)票とか関係書類を揃え、返信用封筒に念のため簡易書留料金の切手を貼って広島法務局に送付したのは、月曜だった。さていつ返信が帰ってくるのかと思っていたら、木曜の朝に電話があり、書類関係は揃っているが「法定相続情報一覧」に不用な記入があるので出し直してほしい、と。で,何が不備だったかというと、住民票通りに書いて欲しいので、マンション名とか削除して下さい、と。練馬区ではなんかの時にマンション名まで書けといわれた記憶あったのでそうしたつもりだったのだが、役所が違い担当が違うとこんな調子で、ストレスとなる。

 それから10日もたったころだったろうか、文科省科研の現地調査で渡伊する直前に、法務局お墨付きの「証明」書類のコピーが届いたので(ご丁寧にも戸籍謄本などの提出書類も同封返還されていた)、2週間ほど間を開けて帰国してから、こんどは個別に銀行と接触。ところが、ゆうちょの場合、ご近所の窓口で「一番簡単な方法をとりましょう」といわれて、なんと解約関係の書類を渡されてしまった。あれれ、凍結しないでいいいの?という感じ。で後日改めて解約の書類を提出したが、あれほど手間かけた法務局の「証明」書類は不要、と言われて突っ返されてしまったのであ〜る。そのうえその場で貯金残高全額が払い戻されたのであ〜る。本当は喜べばいいのあろうが、なんだかうれしくないのはどうしたことか。貯金残高が少ないせいでの簡易処理だったのかもしれないが、狐につままれた感じだった。

 残りの2つの大都市銀行の預金凍結は、まずその担当窓口に電話かけて書類送付をお願いし、届いた書類を送り返した段階だが、そこでも法務局の書類のことにはまった触れられておらず、あれこれの書類を集めて提出のこととされていたが、今さら戸籍謄本類を同封する気にはならず、法務局の「証明」書類を封入して送り返した。あと、実印の押印と印鑑証明が要求されたので、こんなこともあるだろうと練馬区役所で入手しておいたものを同封した。電話連絡時に、いずれも手続き完了に1,2か月かかりますと言われたが、さて書類不備で返ってくるのかどうか、あちらさんのご都合待ちの昨今だが、こうしてまあ一応この仕事は官僚、もとえ完了となった次第。

 明日から数日また帰省する。今回はいよいよ土地・宅地の相続関係だが、これまで確定申告でお世話になっている税理士事務所に行って、相談する予定である。私の勝手な計算だと遺産相続で納税のレベルに達しないですみそうなのだが(基礎控除3000万+600万×相続人数、の枠内で収まりそう;それ越えた場合の、妻の弟から裏技を伝授されていたのだが、不発ですみそうなのは喜んでいいのかどうか,国家権力からは問題にされていない存在として認定されたようで,ちょっと微妙な感想なのである)、その後の名義変更手続きをどうすれば節税できるのか、がど素人相続人の目下の問題なのだ。

 かくの如く、とかく法律というものは庶民にとって常日頃の日常生活とはかけはなれ、しかも法的定めと窓口の対応も個別的に違っているようで、ますます素人にはとまどうことばかり(せっかくそろえた書類を不用、と突っ返されることも多い)。そこでリタイア歴史家として体感するのは、法律の条文で過去を再現することの非現実性である。たとえそういう原則はあっても、その通り運用されていないことが多いのが現実、という体験を古代ローマ法制史研究に投入している研究者がどれほどいっしゃることやら。歴史の目的は、かつての実際の生活の再現であると私は思っているが、史料不足を口実に(その実、手軽だからと私はにらんでいるのだが)、たまたま残存しえた法律文言を金科玉条のごとく振りかざす研究者のいかに多いことか。ありもしない仮想現実を作りあげて悦に入っている場合ではないのだが。それが実態とは乖離した古代ローマ史ムラでの身内意識のなあなあのお遊びに堕していないことを、過去の自分の生き様を含めて今は祈るばかりである。

【追伸】先日、ひとつの都市銀行から返信が届き、代表人の私の口座に残金を振り込みますとの連絡があったと思ったら、もう一つのほうからも、こっちは若干面倒くさく、私の口座に移行するから振込先を書類に書いて(通帳とカードも返還せよ)、もう一人の相続人の妹の実印登録証と押印した書類を送り返せ、という一件書類が届き、妹へ送って登録証をとってもらったり、書類に押印してもらったりして、返送した。預金の処理はこれで一件落着のようである。あとは、遺産登記の変更で、今年中に済ませれば、広島市から来た書類も提出しないですむようなので、11月中に動きだそうと思っている。

