【解題、試訳はまとめてブログから引き揚げ、今後の訂正を含めHPの「西洋古代史実験工房」のほうに移管した:ちなみにエウトロピウスと教皇列伝もそちらに移管した】
意味不明の箇所が散在し難儀してます。まだ満足いきませんが、一応アップします。
このところ、いまひとつ著者の語感がつかめなくてどうしたものかと思案しているのは、死亡に関する単語をどう訳し分けるか、です。「亡くなった」「死んだ」「滅びた」「消えた」「殺された」「殺害された」「殺戮された」・・・。絞殺や斬殺など明確な場合はいいのですが、それも他の並行史料でどうあれ、それで見当つけるのは避けなければなりませんし、辞書的にも多義あって思いのほか面倒です。
共訳者の林君に言わせると、それはウィクトルが同じ単語を使わないで別の言葉で言い換えようとしているせいだ、ということになります。そういえばエウトロピウスの場合は同じ単語を使う傾向があって、翻訳も簡単だったことを思い出しました。その翻訳の場合、類似の同一単語で訳せばむしろ簡単なのですが、ここではあえてこだわってみて、全巻で1,2度しか登場しない単語には角度のある訳語を付してみてます。
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【後記】 2019年1月に一応完訳して、現在見直しに入っている。先日いつものことながら偶然、1年前放映の「風雲児たち:蘭学革命篇」の再放送を見て、なんだか我々に似ているなと思わされた。「誠に艪舵なき船の大海に乗り出せしか如く茫洋として」(杉田玄白(翼)著『蘭学事始』明治23年4月)という彼らと違って、我々には辞書も近代語訳もそしてコンコルダンスさえあるのだが、やっていることはエピソード「フルヘッヘンド」並の試行錯誤の連続であった。『解体新書』は語学の完璧主義者前野良沢と、実は蘭語が苦手なしかし世事に長けた杉田玄白あって陽の目を見たわけだが(それにしても『蘭学事始』が明治中盤の出版だとはしらなかった)、両方とも寸足らずの我らにどこまでできるのかごろうじろ、といったところか。いずれにせよ、初訳出版後52年後といわずどなたか全面改訂版をお出しいただけるまでの捨て石になれば、と思っている。
【後記2】2019年7月末に、ようやく読書会での見直しが終わった。とはいえ,その後も個人的にコンコルダンスを開いて副詞や名詞の統一を見直しているが、やたら見落とし(というか、不統一)をみつけて、やはり私など翻訳業には向いていない、とつくづく思う。折も折、栗田伸子氏から、サルスティウス『ユグルタ戦争・カティリーナの陰謀』岩波文庫、の恵贈の栄誉を頂いた。ルビを打たれた単語をちらほら見ていると、共和政末期と帝政末期の、ま、大ざっぱにいって400年の差があるにもかかわらず同一単語が使われていて、しかし日本でこの現象を考えてみると、この間隔は夏目漱石や森鴎外どころではなく、現在から徳川幕府の開始ほどの時間差で、正直いってそのころ書かれたものを読める学生が現在どれほどいることやらと、この格差をどうかんがえればいいのか、しばし呆然としてしまう自分がいる。