https://www.asahi.com/thinkcampus/article-110245/?cid=asadigi&iref=com_rnavi_thinkcampus_t
具体的には、2020年からICU、2022年から東大教育学部、2023年秋から日本女子大学、などなど。
広いキャンパスの中で占める割合などほんの少数、とつい思ってしまうのだが。
https://www.asahi.com/thinkcampus/article-110245/?cid=asadigi&iref=com_rnavi_thinkcampus_t
具体的には、2020年からICU、2022年から東大教育学部、2023年秋から日本女子大学、などなど。
広いキャンパスの中で占める割合などほんの少数、とつい思ってしまうのだが。
このところちょっと多忙だったので、アップが遅れているが、幾つか注目すべき情報があった。
① 2024/4/10発:イギリスのオックスフォードシャーの、不動産開発現場での発掘調査で、豪華に装飾されたローマ時代の別荘群の遺跡が発見され、そこにはコイン、宝石、呪いのない鉛の呪い板や小さな奉納軸など、豊富な遺物が含まれていた。
https://www.bbc.com/news/av/uk-england-oxfordshire-68735364
今とりわけ注目したいのは、未使用の呪詛鉛板である。
私的にはこのような幅1cm強の細い呪詛板は見た記憶が無いので、今回の出土品が呪詛板用なのかどうか速断できないのだが。
② ポンペイ、IX.10における新発掘情報
昨年から再発掘が行われているこの区画での新出土の紹介。New excavations in Regio IX;http://www.thehistoryblog.com/archives/date/2024/04/12
ここは19世紀末の再発掘ではなかったか。それにしてもこんなものが出てくるとは。
日本語での情報は以下。2024年4月12日発信:「ポンペイの宴会場でトロイ戦争の見事なフレスコ画が発見される」(https://news.yahoo.co.jp/articles/f920bf7c1792cc80732f8153ae21f112f223b43f)
ところで、ちょっと横道に入るが、一体今回の発掘地点がどこなんだろうと思って、Google Earth Proで探したところ、場所の確定はできなかったが、意外なことが分かった。これまでは農地だった未発掘地区がなんだか駐車場ぽくなっていたのである。以下の写真は2023年4月下旬の写真。2012年以降、欧州連合が見かねて7500万ユーロを拠出して以降の変化と思われる。このところ、かつてはできていた城壁巡りが東から北側ではできなくなっていたのだが、私はそれのせいでこれまで目視できなかった。
③ 2024/4/11発信「ハマスのトンネル捜索中にローマ時代のユダヤ人の地下迷路を発見」(https://www.businessinsider.jp/post-285035)。いかにも時局的な話題を装っているが・・・。
でも実際にはこの発見は、場所がガリラヤ湖の北北西であるので、とりあえず現在問題になっている戦闘地域からはかなりずれてまして・・・。
論文報告も2022年1月だったようだし。
2024年4月15日14時08分(https://www.christiantoday.co.jp/articles/33514/20240415/fr-kazuo-sawada-dies-at-104.htm)
我らの世代では「沢神」として著名な神父だった。私は直接の面識はなかったが、今般ウィキペディアで履歴を読み直して、華麗な澤田一族を再確認。父の節蔵は東京帝国大学法学部出身の外交官(『回想録』有斐閣、1985がある:二人の兄弟も著名人)、母美代子の父も外交官。節蔵はクエーカー教徒だったらしいが(ウィキペディアでは「カトリック」となっているけど)、妻は敬虔なカトリック信者だった由。
なぜか長男秀夫、次男信夫の記載がないが(下記【追追記】参照)、和夫は三男で東京帝大法学部出身で海軍将校から、戦後ローマのウルバーノ神学大学に留学、東京教区司祭として聖職者の道を歩む。四男昭夫は保守派歴史研究者(その著作、私もお世話になった)、五男壽夫は国際派法学者。その後の世代の消息は知らない。
【追記】ググっていたら、なぜ司祭になったのかと問われて「一番上のお兄さんが司祭になれずに死んでしまったので」と答えている文言に出会った(http://c-v-team.com/B01_syoumeiwoikiru/B01_02a.html)。