【付論】以下はイタリア(といっても,中南部に限っておいた方がどうしても無難な気がする(^_^;)での私の体験なのだが、まあ現代イタリア人というのはこまめというか、事前に規則はこまごまときちんと作るのだが、実際にはそれはすぐさま反故にされてしまっている事例に日常体験的によくぶつかるのである。結論を先に述べると、この現代イタリア人の規則に対する民族的特性・習性、規則は作ってもすぐさまお上は励行しなくなる,それで誰も守らなくなる、要するに実効性を持たない法律の文言だけが六法全書や判例集に残る現実を、なぜ古代ローマ人に応用していけないことがあろうか、と私は言いたいのである。素人が思うに、イタリアでは何か不都合が生じたら後追い的に法律を気軽に作る、でもそれが適用される事例なんてそうあるわけでないので、発布と同時にほとんど無視される、こんなことの連続なんではないかと。日本人風(というか研究者にありがち)に法律を律儀に考えていると間違う、ような気がする。ローマ法の研究者さんにお聞きしたいことである。

 たとえば、あれは大聖年2000年を前にして、これまで長年閉鎖されていたパラティヌス丘収蔵庫が博物館として新装開店した。この時は無料だったが、入り口に向かう階段前に麗々しく大きく掲示されて目についたのは、入場にさいしての見学者と見学時間の制限規則で、たとえば、10時半から10時50分まで20人、といった調子で、ご丁寧にも開館時間から閉館時間までそれがずらーと掲示されていたのだった。入り口の外にはちゃんと監視員がいて(そこまではごリッパ)、だけどまあ人数や時間をチェックしている様子はなかったのでそのまま入場できて、その時は地下からじっくり時間かけて見学させていただいた。ここでの私にとっての目玉は「冒瀆の十字架」だったのは言うまでもない。もちろん初見参できて大感激だった。当時は館内にも複数の監視員がそれなりにいて、偏屈そうな東洋人が一箇所にへばりついているので警戒されてはと思い、何度か行きつ戻りつして見学したが、今考えるとそれも十分怪しい行動ではあったなあ。で、本論はこれからで、翌年もその後も毎年のようにもちろん見学に行ったのだが、その時は例の掲示板はそのまま健在だったが、入り口の外に監視員はいなくなっていた(例のごとく、入り口の内側に所在なくお一人お座りにはなっていた)。要するにまったくのフリーパスだった。そしてその翌年くらいだったろうか、掲示板の時間制限の箇所にビニールテープが貼られ出して、おやおや掲示板だけはまだあるんだ〜と思いながら通うこと数年、とうとう掲示板そのものも引退されたとみえ、ようやくお姿をお消しになったのであ〜る。

これが件の掲示板(2005/9/10撮影):上の方、ビニールテープ貼っているが、うっすら入場時間が透けて見えるでしょ。その下の細かい人数と時間制限もお見落としなく。

 もう一つの事例。数年前のことだったか、「法律で、今度から博物館や遺跡には一定以上の大きさのバッグはしょって入れず、荷物置き場に預けなければならなくなった」という情報が私の耳に入ってきた。このころになると私など「おいおい、そんな場所、入場者多いポンペイなんかどこに作るというの、人員だって割けないでしょ。また計画倒れだよね」と冷静で、実際いってみても従来通り。唯一エルコラーノ遺跡だけは、観光バス用の駐車場ができたせいで事務棟が奥まった所に新設されたこともあるのだろうが、荷物置き場も作られ職員も一名いらっしゃり、遺跡入り口のチケットチェックの場所にはその掲示も未だある(初年度に比べるとだいぶ小さくなったが)。でもまあ、チケットチェックの監視員さんも法律どこ吹く風とばかりチェックされることは最初からない。今年の夏、荷物置き場と係員さんまだいたが、えっ、と驚きやっぱりねとこれは残念に思ったのは、遺跡構内の博物館グッズ売り場が閉鎖されていたことである。立派な建物は今は空き屋となっている。今年は寄らなかったのでわからないが、ポンペイ遺跡だとスカーヴィ入場口のトンネル横に最近できた売り場はまだ健在なのだろうか。こうなると、国立ナポリ博物館で入手するよう算段したほうが安全な気がする。

【補論】今年の夏の新ならず旧発見。ポンペイの円形闘技場入場口にはこれも3,4年前に作られた「石膏像死体の展示場」二棟がある。ローマのサン・ピエトロ広場を囲む円柱廊よろしく、左右に湾曲して1つずつあるが、これも片方だけと記憶しているが中に入れたのは最初だけで(私は入った)、今は外から汚く曇ったガラス越しにしか覗けなくなっている(光って見えづらいので、なんのための展示やら。入り口に向かって左側のもう一棟は物置となっている)。そして今年同行者と落ち合う待ち時間のとき所在なく、左側に貼られていた小さな掲示を見るともなくみていたら、なにやらここに荷物置き場があると書いてあるではないか。それ読んで、でも例のごとくもはや掲示倒れだろうなと思ったのだが、そうこうするうちに、乳母車の赤ちゃん連れの夫婦が遺跡から出てきてあれこれ騒ぎだし、クストーデ(番人)風の男性が鍵を持ってやってきて扉を開け、夫婦だけ二人が中に入って(番人じゃナシに!)ショルダーバッグを持ち出したので、クストーデ部屋に頼めば制度そのものはまだ生きていることを確認できた。しかしそれが見学者からの申し出による措置となっているのは、預けている人がごくごく限定されている様子から明白で、さて、これさえいつまで続くのだろうか。というより続いてほしいものだと思う。

Filed under: ブログ

HerculaneuminPictures、そしてPompeiiinPictures:遅報(13)

 今年の夏の現地調査は、エルコラーノでは我々は空振りだった。現地考古管理事務所の調査許可が我々の滞在期間には間に合わず、我らは一般観光客として入構するしかなかったのだ。それでも沈船博物館が開いていたし、折から開催されていた展示会に遭遇することができて、新収穫なしというわけでもなかった:私の最近の最大の注目場所「200年祭の家」Casa del Bicentenarioはまだ修復中だったし。

 ところで、10/3段階での情報によるとようやくエルコラーノの調査許可が出たそうで、今回はIV.1-2のCasa dell’ Atrio a mosaicoに入るようだ。ここはこのところずっと修復中で閉鎖されていた。それで今般検索かけたら、なんと標記のHPが新たに立ち上がっていて驚いた(HerculaneuminPictures:2018年5月かららしい)。これは表題からしてこれまでよく利用してきたPompeiiinPicturesの姉妹編で、同じ人たちJackie and Bob Dunnさん(ご夫婦かな)が作成されている。それもあって、元のポンペイのほうも覗いてみたのだが、なんと私にはよく理解できない理由なのだが、とにかくEUからイギリスが離脱したら、このHP、来年の1月1日をもってイギリス以外の者はみることできなくなるとの告知がされていて、かなりショック。これまでたいへん重宝してきただけに、これが本当なら大変残念なことです。

【後日談】偶然見つけた以下の2019/11/1のブログで最悪の情況は避けられたことが判明した:http://bloggingpompeii.blogspot.com/

【余談】ところであれこれ検索していたら、なななんと、我らがこっち方面でお世話になっている現地通訳女史がいつの間にかHPを、そして私が201△年に調査で入ったときのことを若干詳しくアップしておられました(そこの紹介はまだ時効でないので、パスしておきます。というのは、調査そのものは問題ないのですが、その中で、当方が申請もしていなかったのに、通訳女史が「みたい!」とお願いしたら、案内してくれていたベテランのクストーデ(鍵の管理人)さんいとも簡単にかぎ取って入れてくれたのが、なんと驚きの「パピルス荘」だったのです。これがイタリア! 頼むのが男だとこうはいかない、と一応やっかんでおこう。彼は、そこで発掘品の整理していたボローニャ大学のメンバーにも紹介してくれました(女性ばっか10名あまり。東洋人もいらっしゃった。中国系かな;遺跡の中では別行動の3人の男性メンバーにも遭遇して、握手)。
 いつも許可を取るのには苦労しているのですが(といっても、現地遺跡管理事務所との交渉で悪戦苦闘しているのは通訳女史なんですが:本当に感謝しないといけませんよね)、お役人のお偉いさんではなくて、現場の人たちの中にはこんな親切な人もいるのです(怖いよね)。逆にいうとこれまでの体験から、両者の間には深い断絶がある感じです。

 こっちは、公表していいかな。https://www.piazzaitalia.info/

 エルコラーノの許可とれなかったので、彼女が気配りして代わりにと紹介してくれたのが、ナポリ市内のアウグストゥスの水道渠遺跡。これの記事その気になったら書くかもです。それには東大のソンマ発掘地見学にも触れないといけないかな。

【追記】2020/3/22に試しに「PompeiiinPictures」に行ってみたら、健在でした。というより2月からエルコラーノやスタビアなどポンペイ周辺の遺跡すべてを含めて再出発していた(https://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/index.htm)。これで一安心。とりわけポンペイの新発掘「V」が詳細に公開されていて壮観。まだ一般公開されていないので、ありがたいことだ。それにしてもこの公表状況は、公式HP以上のすばらしさで、どうすればこんなことできるにか、不思議でしょうがない。よほどの信頼関係あるのだろう。

Filed under: ブログ

やっと入手した文献、されど・・・

 2001年に出版された本をずっと求めていた。数年前にその存在を知ってから、古書検索して継続探査かけてきた。私が学位をいただいたテーマでの書籍だったので、なんとしても入手したかったものだ。著者のZahran女史は大学教育こそアメリカのコロンビア大学とイギリスのロンドン大学で、学位はフランスのソルボンヌ大学で取得したらしいのだが、生まれはイスラエルの版図内のパレスティナのRamallahなので、かのローマ皇帝と同郷というわけではないが、まずこれまでの研究者ではもっとも現地に近い出身、という点だけは間違いない。

 Yasmine Zahran, Philip the Arab : A Study in Prejudice, London, 2001, Pp.154.