かつてのカトリック信者にはこのような風格ある(?)一族がいて、異彩を放っていた印象がある(以下参照、園田義明『隠された皇室人脈:憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?』講談社α新書、2008年)。
ちょっと変わった著名人としては、与謝野寛(鉄幹)・晶子もそうで、寛は臨終洗礼を、晶子は「次女七瀬、六女藤のカトリック信仰に導かれ、死去の二年前(昭和15年)に伊藤庄治郎神父から洗礼を受けた」と。家の宗教として菩提寺があり晶子にも戒名があっても、今の私は、まあそんなものだと思うだけのことだ。たとえば、次男秀は外交官で熱心なカトリック信者だったらしいし、最終的にイタリア大使になったが、その長男が我らの時代の政治家の馨だが(2017年死去)、洗礼は受けていない(http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2008/09/05/3744819)。親が信仰を強制せずあくまで個人の信仰を貫いたわけだ(教会法的には逸脱で建前的には許されないが、お目こぼしがある、ないし杜撰なのがいかにもカトリック的。今話題の2世問題も希薄なはずだ:病理現象の存在を否定するつもりはないので、昔に比べと言い直しておこう)。
【追追記】我が図書館で、澤田壽夫編『澤田節蔵回想録:一外交官の生涯』有斐閣、1985年、を借り出して読んだ。長男は1928年に病死(長男秀夫は暁星中学在学中に盲腸がらみで死亡。両親はワシントン滞在中だった)、次男はなぜか影が薄いのが不審であるが一家をなしているような記述ではあった。
2024.04.15
by 小林よしのり『小林よしのりライジング』https://www.mag2.com/p/news/596858
私もよく知らない神社本庁がらみの書き込みあったので、参考までに。
栃木の日光東照宮、石川の氣多大社、鎌倉の鶴岡八幡宮など、近年「神社本庁」を離脱する有力神社が急増している。背景には、上納金や人事介入への不満に加え、反社の関与が疑われる土地転がしなど“不祥事の巣窟”と化した神社本庁への反発があるようだ。強い戦前回帰志向とマイノリティへの差別意識を持ち、神聖な境内で憲法改正の署名集めをさせることでも知られる神社本庁。いやしくも“庁”を名乗るこの民間宗教法人の堕落した本質を、小林よしのり氏主宰「ゴー宣道場」の寄稿者で作家の泉美木蘭氏があばく。(メルマガ『小林よしのりライジング』より)
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:泉美木蘭のトンデモ見聞録・第323回「神社本庁と神道政治連盟のこと」
知人から教えられたのだが、4/6から6月9日[日] にかけて、パナソニック汐留美術館で「テルマエ展:お風呂でつながる古代ローマと日本」が開催中とのこと。65才以上1100円。 https://thermae-ten.exhibit.jp/
公式図録は2750円もするらしいが、HPから入手すると郵送料をとられるので、こりゃ会場で購入したほうがいいかも、などと思案中。
・・・ なんとググっていたら、この展覧会、1/21まで2か月間、大分県立美術館でやっていたようで。しかも、こっちは入場者先着100名に別府八湯温泉道スパポートを無料配布したらしい。なんの無料配布もない東京のあとは神戸だそうだ。
【番外篇】2024/4/20の、NHK総合「有吉のお金発見 突撃!カネオくん」でクラウドファンディングを紹介していたのがすばらしくおもしろかった。
その中で、風呂桶が回るメリーゴーラウンド、温泉で満たされたジェットコースターなどの設備の遊園地で温泉を楽しむ前代未聞の架空動画が、別府市によって配信されたのは平成28年11月だったことを知った。
「再生100万回突破で温泉テーマパーク『湯~園地』を実現する」と長野恭紘別府市長が約束したところ、たった3日で100万回再生を突破。それで無理矢理なんとか公約を実現せざるを得なくなり(しかし公約実現に頑張る政治家なんかどこにいるのか?)、市長の独断放言だったので予算もないことから、さてどうしようかと鳩首協議し、一般から寄附をつのることに。結果最終的に、クラウドファンディングで3400万円弱、寄附・支援で9000万円を調達。2017年に三日間だけだったが「湯~園地」を開催できた。経済効果1億8000万円、ボランティア参加者1200人以上で、町おこしとしては上々だった由(https://jichitai.works/article/details/146)。