 彼女は他にも、おなじころセプティミウス・セウェルスの伝記を書いていて、そっちの古書はまともに入手できたが、しかしどうしたことかフィリップス・アラプスのほうはなぜか手間取って、注文先の古書店からキャンセルしますか、継続しますか、と何度も問い合わせが届いていた。その度に継続お願いしますとやってきた。もう15年以上昔の出版なので絶版は当然としても、ハードカバー以外に紙装版も出ていたようだし、イギリスでの出版物が古書でもなかなか手に入らないのはどうも腑に落ちないのだが。先般渡伊中にまた問い合わせがあったので、試しにBookfinderで久々に検索してみたら、イギリスの古書店が出品していた。それで先のをキャンセルして改めて発注したのだが、問題はその値段で、$16.31の郵送料込みでなんと$700.60だったことだ。

 年金生活者にとってはとんでもない高価な買い物だったが、思い切って購入することにした。渡伊から帰ってきて、送られて来ていたモノをみれば、それほど高度に学術的な体裁とは思えない(史料もほぼ現代語訳使っているし)、ただアラビア語文獻も使っているようなので、これから読むのが楽しみなことではある。ただ処理する順番としてはかなり順位が落ちるのであるが。

 ところで、これには予期せぬ落ちがついてしまった。さっきOPACで検索かけたら、なんと筑波大学図書館が所蔵していたのである・・・。なんともはや、いや昔だって調べたはずだから、その時はなかったのでは・・・、こら、ぼけとんのか、という次第。大学間貸借で借り出して実物みたら、ぜったい購入する気にはならなかっただろうから、なおさらである。

 しかしともかく、ハードカバーのものなので、いずれ図書館に寄贈しようと思っている。なにしろ、7万円超の稀覯本なのであるからして。後続の研究者よ、是非利用して下さい。とほほ・・・

Filed under: ブログ

2015年以降の私の研究業績リスト続編

 私が大学に勤務していたとき、「西洋古代史の部屋」と銘打ったHP掲載を許されていた。退職後にそれは当然すぐに消えると思い、前もって現在の「残照の古代ローマ」に主な記事を移動したのだが、なぜか元のHPも未だ生きている(2024年1月にお願いして削除した)。ただ「プロフィール&研究業績」は2014年段階から更新していない。退職時に『上智史學』62, 2017, 5-10に「研究業績」が掲載されてはいるが、アクセス・データを見ていると時々HPの「研究業績」をご覧になっている人がいるので、その後を含めてここに追加リストを掲載しておくのも無意味ではあるまいと考えた(直接HPを修正すればいいようなものだが、私にとって簡便でないので、すみません)。連番はHPからの継続である。

【著書・共著・編著】

14.「はじめに」;「記念建造物の読み方:コンスタンティヌス帝の二大建造物をめぐって」;「あとがき」豊田編著『モノとヒトの新史料学:古代地中海世界と前近代メディア』勉誠出版, 2016年, iii-iv, 72-92;255-256.

15.「『七賢人の部屋』のフレスコ画をめぐって:トイレ,食堂,居酒屋,それとも脱衣所?」;「聖モンニカ顕彰碑文とオスティア」;「あとがき」坂口明・豊田編著『古代ローマの港町:オスティア・アンティカ研究の最前線』勉誠出版, A cura di Akira SAKIGUCHI e Koji TOYOTA, La città portuale di Roma antica:la prima linea della ricerca di Ostia Antica, 2017, 133-192; 285-296;399-402.

16.「北アフリカ、キリスト教からイスラームへ:研究の現状と問題点」三代川寛子編著『東方キリスト教諸教会:研究案内と基礎データ』明石書店, 2017, 498-507.

17.「人間アウグスティヌスを『告白』から探る」上智大学文学部史学科編『歴史家の調弦』上智大学出版, 2019, 217-235.

【学術論文】

47.翻訳(共訳:豊田, 任海守衛, 小口昌宏, 林俊明, 石川柊, 桒原真由美, 神津佳於里, 三井優一, 江添誠, 藤澤綾乃, 田之上優弥, 武田与史記, 元川士郎)「アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』翻訳(1)」『上智史学』第60号, 2015年, 67-93.

48.翻訳(共訳:豊田, 桒原真由美, 生田初音, 林俊明, 藤澤綾乃, 三井優一, 江添誠)「アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』翻訳(2)」『上智史学』第61号, 2016, 147-166.

49.翻訳(共訳:豊田, 桒原真由美, 生田初音, 林俊明, 藤澤綾乃, 三井優一, 江添誠)「アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』翻訳(3)」『上智史学』第62号, 2017, 177-188.

50.「特集にあたって」;「三一二年のコンスタンティヌス軍」『軍事史学』54-2, 2018, 7-13;99-118.

51.翻訳(共訳:豊田, 桒原真由美, 林俊明, 三井優一, 江添誠)「アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』翻訳(4)」『上智史学』第63号, 2018, 105-122.

52.翻訳(共訳:豊田, 桒原真由美, 林俊明, 三井優一, 江添誠)「アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』翻訳(5)」『上智史学』第64号, 2019, 79-102.

【その他(書評等)】

31.「古代ローマ・トイレの落とし穴」『日本トイレ協会ニュース』No.15-1, 2015, 2-8.