上記の別府でのテルマエ展、柳の下をネラっての第二弾?のようではある。
2018年に報告があったもの。
美術史家のエマ・マーヤン=ファナールEmma Maayan-Fanar博士が、イスラエル南部のネゲブ砂漠にあるシブタ Shivta遺跡で発見した。この遺跡は後2世紀頃の農村跡で、遺跡が発見されたのは1871年と、約150年も前で、遺跡自体はすでに多くの考古学的研究の対象となってきた。
しかし、そこに何世紀にもわたって土に埋もれていたイエスの絵があることは、長い間誰も気付かなかった。彼女がそれに気づいたのは「ちょうど良い角度の光が当たる、ちょうど良い時間に、ちょうど良い場所にいた」からだった。
人類学的にいって、イエスは現在のイラク系ユダヤ人に一番近く、黒褐色または黒色の縮れ髪、深い茶色の目、オリーブブラウンの肌をし、身長は当時の男性の平均身長の166センチ前後だったはず。それがこれまで西洋人的に描かれてきたのは、事実上、ゼウス(ギリシャ神話の主神)やネプチューン(ローマ神話の海の神)、セラピス(エジプトの男神)の若い頃の姿を模して、王座につく皇帝を描いた絵画が原型になっており、特に長い髪とひげは、ギリシャ・ローマ時代の聖像画から取り入れてきたからである。以下がよく目にするイエス・キリスト像。トリノのシュラウドの影響も受けているだろう。
以下がシブタ遺跡の件の絵であるが、補正線を入れても不鮮明である。
上記の画像は、イエス時代のガリラヤで発掘された30歳の男性頭蓋骨から復元されたもの。彼がイエスというわけではないが、有り体に言ってこんな感じだったのかもしれない。ま、刷り込まれてきた印象を打破するにはいいかもだ。https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35173762
セントルイス大学の歴史学教授ダグラス・ボインDouglas Boin氏がアメリカ考古学協会の年次総会で公表した:発信2024/1/6
18世紀に劇場から発見された勅令碑文に導かれてボイン教授はウンブリアのスペッロ(Hispellum)にやってきて、地中レーダーを利用して、現代の駐車場の下にある構造物を発掘した。今回発見された神殿は4世紀前半、すなわちコンスタンティヌス1世統治時代に建立されたものとされているようだが、親キリスト教皇帝とされているコンスタンティヌスがスペッロ市民に対し剣闘士競技の許可を与える代わりに、自らの先祖であるフラウィウス家を祀る神殿を建て、彼らを崇拝することを求めたことは、碑文史料から知られているが(この皇帝のダブル、いなトリプルスタンダードが如実ではないか:そもそも彼はローマ国家宗教の最高神官Pontifex maximus職を終生手放さなかった、なのにキリスト教皇帝とされているのは教会側の後付けでなくてなんだろう)、そのため建立された神殿発見が本当だとすると、こりゃすごいことである。
私自身、2012年にスペッロを訪問する機会があり、偶然折しも町おこし的にコンスタンティヌスの1700年祭の展示会をやっていたし、そこの博物館で件の碑文とも対面し、ウンブリア平原を見下ろすリストランテで美味な昼食を堪能したあと、円形闘技場跡も訪れたことがあったので(その手前に現代の競技場もあって紛らわしい)、個人的にもいささか興味はあるのだが、なにぶん今般の報告内容が遺跡の石組みだけなので、現状では私にはそれがなぜ神殿と断定できるのかすら理解できないわけで(他情報から、この丘には聖域や神殿、劇場などの遺物も散在しているようでなおさらだ:https://en.wikipedia.org/wiki/Sanctuary_of_Venus_at_Hispellum。地図には出ていないが、北東の駐車場にはテント形式でドムスの発掘現場も見学できた)、今後の発掘報告待ちというのが正直なところである。
2024年4月9日
コプト正教会が、同性カップルの祝福を認めることを決めたカトリック教会との神学的対話を停止した。
コプト正教会は3月7日、エジプト北部ワディエルナトルンの聖ピショイ修道院で年に一度の聖シノドスを開催した。聖シノドスでは、各種修道院の承認や、結婚カウンセリングへのメンタルヘルスに関する項目の追加、教会内の一致のための祈りなど、さまざまな議題を討議した。一方、同教会の広報担当者であるムサ・イブラヒム神父は、今年の聖シノドスの「最も注目すべき」決議は、「同性愛の問題に対するカトリック教会の立場の変化を受け、カトリック教会との神学的対話を停止したこと」だと説明した。
コプト正教会は声明(英語)で次のように詳述している。
「(われわれは)あらゆる形態の同性愛関係を拒否するという確固とした立場を確認しました。なぜなら、それらは聖書と、神が人間を男と女として創造された律法に反するからです。コプト正教会は、そのような関係の祝福は、それがどういう形であれ、罪に対する祝福と見なし、これを容認することはできません」
「東方正教会の姉妹教会と協議した結果、われわれはカトリック教会との神学的対話を停止し、20年前に始まった対話がもたらした成果を見直し、また今後、対話を進めていくための新たな基準と仕組み作りをすることを決定しました」
「同性愛の傾向に苦しみ、性的行動から自らをコントロールする者は誰でも、そのコントロールが苦闘として信用されます。苦闘している人たちには、異性愛者と同じように、思考、視覚、魅力の戦場が残されているのです。しかし、同性愛の行為に陥る人については、不貞や姦淫(かんいん)の罪に陥る異性愛者と同じように、真の悔い改めが必要です」
教皇フランシスコは昨年12月、同性カップルの祝福を認める宣言「フィドゥチァ・スプリカンス」を承認した(関連記事:教皇、同性カップルの祝福を許可 ただし結婚に類似するものはNG 結婚の教理も堅持)。
宣言を起草した教皇庁教理省によると、この宣言は「典礼的観点と密接に結び付いている祝福の古典的な理解の幅を広げ、豊かにすることを可能にする」ものだという。また、宣言は教皇の司牧的ビジョンに基づくものであり、「これまで教導権や教会の公式文書の中において、祝福について語られてきたことからの真の発展を意味する」とし、次のように述べている。
「まさにこの文脈の中でこそ、通常とは異なる状況にあるカップルや同性カップルを、その地位を公式に認めたり、結婚に関する教会の永遠の教えをいかなる形においても変えたりすることなく、祝福する可能性を理解し得るのです」
宣言は、結婚などにおける典礼的祝福と、神の憐(あわ)れみを求める人々に与える司牧的祝福を区別。後者について、「人々が祝福を求めるとき、徹底的な道徳的分析が祝福を与える前提条件とされるべきではありません。祝福を求める人々は、事前の道徳的完全性を要求されるべきではありません」とし、司牧的祝福に限り同性カップルに対しても認める内容になっている。
教理省は宣言について、同性愛は罪深いものであり、同性婚は容認されるべきものではないというカトリック教会の教理を堅持するものだとしている。しかし、宣言に対する批判者は、結婚とセクシュアリティーに関するカトリックの教えと矛盾していると主張している。
今年2月には、宣言撤回を求める公開書簡が発表され、100人近いカトリックの聖職者や学者が署名した。書簡は次のように主張している。
「(宣言は)教理や典礼と司牧実践との間に分断を持ち込もうとしています。しかし、これは不可能です。事実、司牧は全ての行為と同様に、常に理論を前提としています。従って、司牧が教理と一致しないことを行うのであれば、実際に提案されているのは別の教理なのです」
「事実は、性的な意味におけるカップルで、そしてまさに客観的に罪深い関係によって定義されたカップルである2人に対して、司祭が祝福を与えるようになるということです。従って、この宣言の意図や解釈、あるいは司祭が行おうとする説明にかかわらず、この行為は伝統的な教理に反する、異なる教理の目に見える具体的なしるしとなるのです」
一方、米団体「カトリック・フォー・チョイス」のジェイミー・L・マンソン会長は、宣言は「驚くべき、歴史的なもの」だとし、歓迎する声明(英語)を発表。「(宣言は)LGBTQIA+(性的少数者)の可視性と包摂性を前進させるための変革をもたらすでしょう」として、次のように主張した。
「教会が、LGBTQIA+のカトリック信者や私たちの結婚、そして私たちの家族の、神から与えられた固有の尊厳と平等を完全に肯定するまでには、まだ長い道のりが必要でしょう」
「宣言は、これが教皇フランシスコの問題ではなく、(カトリック教会の)中間管理階層の問題であることを明らかにしています。この対立は、教会をより包摂的な方向へ向かわせようとしている教皇に真っ向から反対して、文化戦争でますます泥沼化している中間管理階層による、何十年にもわたる硬化した組織的汚点と反LGBTQIA+擁護の声によって引き起こされたのです」