32.「古代ローマ・トイレの落とし穴」『日本トイレ協会ニュース』No.15-2, 2015, 11-17

33.「裏切り者は誰だ!:コンスタンティヌス勝利のゲスな真実」『地中海学会月報』389, 2016, 4.

34.「自著を語る81『モノとヒトの新史料学:古代地中海世界と前近代メディア』勉誠出版」『地中海学会月報』393, 2016, 7.

35.豊田,坂井聰,坂田道生「石川氏のご批評に答える」『かいほう』No.130, 2016, 5-6.

36.豊田・堀賀貴監修・資料提供「最強!トイレ伝説第2回古代ローマ」『チャレンジ4年生わくわく発見BOOK』5月号, 2017, 12-13.

37.「書評:ジョイス・E・ソールズベリ著(後藤篤子監修・田畑賀世子訳)『ペルペトゥアの殉教:ローマ帝国に生きた若き死とその記憶』」『史林』102-4, 2019, 91-97.

38.「表紙説明 地中海の<競技>16:古代ローマの拳闘」『地中海学会月報』435, 2020/12, 8.

【学会発表等】

48. 奥山広規・西山要一・豊田「オスティア・アンティカ『七賢人の部屋』の文字調査報告」広島史学研究会大会, 平成27(2015)年10月25日, 広島大学(東広島市).

49. 奥山広規・西山要一・豊田「The Dipinti Survey of Ambiente dei Sette Sapienti at Ostia Antica (prompt report)」第2回連続国際シンポジウム「古代ローマの都市と建築:オスティアにおける都市、建築研究の最新動向」, 平成27(2015)年11月15日, キャンパスプラザ京都(京都市下京区).

50. 奥山広規・西山要一・豊田「オスティア遺跡『七賢人の部屋』の文字情報をめぐって」上智大学史学会大会, 平成27(2015)年11月22日, 上智大学(東京都千代田区).

51. 臨時司会(発表者:向井朋生・奥山広規)「文字史料 vs 考古資料:オスティア・アンティカ『七賢人の部屋』を例として」第66回日本西洋史学会古代史部会, 平成28(2016)年5月22日, 慶應義塾大学三田キャンパス(東京都港区).

52. 「戦勝顕彰碑としてのコンスタンティヌスのアーチ門」第68回日本西洋史学会大会古代史部会, 平成30(2018)年5月20日, 広島大学東千田キャンパス(広島市中区)

53. 立案・コーディネート(司会:坂口明;発表者:奥山広規, 堀賀貴, 江添誠;コメンテータ:志内一興, 渡部展也, 青木真兵) 第68回日本西洋史学会大会小シンポジウム・古代史「『見えざる人びと』の探し方:庶民史構築のために」平成30(2018)年5月20日, 広島大学東千田キャンパス(広島市中区).

54. 「コンスタンティヌス帝の保護神格再考:Apollo、Sol、それとも Grannus ? 」広島史学研究会大会西洋史部会, 平成30(2018)年10月28日, 広島大学(東広島市).

55. 奥山広規・ゲイル=エドワード・豊田「2018年度オスティア・グラフィッティ調査成果報告」第17回古代史研究会大会, 平成30(2018)年12月23日, 京都大学文学部(京都市左京区).

56.  奥山広規・ゲイル=エドワード・豊田「2017-2018年度オスティア・グラフィッティ調査報告」The Graffiti Survey Report at Ostia Antica in 2017 and 2018, 第3回連続国際シンポジウム「古代ローマの危機管理」平成31(2019)年3月17日, 日本橋ライフサイエンスビル(東京都中央区).

【付記】2021-23年の成果は、2023/5/8 にアップしてます。

Filed under: ブログ

現代イタリアの新トイレ:トイレ噺(7)

 今回のイタリア旅行で2種類のトイレを発見?した。それは従来、イタリアの洗面所には便器関係では、普通の水洗トイレとビデが普通設置されているのだが、最近はビデがなくなり、シャワーホース状のものが付いていたりしていて、それはこれまでも見ていたが(今回も1箇所、フィミチーノ空港隣接のホテルがそれであったが、写真は取り忘れた)、下着が水浸しになりそうな気がして使ったことはない。

 今回新発見の一つはPompeiiのB&Bのもので、水洗トイレに水が出る穴が開いているもので、これは実際には水流が下に流れるだけでお尻に届かないので、手で洗うしかない(その意味でトイレとビデが合体しているといっていい)ものである。

流水中の状況:操作ノブは向かって左の壁にある

 もうひとつは、Romaのテルミニ近くのこじゃれたB&Bのもので、同じような場所に穴が位置しているのだが、こちらは出口に金属製のごく短いホースがちょんとばかり装着されているので、水流がお尻に達することができる。こちらは日本のシャワートイレと同様で、使用感もいい。いずれも便器のそばにノブがあってそれで水流(と温度)を操作する。

操作ノブは便器の向かって右:当然、左手にはビデ用手拭きがある

 それにしても、イタリアの水周りは故障が多い。一昔前はシャワー室の水はけがやたら悪くて、石鹸の泡を足につけて出ざるをえなかったのは稀でなかった。そして、今でも公衆便所は清潔とはいえない。私が今回ナポリ国立博物館前の地下鉄駅で試した公衆便所は、男女の区別がなく、すべて個室式でなんと20チェントコインで入る方式で、有料トイレは1ユーロが普通なので、なにかけっちっているなとは思い、まあこういうのは出るに出られなくなることあるのでこれまでは警戒して使ったことがなかったが、今回は同行者に万一の時のことを言い含めて試してみた(但し,同行者には私の意図は伝わっていなかったことが後から判明した)。さて、便座は当然ないので中腰で大を放出したあと、もちろん紙も常設されておらず、同行者がくれた「おしりセレブWET」を使って後始末し、水を流す段になって(10秒水が流れると使用ラベルには書いてあった)、ボタンを幾ら押しても出ない! まあそれもこれまでの経験で想定していた私はそのまま退出したわけである(どうすればいいというのかっ)。私が内から空けたドアがまだ開いている間に入れ違いに入ってみた中年女性は、覗いただけですぐに出てきた。これもまあ当然の風景である。

 以下の写真は、今回遭遇したエルコラーノ遺跡事務所内の男性立ちション用トイレで、3つ設置されているうち2つは使用不能であった。この状況は他でも決して稀でない。ついでに触れておくと、この時、女性トイレは長蛇の列であった。理由はもちろん私には確かめようもなく不明である。

Filed under: ブログ

2019年度夏期調査旅行:歩数

 約2週間、例年通り現地調査でイタリアにいきました。本年度で科研が終わりますので、オスティア・アンティカ遺跡を古代ローマ時代の他の港湾都市と比較してみるという観点で、トリエステ、アクイレイア、ラヴェンナを加え、最後には落書き調査という視点でポンペイ、エルコラーノ、ナポリをめぐってきました。ここでは、とりあえず、いつもは家に閉じこもりがちな私がどれほど歩いたのかの目安にiPhoneの歩数記録を転写してみます。ザックに入れていたので正確ではないかもですが、一応の目安にはなるでしょう。

9/5  7554  成田に向かい、ローマに移動    
  6 21679  トリエステに移動、見学
  7 15384  午前中トリエステ見学、午後アクイレイアに移動  
  8 15374  アクイレイア見学
  9 12143  グラドー見学
 10 12969  ラヴェンナに移動
 11 19425  ラヴェンナ市内見学
 12 20371  クラッセ方面見学後、午後、ローマに移動
 13 18091  終日、フォロ・ロマーノ、パラティノ丘見学
 14 15747  オスティア遺跡
 15 18232  朝、ナポリに移動し、ナポリ国立考古学博物館見学後、ポンペイに移動
 16 31588  ポンペイ遺跡見学
 17 13376  エルコラーノ遺跡
 18  8977  東大ソンマ遺跡見学
 19 12224  ナポリ、アウグストゥス水道見学後、ローマ帰着
 20  7432  ローマ離陸 機内泊
 21  4137  成田着、昼頃帰宅

 ちなみに、体重は2Kg減でした。でも22,23日は家を出なかったので、歩数はゼロです (^^ゞ 明日は出る象。

Filed under: ブログ

荒木優太編著『在野研究ビギナーズ:勝手にはじめる研究生活』:新刊案内

明石書房、2019/9/6出版予定、¥1944。

 今日、自宅に送られてきた『UP』(東大出版会)の巻末広告にあって、目についた。表紙(または帯)に書かれている文言がなかなかよろしい。私も今や立派な在野である。彼らの生き残り術から学びたい。もう、そんなに生き残れそうもないけど。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 その後、以下もみつけた。礫川全次 『独学で歴史家になる方法』日本実業出版社、2018/11、¥1944。

 こちらのほうが、私的には身近でずばりである。だが、試しに前任校の所蔵を検索したがなかった。日本民俗学者である著者の他の著書は37冊もあったのだが。彼の糞尿や厠関係は私も知っていたが、本書も図書館に所蔵すべきであろう。試しにCiNii Books検索をかけたら、わずか9大学しか所蔵していなかった。どういうことなのか。所蔵大学の歴史関係の教師は、さぞや自分に自信があるのだろう、と思ってしまう。さっそく古書で発注した。

【続報】礫川(こいしかわ、と読む)氏の本は、やっぱり読んでいてはなから私の金銭、もとえ琴線に触れてくる文言が多い。第3講「私が『在野史家』を名乗るまで」を読んで、いかに自分が「在野」的感覚の持ち主だったのか、改めて自覚させられてしまった。第2講の末尾で「アカデミズムにおける歴史研究には、一定の好み、傾向といったものが存在するようです。別の言い方をすれば、プロの研究者が、好んで扱わないテーマがあるということです」として、例に挙げているのが、かつての李家(りのいえ、と読む:彼、たしか呉の出身だったよね)正文氏の「厠」「落書き」なのだから、私としてはなにをかいわんや、なのである。そしてこの「アカデミズム」の研究者というのは、一時話題となった「原発ムラの住人」よろしく、ムラ内での受け狙いで一生終える類いの人たちのことで、一歩外に出て世間に発言しても(ま、上から目線なので、最初から説得する気はないのが普通だが)、説得力ゼロの論理しか展開できないそういう人種である。社会人の一般常識は彼らに通じない。歴史上まあ枚挙にいとまないが、最近の事例だと関西電力のお偉方ということになろうか。