今から55年程前、20代に入った頃から私は花粉症に悩まされ出した。ワンゲルに属していて山に登っていたのだが、山から下りて下界の自動車道にでるとおかしくなるので、当時は排気ガスと関係があるのだろうと思っていたが、最盛期には春先になると咳、鼻水、目の炎症にひどく悩まされていて、いわば全身炎症状態。結局2月頃から梅雨になるまで、この頃の私にとって花が満開になる春先は苦悶以外のなにものでもなかったので、花見など楽しむ余裕はなかった。当時は特効薬もなく、身体が炎症を起こす前に酒を飲んでごまかすという乱暴で身勝手な対処療法を独自に導き出して実践する以外に対応策がなかった感じだった。実はこれは風呂に入ると鼻が通るだけでなく全身の炎症も軽くなるという状況から導き出した素人療法だったのだが。
その後、まずまずの特効薬が開発され出したが、副作用として眠たくなったり胃の調子が悪くなったりしたし、鼻の穴にちり紙を押し込むなどしていたものだ(妙なもので一人でリラックスしているとき症状がひどくなり、人前に出るなどして緊張しているとそうでもなくなる)、だから5月6月の学会発表のための準備の時期の、春先の仕込み時期は花粉症に悩まされながら、本当に苦しかったことを思い出す。だから自律神経症でもあるような。
そうこうしているうちに、薬の改良と加齢によるのだろうが、徐々に楽になってきたのはさていつごろからだっただろうか。60代ごろだったかな。最近では、おっ花粉症だろうと思っても薬も飲まずに凌いでいる。春だなと思うのはもっぱら目に限定されてきているように思う。そして、今日、福袋的に以下の情報を得た。「花粉症とがんの不思議な不思議な関係」(https://mainichi.jp/premier/health/articles/20240402/med/00m/100/002000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhealth&utm_content=20240406)。ガンの種類によってはがん発症リスクが減少するのだそうだ。私は基本的に認知症になるまでに普通に病死することを願っているので、さてどういう結末になることやらと思いつつ。
今回最大の話題は以下かと。
2024年3月30日11時14分
福岡カトリック神学院(福岡市城南区)が2023年度で閉校し、東京カトリック神学院(東京都練馬区)が24年度から「日本カトリック神学院」と改称することになった。
長崎大司教区の「カトリック教報」(24年4月号)によると、福岡カトリック神学院では2月23日、閉校式と感謝ミサ、祝賀会が長崎教会管区主催で行われ、約130人が参加。長崎教会管区の5教区(長崎、福岡、大分、鹿児島、那覇)の司教5人のほか、福岡カトリック神学院を運営していたサン・スピルス司祭会(聖スルピス会)のハイメ・モラ総長・カナダ管区長代理や、東京カトリック神学院の稲川圭三院長、同窓の司教や司祭らが出席した。
福岡カトリック神学院は1948年、戦後の求道者増加に伴い司祭養成が急務となり、「福岡サン・スピルス大神学院」として、福岡市内にあった聖母訪問会の建物を譲り受けて開校。51年、現在地に新校舎が完成し移転した。戦前から神学生の指導に当たっていた聖スピルス会カナダ管区が養成を担い、開校以来70年余りの間に、約800人の神学生が学び、約300人が司祭に、14人が司教に叙階された。
2009年から10年間は東京カトリック神学院と統合し、「日本カトリック神学院」の福岡キャンパスとなっていたが、19年には再び独立した「福岡カトリック神学院」に。長崎教会管区の5教区による諸教区立神学校として、司祭養成を行っていた(関連記事:日本カトリック神学院、東京と福岡の2つの諸教区立神学校に移行へ)。
鹿児島教区の「鹿児島カトリック教区報」(24年4月号)によると、「神学生数の減少により、共同体としての養成が困難になった」ため、長崎教会管区の司教団が閉校を決めた。
東京カトリック神学院の改称により、「日本カトリック神学院」が再設立されることになるが、福岡カトリック神学院は閉校となるため、かつてのような東京・福岡の2つのキャンパス体制ではなく、東京のキャンパスのみとなる。
カトリック中央協議会によると、ローマ教皇庁福音宣教省も今月7日には、福岡カトリック神学院の閉校と、東京カトリック神学院の日本カトリック神学院への改称を発表した。
【物覚え悪い私は、サン・スルピス会諸師著/サン・スルピス大神学校訳『羅典文法』改訂版、光明社、1956年、でラテン語を学びはじめ、現在もサン・スルピス会諸師著/ジャック・ツルデル監修『ラテン文法』三訂版、サンパウロ、1984年、をかつて古本で買いあさっていまだ使用している】