 第4講「『研究者』としての自覚を持とう」でも以下の下りに出会った。「消費者で終わるな」とは現役時代私も繰り返して言っていた文言そのものだった。

 「歴史愛好家は、いわば「知の消費者」という立場で、歴史を楽しんでいるわけです。・・・歴史研究者として「知の創造」に関わろうとされる以上、歴史愛好家時代の「消費者」的な意識は、払拭していただかなくてはなりません。」

 欧米の研究の「消費者」で留まってはいけません、よね。○○先生!

【追記】このブログに2019/8/21に書いた二・二六事件がらみの箇所があって、意表を突いていてとても面白かった。第10講である。

 本書を読み進めていく内に、段々と、この本は文学部史学科の必読文献、いやいわゆる史学概論、歴史学研究入門といった授業のテキストになり得る、という確信が強まってきた(内容的には、特に日本史専攻ということになるだろうが、そう限ることもないだろう)。実にいい本だ。いわゆるアカデミックな研究者にこのレベルが書けないという体たらくを、私も元関係者として苦く噛みしめなければならない。

【追記2】彼のブログを知った。1949年生まれらしいので、私より2歳若い。精力的である。https://blog.goo.ne.jp/514303

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 上記の荒木編著の本で知った以下の本が、わが図書室(である図書館)にあった。ポール・J・シルヴィア(高橋さきの訳)『できる研究者の論文生産術:どうすれば「たくさん」書けるのか』講談社、2015年。なぜか英語関係の棚だったので?だったが、言い回しの部分で英語表現がそのまま引用されているので、まあ納得。これはどうやら心理学の分野の著者のようだ。内容は、「いいわけはするな」と力説している最初を除いてあまり学ぶところはなかった。というか、ぴんとこない。やっぱり英語圏や心理学とは微妙に感覚がすれ違ってしっくりこないような気がする。同じ著者・翻訳者・出版社の『できる研究者の論文作成メソッド』は貸し出し中である。

 あれこれ検索していると、今度は医学系の先生の3部作もみつかった。これもわが図書室にそろいで所蔵されていた。よほどお悩みの同業者がいらっしゃるようだ。

Filed under: ブログ

新刊案内『うんこのひみつ』:トイレ噺(6)

 私は徹頭徹尾、お下劣なのだろうか(はいそうです、とゼミの卒業生が一斉に唱和する声がきこえるような気がするが,気のせいか)。昨晩深夜セブンイレブンでおやつの冷菓を購入し支払い済まして帰ろうとしたとき、いつもは一顧だにせず素通りする週刊誌が置いてある出入り口の棚になぜか目がとまり・・・、そこで見つけたのが以下の本。さっそくレジに舞い戻って衝動的に購入。

 うんこミュージアム著・藤田紘一郎監修『うんこのひみつ』宝島社、2019/8/12、¥1200+消費税。

 こういう小冊子に条件反射的に引きつけられる私の特異体質にはつくづく感心するしかない。神業だ、こういうのを「付け焼き刃ではない」と表現するのだろう、と自画自賛して、どうする!

 帰宅してからしまったと思い、アマゾンで調べたらすでに古書で出ていて、しかし871円+郵送料340円だったから今回はまあ許すにしても、年金生活者にはこのような衝動買いは御法度だった。

 やるべき仕事を放り投げ、さっそく一読。残念ながら古代ローマ史にはふれてくれていないようだ。どうやら横浜やお台場で開催中の催しものの便乗品らしいが、うんこのプラス面に触れてくれているのには感激。私も一度は、まろやかになるというジャコウネコや象の糞のコーヒーを飲んでみたいものだ。

 それにしても、9/30まで会期延長された「うんこミュージアムYOKOHAMA」では,予約チケットで大人1600円、小学生未満は無料、とあるが、幼児並みによたよた歩きの年金生活者も無料にしてほしいなあ。もっと早く知っていたら夏休みの孫連れて見学にいったのに(お台場の会期は書いてないので、まさかの常設?)。

 詳しくは、キーワード検索したら出てくるHPをご覧下さい。

Filed under: ブログ

研究に便利:合法的?外国語論文コピー入手法

 昨日も真夜中に、自宅からインターネットでリタイアした大学図書館リファレンスにアクセスし、2つの論文を他大学図書館にコピー依頼する手続きをした。自大学に所蔵がない書籍や雑誌でも、所蔵大学に貸借申込みや複写依頼をしてくれるのである。代価はコピー代と送料だけですむ。まだこの制度を利用できるのは大変有難い。

 国内に所蔵がない場合は海外の大学図書館への発注となり、従来の方法だと送金とかでかなり手間となるが、入手できた場合は研究上たいへん有効となる(一度だけだが、2ページくらいだったのでファックスで即送してくれたアメリカの大学があった)。今や、大学図書館がデータベース会社と一括契約していて、パソコン室からアクセスすると無料で印刷できるサービスとなっていて、昔と比べるとやたら便利になったものだ(むしろ同音異曲の内容の情報過多となり、時間との関わりで選択眼が試されている気がし出すほどで、こうなるともはや関連論文の網羅よりも、オリジナルな独創性に磨きをかけるほうが重要視されてしかるべきだと思う)。リファレンスの指導ではまずこれで試して下さい、というわけである。だが大学との接点を失った場合は、それも不可能となる。

 便利と言えば、特にアメリカで最近多いのだが、修論や学位論文がpdf化されていて自由に丸々コピーできることが多くなった。だからというわけでもないが、ウェブであれこれやっているうちに、妙なシステムに行き当たった。それが「Academia<updates@academia-mail.com>」である。自分の研究分野を登録しておくと、自動的に関連論文をリストアップして知らせてくれる。そしてどういう仕組みかは分からないが、時には書籍までも全ページがpdfで提供されているのだから驚かされる。問題は、リストアップの精度で、たとえば私はコンスタンティヌスを登録しているのだが、最近26件が送られて来た。その中に、一見無関係の『マルクス・アウレリウス』や『アグリッピナ』といった著作が丸ごと一冊含まれていて、なんだかありがたいような、でもつい目移りして眺めたり、すでに購入済みだったりするので、ありがた迷惑のような感じなのである。そしてこれは、対象が英語に限られているという点も問題だろう。よってたぶん英語圏の著者にリスト掲載の許諾を問い合わせた上での公開なのであろう。もちろん「無料」というわけにはいかない。年に約100ドル、月ごとだと10論文で9ドルくらい必要である。初回でもう十分送られて来た感じはするが、試しに1年間利用してみようと思う。新刊書のちょい読みでは、アマゾン・コムで部分的に見ることできるようになっているのも有難いサービスである。

 自宅でウェブ検索かけていると、他にもよく出てくるのが、「JSTOR」というサイトで、これも自宅でダウンロードすると一件12$程度かかるのだが、大学関係者である旨登録した上で「Read Online」にすると雑誌論文を無料で読むことができるサービスがある。ま、多少手間であるが、それをコピーする裏技を使えば普通通り印刷することもできるわけである(大学パソコン室でアクセスすれば、問題なくコピー入手できる)。

 そういえば、少し昔のこと、キー・ワードでウェブ検索していたら、pdf化された論文がズラーと出てきたことがあった。画質が荒かったり、コピー論文をちょっと斜めにスキャナでデジタル化した手造り感満載のものだったので、たぶん個人的に手持ち論文をアップしたものだったのだろう。こちらはもちろん無料だったが、やっぱり著作権上の問題があったのか、それとも検索キーワードが特化されていたせいか、二度とお目にかかっていない。

【追記:20211118】このブログ、まだときどき読まれているようなので、付記しておく。最近の翻訳ソフトは論文をざっと読むには十分便利なほどの精度を持っている(但し、私の経験だと、「;」「:」のあととかが欠訳となる事例に遭遇)。一般にはGoogle翻訳の評価が高いが、私は知人から推奨されたDeepLを使っている。とにかく翻訳時に私の場合、日本語入力の打ち込みにやたらエネルギーが費消されていたので、その手間が省けるようになったのには大助かりである。

Filed under: ブログ

欧米最新トイレ?:トイレ噺(5)

 私がリタイア後もまだ入っている学会に「日本トイレ協会」がある。そのニュースが届いた。それに面白い記事が掲載されていた。

 会員で著名人の白倉女史が2018/11/19-23に南アフリカ共和国のケープタウンで開催された国際学会に参加し、フィンランドの専門家が大便と小便を別々に回収してリサイクルする家屋事例等を発表した由で、その写真があったのでここでそっと紹介してみます。

 みそは、リサイクルの内容だと思うが、それは書かれていない。しかし、二穴ということは、それぞれ回収するわけで、となるとどこにどう集めるのだろうか。これではなんだか古代ローマにおける尿と大便の利用と一脈通じるものがあるように思う。かつて、前者は縮充作業や洗濯に、後者はいうまでもなく肥料に再利用された。今回のこれはいかなる再利用が考えられているのだろうか。

【追伸】上記の白倉女史が世界のトイレ問題改善のために、トイレ・ピアス、根付、ネックレスといった「トイレ・アクセサリー」の販売を始めるようです。興味のあるかたは売り上げにご協力ください。私も買おうと思ってます、いえ、付けて歩こうなどという趣味はありませんが。https://japanese-stuff.com

【追伸2】上記のお店はまだ開店していないが、トイレ・ピアスは楽天で販売しているようです。https://item.rakuten.co.jp/mixnuts/shk-s-00532xx/

Filed under: ブログ